かさぎ画廊ぶろぐ Gallery Kasagi Blog

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鎌倉と横須賀にあるかさぎ画廊。歴史と伝統のある小さな画廊ながら世界中で企画展を開催したりとちょっとユニークな画廊の日々を紹介

ブログでは、かさぎ画廊ヒストリーの連載中ですが、

たった今若い女性画家が新しい歴史を作ってくれました。

 

新型コロナウイルス禍の暗雲を晴らしてくれた小林真理江の個展”こころの庭”を、

個展に来れなかった人にも、わざわざ遠くから来てくれた人にもお伝えします。

 

2020年小林真理江個展のリーフレット表紙

 

小林真理江さんは、茨城県水戸市の出身、

小さいころから絵の大好きな少女が、

有数の受験校から絵を求めて上京、多摩美術大学に入学します。卒業後は社会人として働きましたが、絵の道を諦められず東京藝術大学大学院に進みました。

修士課程壁画を修了してからは、迷いなく

プロとして絵の世界に進みます。

数々の公募展やコンテストで受賞を重ねる

一方、銀座三越で個展を開くなど、若手アーティストとして目立つ存在となりました。

当時かさぎ画廊では、ニューヨークでのグループ展”NEXT JAPAN”計画中だったので、

小林真理江さんにも出品してもらいました。

 

2016年ニューヨーク かさぎ展 NEXT JAPAN 出品作

”古代の魚 ビルケニア”

これがその時の出品作品です。

 

 

この展覧会を機に、ニューヨークで活躍中の現代アーティストのミッシェル・サカイさんとの2人展をかさぎ画廊で開くことができました。

 

2016年 日米現代アーティスト2人展のリーフレット

 

 

その後も、いろいろなグループ展にはいつも

楽しい絵を出品してもらいましたが、この度

初めての単独での展覧会が開催できました。

 

鎌倉のギャラリーの入り口です。

その裏には、由比ガ浜海岸が拡がっています。

 

 

では、作品を観てみましょう。

 

””メリーゴーランド

 

小林真理江さんが大好きで、「心の赴くまま描いた」というメリーゴーランドです。

 

 

当初はもっぱら上記のような建造物などを

よく描いておりました。

 

 

”観覧車”

 

最近では、動物や人物や音楽をモチーフにした絵が加わりました。

 

”おなかの中”

 

 

”夏の公園”

 

 

”朝焼けの森”

 

 

”予感”

 

”つがい”

 

 

”夕暮れのピアノ”

”夕暮れの少女”

 

「どうしてそのように描きたいものが散漫なのか、私の心の中は何なのかと、展覧会の度に考えて、少しずつ一番の関心事は変化しているものの根っこは同じだ」と気づきます。

 

”走る”

 

「無意識に感じている『物質』や『現象』としての存在の儚さと、目の前で触れるエネルギーのコントラスト(あるいは騒々しい取っ組み合い)に興味があるのではないかというのが現在の自分だと感じるようになりました。」と小林さんは述べています。

 

 

 

”風”

 

「同時に、静かに広がる『頭上の宇宙』に

ホッとする気持ちを描いている時もあります。」

 

 

 

”エントランス”

 

「今回の展覧会では、そういった自分自身でもとらえきれない私の心の庭の様子を、できるだけそのまま並べてみることにしました。」と言ってます。

 

”ティータイム”

 

茶室に飾られた ”時を巡る船”

 

 

 

小林真理江は、今回の展覧会直前にリトグラフにチャレンジしました。

自分の大きな作品を、気軽に多くの人に

所有してもらうにはどうしたら良いかという課題への回答だと考えました。

現代アーティストで、江東区深川でリトグラフの工房を経営する濱中大作さんのサポートを受け、絵師、彫り師、摺り師の三位一体の江戸版画と同じコンセプトの作品を実現しました。

 

 

 

 

下の写真の左端の2点が、記念すべき小林真理江の手によるリトグラフ作品です。

額付きで2万4千円の”本物のリトグラフ”を

実現できました。

 

 

濱中大作さん、ありがとう!

