母和子がかさぎ画廊を設立してから30年目の2003年1月ある日、高野と名乗る男性から突然『お宅の祖先で絵描きをしていた方はおられますか?』という電話がかかってきた。
後に分かってくるのだが、高野氏はリコーの時計部門の前身であった高野精密工業のオーナーであり、浅井忠を世に出したコレクター高野時次氏のご子息の光正氏である。
高野光正氏は父と同様に明治の絵画のコレクターであり、欧米に散逸する明治の絵画を数人のエージェントを通じて収集してきたが、J.Kasagiのサインのついた水彩画に目を奪われる。
その一点は先に紹介した『提灯やの店先』であり、今回掲示する『帰農』という母子像である。
高野は英国やアメリカから更に数点のJ.Kasagiの作品を発見しては買い上げてきたが、J.Kasagiの消息は全く掴めなかった。そこで電話帳に記載された笠置または笠木いう苗字の家に片っ端から電話をかけまくった。カサギという苗字は比較的少ないと言えども、全国には数百所帯はあったはずだ。頻繁にカサギを尋ねる高野に、ある時電話交換手が『かさぎという名前の画廊があるのですが・・』と教えてくれたので、その番号のダイヤルを回した。
和子は次第に高野氏の話が理解できるようになり驚きと喜びで、数分(あるいは数秒をそう感じたのかもしれないが)、声も出ず、受話器を握ったまま押し黙り涙した。そして和子が『J.Kasagiは私の義父の笠木治郎吉に違いありません。』というと、今度は高野氏が電話の向こうで絶句した。
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