 

 

FRP製オブジェ ”橋猫”

 

今回は、石川県山中温泉鶴仙庵に設置した

モザイク作品のオブジェ『橋猫』を十分の一に縮小したFRP製の立体作品も出品しました。

実物をご覧になりたい方は、GO TO TRAVELを活用して山中温泉に行ってください。

 

モザイク立体作品”光の街の観覧車”

更にこうしたモザイク作品も出品しました。

 

 

 

コロナ下の個展も無事にスタートできてほっとする表情の真理江さんです。

 

 

下は、10月11日に92歳を迎える画廊オーナーの笠木和子です。

皆様と小林真理江さんに御礼申し上げます。

 

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かさぎ画廊は何故かインドと深い繋がりがあります。

 

 

かさぎ画廊が40年以上お世話になった田村能里子先生は、若かりし頃インドに居住し、

インド人女性をひたすらデッサンし、それをバックボーンにして、日本で最も人気と実力を

備えたアーティストになりました。

 

田村能里子の初期の作品、安井賞応募品?田村能里子が描くインドの女性

 

私のおばあちゃんは、夫、笠木治郎吉が他界した後には、インドの神話の絵などを描き、

当時横浜にあったインド商館に売って生計を立てていました。

 

治郎吉の他界後インドの金持ちに絵を売って生計をあってた私の祖母。

 

 

私の母、笠木和子(画廊オーナー)は、ヨガに傾倒し、サイババが住んでいたインドの

リシケシという聖地をしばしば訪れました。

 

田村能里子の個展には、自分もインド人になりきる笠木和子

サイババの弟子入りを目指した?笠木和子(画廊オーナー)      サイババもびっくり?

 

年に一度のらくだ市、1万頭のラクダが集まる

笠木和子同行のカメラマンが撮影

 

 

 

かくいう私は、仕事でもプライベートでもインドに引き寄せられ、都合160回以上インドに

渡航しました。

 

現在でも、私は副業でインドの会社のコンサルタントを務めております。

ビジネスでは、デリー、バンガロール、チャンナイ、プーナ、グジャラートなどの工業地帯

に行きますが、プライベートでは、アジャンタ、エローラ、マドライ、カジョラホなど、ヒンズーや仏教の聖地を訪れます。昨年は念願のラダックを訪れました。

 

 

西チベット、ラダックのガールフレンド達と

 

アートの関連では、最近ではインドの友人が、日本人のアーティストの絵に関心をもち、

時々絵を買ってくれるようになりました。

この絵は、入江一子先生が、インド最大の部品メーカーであるマザーサンの会長から依頼を

受けて描いた”マザー&サン(母と子)“というタイトルの絵です。

 

入江一子さん95歳の作品、現在104歳現役

 

これは同じく、インドのクライアントから注文を頂いて斎藤吾郎さんが描いた作品で、

ロンドンの別邸のマントルピースの上に飾られています。

 

斎藤吾郎さんのユーモアあふれる油絵

 

昨年は、インドの駐日大使夫人が日本画を習いたいというので、かさぎ画廊が世話に

なっている日本画家安住小百合先生にお願いし、絵の家庭教師になっていただきました。

 

かさぎ画廊 鎌倉ギャラリーにて

 

主人のインド大使サンジェイ・バルマ氏には、私の長年の日印自動車産業協力促進が

評価され、親しくして頂いています。かさぎ画廊が ”天空の曼荼羅展“ を鎌倉で開催した際に、

鎌倉のギャラリーにお越しいただきました。

 

 

話は前後しますが、かさぎ画廊は2014年にインドのニューデリーで本格的なグループ展を

開催し、日本の画家の作品をインドに紹介しました。

 

 

インド側でこの企画を支援してくれた国際的に活躍する学芸員のアシュナ・ジェーンさんです。

この人はとても生真面目な人で、『税金の申告などは厳格に法律を守ってください。私の信用が

台無しになりますから。』と釘をさされ、素直に従ったので、インドには多額な税金を払いました。

合法的でもいろいろな節税方法があった様ですが、経験不足でした。

 

 

厳しいキュレーターのアシュナさんと

 

アシュナさんは、企画運営や展示に関しては凄腕であり、ニューヨークやロンドンの一流画廊の

展覧会のようなセンスのよい設営をして、大物の政界人や財界人を招待してくれました。

しかし、販売には淡白で、絵は全然売ってくれませんでした。

 

 

世界最大の2輪メーカーHEROの副会長

 

 テレビ局のインタビューに答える私

 

 

レセプションには次々とお客様が

 

手伝ってくれた友人とその奥さんたち。

 

 

多くの新聞社やテレビ局が報道し、大勢の方がご来場し、おまけにインド美人にも囲まれ、

ゴージャスで楽しい展覧会でしたが、商業面では散々でした。

 

おまけに日本に戻ってきた作品にも消費税が掛けられ、二重のショックを受けました。

 

大いに反省が残った。海外発デビューでした。

 

しかしその時は、2年後にアートの本場ニューヨークにチャレンジするとは

思いもよりませんでした。

 

 ガンジス川のほとりで

 

かさぎ画廊

笠木英文

 

 

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ある画家の『銀座の画廊でなければ一流ではない』みたいな言い草にカチンときた和子は『銀座なんてなにさ』と発奮した。

ダウンタウンブギウギバンドの“港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ”と云う曲が大ヒットした頃だ。

当時私たちは横浜の端っこの金沢文庫に住んでいたが、蓮田や沼に囲まれ画廊をやるには自然過ぎた。

“ヨコハマ・ヨコスカ”とはいかなかった

そこで和子は、金沢文庫から朝比奈峠を越え、鎌倉に進出した。

観光地の鎌倉なら人が大勢来ると目論んだ。

その期待は半分当たって、半分外れた。

ともかく住居も鎌倉に移し、ギャラリーも併設した。

 

 

 

かさぎ画廊の守り神”花を持つフローラ”

和子の二女の義父細井庄司氏の作品

 

横須賀の画廊には馴染みのお客さんも多いので、そちらは常設にして、鎌倉はイベントの時だけにオープンすることにした。

鎌倉での最初の展覧会は、池田満寿夫“エロスの世界”という

魅惑的なネームミングにした。

果たしてオープン早々から大勢のお客さんが、海辺に新設したギャラリーに来てくれた。

 

 

気を良くした和子は、続けて西村功の個展を開催した。

パリの街角を描く素晴らしい画家だった。初めてその名を聞く

人も、その絵の詩情に心を打たれた。

 

 

鎌倉ギャラリー開店の年に、和子はシルクロードの絵を描く当時既に著名な入江一子に三顧の礼をもってお願いして、第一回目の個展を開かせてもらい、その後個展だけでも7回に及んだ。

入江先生は現在104歳、テレビでも再三紹介される超有名人である。

 

 

 

翌年には、五媛展と云うお目出度そうなネーミングを考案して、回を重ね、後に入江一子と人気を二分する田村能里子や、神戸文子、東郷たまみ、島田鮎子などの有名画家を招待した。当時は

新人の箕浦田鶴子や安住小百合の名を広めることもできた。

 

 

 

とりわけ田村能里子の個展は数多く開催できた。田村は中国西安の唐華賓館はじめ、国内外での壁画制作などで大きな評判を得て、日本で最も人気のある画家にのし上がっていった。

 

 

鎌倉芸術劇場で催した田村能里子トークイベントでの対談シーン

 

 

怖いもの知らずの和子は、高間惣七、織田廣喜、竹久夢二、山高登、土屋正男、など絵画界の重鎮の企画展を精力的に開催した。

鎌倉市長だった小島寅雄の個展を開催し、建長寺で講演会を開くなどユニークな企画も次々と打ち出した。

 

 

 

 

 

そうした中で、高橋美則のようなドル箱スターも誕生した、

内輪では高橋先生の個展を『忠臣蔵』と呼んでいた。

年末に興行をすると必ず大ヒットするからである。

 

 

ずらずらと展覧会のことばかり述べても飽きるといけないので、ここで笠木和子のファッションショーをお見せしたい。

和子は、画家の展覧会を盛り上げるためには、衣装を凝らし、 企画にふさわしい身なりをすることに心がけた。

若き日の母和子の姿を見てやってください。

母は現在91歳で、家では山姥(ヤマンバ)の様な格好をしているが、外出前の15分で変身する。

 

 田村能里子の個展にはいつもサリーを纏って接客をした。

サリーの着付けは私の友人のインド人の奥様だった。

 

 

 

 

 

 

左から二番目は、小説家森瑤子、その数年後早世したため、和子は、田村能里子と協力して、鎌倉芸術館に1000人以上のファンを招いて追悼イベントを開催した。

 

左は、女優、浜美枝。右は笠木和子。

 

 

和子の2台目のパートナーホンダアコード。

仕事の必要性があって、50歳になって運転免許を取得した。

自動車教習所の最多受験回数を記録した。

今もその偉業は破られてないそうだ。

4台めのインテグラは20万キロ走って車の方がリタイアした。

一年後和子も観念して、免許を返上した。

91歳になる今も,横須賀の画廊に通っている。

 

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ともかく横須賀に画廊が誕生した。

 

当時ホンダの新入社員になったばかりの私は浜松にいたが、

特別長期休暇を取って母の画廊の開店の手伝いをした。

 

 

ホンダの新入社員ころの筆者

 

画廊の内装などはできていたが飾る絵がなかった。

知り合いの画家も少しはいたが、高校の美術の先生に風景画を

描いてもらった。

美術年鑑を見て手当たり次第にお願いし悉く断られたが、協力してくれた画家もいた。伊藤画伯と云う人で、岩場に荒波が砕けている絵だった。

書画骨董を持っている親戚からも絵を借りて飾った。

近所に美大に通っている節子さんという女の子がいたので、

その絵も借りた。コスモスの絵だった案外うまかった。

 

まだ足りないので私も絵を描いた。

炭鉱夫の絵で『働く人』と名付けた。

ところがこれが真っ先に売れた。

30年後にそのお客さんが画廊に見え記念として私に返してくれ、今も大事にしている。

 

「働く人」笠木英文 フォービズムっぽい作品

 

油壷を描いた風景画も描いた。

 

今思えば、随分無手勝流な画廊だった。

 

「昼下がりの油壺」笠木英文

 

開店に漕ぎつけた日の夕方、気持ちが緩んだのか酷い胃痙攣に襲われ道端で七転八倒した。

 

県会議員だったか小泉純一郎が開店祝いに花束を贈ってくれた。そのおかげか後に総理大臣になった。

『絵筆のバトン』にその写真もあるが、小泉純一郎の文字は

白抜きにした。何かとうるさい昨今なので、その息子などに迷惑が及ばない様にと配慮したつもりだ。

 

 横須賀にオープンしたかさぎ画廊と笠木和子。

 

 

しかし、母和子のバイタリティと云うか、度胸の良さと云うか、2年目には島田章三とその師匠熊谷九寿先生の展覧会を

開いてしまった。

島田先生は後に芸術院会員になられ、日本のキュービズムの先駆者として日本の洋画史に燦然と輝く大家であり、その師匠

は洋画界のレジェンド、熊谷九寿画伯であった。

 

 

国画会の重鎮、熊谷九寿先生の近影

 

どうも熊谷先生が近くを散歩していたときに、ほっかむり姿で肖像画を描いていた和子の姿を覚えており、その女性が画廊を開いたというので開店に駆けつけたようだ。

そこで和子がすかさず出品のお願いをしたらしい。こう云う

人を『怖いもの知らず』という。

熊谷先生は、弟子で当時は新進気鋭であった島田章三や、高橋美則などにかさぎ画廊への応援を要請した。

 

島田章三の出品作

  

また翌年には“香月泰男遺作展”を開いた。香月泰男は「シベリア・シリーズ」で第1回日本芸術大賞を受賞した近代絵画を代表する画家であった。その遺作展がどうして横須賀の小さな画廊が開催したのか、銀座の画廊の間でも話題になったようだ。

 

笠木和子(香月泰男遺作展にて) 

 

こうして何とか画廊がなんとかスタートできたのは、母和子の

背水の陣の戦いとそれを支えてくれた人たちのお陰であった。

 

 

それでも、地方都市横須賀の無名画廊の新米女画商には悔しい

思いは随分あったようだ。

自伝『絵筆のバトン』の物語はそのくだりから始まっている。

 

 

 

縁や運にも恵まれて、いくつかの展覧会をこなした和子は、しばしば銀座の画廊を回って、売れている画家の調査や画廊の運営の仕方などを見習った。

ある時和子は、舞妓さんの絵がテーマの個展に出合い、こんな素敵な絵を横須賀の画廊にも飾ってみたいと思った。ちょうど画家の●●✖雄氏は多くの訪問客に囲まれていた。

訪問客が途切れた機会をとらえて、和子は大胆にも「私は横須賀で画廊をやっているものですが、先生の絵を是非扱わせていただいと思いまして・・・」と切り出した。が、「ぼかぁ~ね、銀座の一流画廊にしか出さないんだよ。横須賀のかさぎ画廊? 聞いたこともたないなぁ」と言って渡した名刺をそそくさにポケットにねじ込み、事務所に引っ込んでしまった。今思えばその先生の方にとって当然の対応だったと思うが、これが笠木和子に火をつけて

しまった。

その数日後、ある縁があって和子は時の寵児でピカソとも親交があったという東郷青児画伯に気に入られ、ちょうど始まる二科展に案内されることになる。

 

 

女性に優しい東郷青児先生

 

 

 東郷青児が描く女性像

 

黒塗りの車で迎えられ、和子は東京都美術館に向かうと、そこには二科会の下院たちが直立しで閲兵式のような会場に和子は東郷青児氏にエスコートされ入っていく。

その列に並んでいた●●✖雄氏は驚愕してしまう。「な・な・なんであの女が・・・?」と云ったかどうかわからないが、慌てたにちがいない。

その直後かさぎ画廊に●●✖雄氏から電話があった「かさぎ画廊さんですが、気に入った作品があれば言ってください。どんなのがよろしいでしょうか?」などと云ってきた。

和子は「おそれいりますが、うちでは一流の画家しかいただきませんので」”ガチャン“

大人気ないと言えばそれまでだが、この一件で笠木和子の進撃がはじまる。

 

続く

 

かさぎ画廊

笠木英文

 

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 女画商・笠木和子の半生を綴ったノンフィクション『絵筆のバトン』が発刊されてから、早くも3年経ちましたが案外根強い

人気があり、再販の要望も出る様になりましたので、

改めて紹介します。

これは、かさぎ画廊の歴史とも言えます。

 

 筆者 細井聖(私の妹の夫)アマゾンでも買えます。

 

笠木和子(私の母)横須賀市の旧家に生まれ、途中の戦争の時期を除いては、何の苦労もない恵まれた幼少時期を過ごします。

 

米酒薪炭菓子卸、雑貨荒物鯉雛人形、銘茶乾物結納一式、呉服反物・・・スーパーマーケットの走りです。 

 

ところが、和子はまだティンエージャーの時に、私の父笠木力造と駆け落ち寸前の騒ぎを引き起こした挙句結婚します。

 

 

 

当時力造は横須賀で肖像画の工房などを経営し数人の画家も雇い商売は順調でした。 さらに力造は版画の輸出などにも着手しましたが、病のため志半ばにして早逝します。 和子31歳、子供3人、貯金なし、残ったのは借金~という3重苦のシングルマザーの人生が始まります。更に翌年には和子を陰に陽に支えてきたお姑のヨシが他界します。

 

 中央は私の祖母ヨシ、左が母和子、右が筆者 英文

 

 

姑も亭主もいなくなった後に、肖像画画家たちは若かった和子をないがしろにし、売り上げを着服していることが判明、問い詰める和子に開き直る始末、遂に和子は大爆発!全員を解雇してしまいます。和子は悪人を退治したような爽快感を覚えたのはつかの間、これからどうやって生活していくのかと途方にくれます。

 

しかし、ここからが和子の真骨頂。

なんと自分で肖像画を描くという暴挙にでます。美術学校も出ていない和子は、いきなり難しい肖像画を描きだします。

この肖像画は、絵絹を木枠にピンと貼リング、礬水(ドーサ)と呼ばれる膠(にかわ)にミョウバンを混合した水溶液を平たんに塗り、特殊な筆を使って薄めた油絵で描くという特殊技法です。なにより難しいのは、肖像画は実物の人物に似ていなくてはだめです。

 

 

初めての作品は、似ても似つかないしろもので、お客さんは憮然として帰ってしまいました。和子は似ないと絵は売れず、子供にご飯を食べさせられないという危機感だけで必死に絵を描きました。 根を詰めて描く仕事は体力的にも過酷であり、家で腹を空かせる子供たちを待たせ、納品してお金をもらえるまで夜遅くまで絵を描くのはやるせなかったと思います。

 

ところがここに転機が訪れます。転機と云ってはハッピーなものでは無かったのです。大家より突然の立ち退きの要請でした。

普通の人間なら、ここで挫折してしまう所ですが、和子はここで

俄か画家をやめて、画廊を始めるという大博打を打つのです。

まだ社会人一年生だった私は、画廊というのは何をやる仕事なのか見当もつきませんでした。

 

 

これがかさぎ画廊のスタートでした。

時は1973年

ここから笠木和子の大進撃が始まります。

 

 

 

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かさぎ画廊は設立45年間一度も陶器の展覧会を開いた事がない。

何故ならオーナーの母和子も、私も陶器にはカラキシ音痴だからだ。

分からないものをお客様に売るわけにはいかない。

 

それが今回、真木孝成という陶芸家の個展をやることになってしまった。

 

その理由は、初対面で見せてもらった真木さんの作品を見て

その波動が私の心の奥まで共振させてしまったからだ。

 

 

真木さんの生まれが、母と同じオッパマ(横須賀市追浜町)で

あったことで親近感ももった。

 

後で分かったことだが、真木さんはBSテレビ東京の”世界 ナゼそこに日本人~知られざる波乱万丈伝”で、

『カリブ海ユカタン半島の付根にある中米の国ベリーズのジャングルで自給自足生活を送る日本人』として

紹介された有名人(?)であった。

街から離れたジャングルでの移動手段はなんと馬。自宅・畑・

お風呂に至るまで手作りで、食材も釣りや狩りで

調達という生活。

しかし、なんと真木さん、日本ではあることで大きな成功を収め、全く不自由のない生活をしていたとのだという。

それがなぜ?・・・という番組だ。

 

 

 

 

 

現在は茨城県の山奥で仙人のような暮らしをしながら陶芸に

勤しんでいる。

これもあとで分かったことだが、一時は中国の誇る高名な現代

アーティストの蔡国強と共同制作をしていた時期がある。

 

 

そういう事とは別に、真木氏の陶芸は、門外漢の私にも語り

掛けてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

真木孝成新春展は、1月25日(土)から2月2日(日)まで

かさぎ画廊/横須賀ギャラリー(横須賀市本町1-12)

で開催されている。

 

乞うご期待!

 

問い合わせは

かさぎ画廊

笠木英文

 

電話:090-5568-8226

E-Mail:yokoso@kasagi-garo.com

URL: www.kasagi-garo.com

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9月14日より、

かさぎ画廊・鎌倉ギャラリーにて、

個性派アーティストによる~それぞれの人物”展

開催します。

 

令和の新時代を担う注目の若手アーティスト8人に人物をテーマにした絵を自由に描いてもらいました。

 

 

出品メンバーは;

 

◆東郷平八郎の肖像画を現代アートにした人物画の達人、 

蔵野春生(くらのはるお)

 

 

◇能登で修練した手漉きの和紙を染めて、

その上にミュージシャンを描く、 

石原京子

 

 

◇念仏に明け暮れ、知恵を持たなかったがために

天狗に騙され往生が叶わなかった聖(宇治拾遺物語)の

絵を描き、自らの戒めにする京都の美人日本画家、 

服部しほり

 

 

◆いつもは擬人化した動物を描くが、

今回は動物のような人物画に挑戦した、

独立美術協会のホープ、 

齋藤将

 

 

◇多摩美術大学卒業後、OL経験をしてから

東京藝大大学院を修了し、

プロ画家となった色彩のマジシャン

小林真理江

 

 

 

◇銅版画のプリンセスと自ら名乗り、

日本の神話や民話を題材に、

奇想天外にデフォルメした人物や妖怪を描く、 

こばやしまな

 

 

 

◆九州のお寺の跡継ぎを弟に譲り

フランスのルーアン大学でリトグラフを修得し、

溢れすぎて困るイマジネーションを次々と

自作リトグラフに留める、

濱中大作

 

 

◇独学で双子の娘の成長を絵に残し続けてきた

無名の主婦画家、

高山兼子(かずこ)

 

 

有名無名、学歴、性別、年齢を無視し、

ユニークさ、楽しさ、新鮮さだけを基準に

ランダムに選考したグループ展です。

とことん楽しめる展覧会にしたいと思いました。

是非ご覧ください。

 

 

 

         《 記 》

 

展覧会名  個性派アーティストが描く

          “それぞれの人物”展

日時    9月14日(土)~23日(月)

          12時~18時   

会場    かさぎ画廊 鎌倉ギャラリー

          鎌倉市坂ノ下25-20

          江ノ電長谷駅下車、海に出て、

          右手ローソンの先

入場無料

 

問い合わせ先 0567-23-6938

       yokoso@kasagi-garo.com

URL         www.kasagi-garo.com または

           かさぎ画廊~で検索

 

 

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9月23日まで長野県東御市にある梅野記念絵画館で”私の愛する一点展”というユニークで、クオリティが非常に高い絵画展が開かれてます。

この絵画館は絵画コレクターとして名高い(故)梅野隆氏が

20年前に設立した美術館です。

 

 

森の向こうに見え隠れする 梅野記念絵画館

 

 

絵画館は小さな湖の向こうの森に囲まれ”美術の森”のたたずまいを漂わせていました。

 

梅野氏は、高い技術と芸術性を持ちながら世に埋もれた画家を発掘し、顕彰し、現代の世の中に蘇らせることをライフワークにした絵画蒐集家であり、日本の三代目利きと言われたた人物です。

 

著作”美の狩人”と”美神の森にて”は絵のコレクターにとっての

バイブルとも言われています。

 

(故)梅野隆

 

 

この梅野隆氏の志に共鳴した全国の絵画蒐集家の友の会が中心となって毎年ひらかれるのが、”私の愛する一点展”です。

美術愛好家の秘蔵の作品が全国から寄せられ7~80点もの

秀作が公開されるのです。

 

 

この度、鎌倉在住の友の会の会員よりお薦めがあり、私は、  祖父笠木治郎吉の小品を出品させていただきました。

 

笠木治郎吉は江戸時代末期に生まれ、北陸地方から横浜に出てき、生涯横浜で活動した画家でしたが、貧しい家系に生まれた 治郎吉は、家族を養うために、当時横浜絵とも言われた外人客を対象とした風俗画をひたすら描いていました。そのため、公募展に出品したり、画壇の活動に参加したりすることもなく、また描いた絵は殆んどが海外に持ち去られ、僅か家族に残された絵も関東大震災や戦災で焼失してしまい、活動の痕跡すら残すことなく大正10年に他界します。

 

笠木治郎吉の唯一の写真

 

ところが、笠木治郎吉の絵を海外で発見して、その後20年以上に亘り治郎吉の絵を収集していた方が、粘り強い調査の末

治郎吉の末子の妻であった笠木和子(私の母)を探し当ててくれました。

その後,ちょうど普及が始まったインターネットに笠木治郎吉の

サインJ”J.KASAGI”がある画像を掲載すると、世界中から次から次へを治郎吉の作品発見の知らせが来るようになりました。

こうして笠木治郎吉のベールが次第に剥がされ、美術界で徐々に注目を集め始めております。

 

そのようなタイミングでのお誘いでしたので、”私の愛する一点展” をとても有難い場と考え、出品させていただきました。

お陰様で並みいる名画のなかでも高い評判を頂きました。

作品は、提灯に絵付けをする職人をモチーフとしています。

 

 

たかが提灯の色塗り作業にもかかわらず、心を込めて取り組む職人の姿に、治郎吉は自分の姿をダブらせたのかもしれません。

働く人への尊厳に満ちた作品だと思います。

 

作品の前で記念撮影、左はかさぎ画廊オーナーの笠木和子【90歳)右は私

笠木英文です。

 

 

 

折角なので同じ空間を共有して頂いた出品作のなかで、私が

心を動かされた作品を紹介したいと思います。

 

 

 

これは、梅野亮による静物画ですが、構図と題材が織りなす不思議な世界にずんずんに引き寄せられてしまいました。

 

 

 

すずめの死を題材に、生命のはかなさ、尊さを描いた作品です。

芥川麟太郎が木炭と鉛筆で描いた”亡雀隠”という作品です。

 

 

女闘牛士が闘う前の牡牛を見つめており、牛は観念したように目を逸らせています。これから始まる劇の結末を思うと切ないです。寒河江知果の”ほんとうのこと”と題する日本画です。

 

 

(故)西脇順三郎の”裸女”という作品です。

西脇は藤島武二に師事しましたが、父の死によりフランス留学も画家への道を断念した画家の記念的な作品です。

女性の裸の姿の美しさをケレン味なく表現しています。

 

 

写真家・藤森武の写真集”独楽 熊谷守一の世界”の一作品です。

(故)熊谷守一がおばあちゃんと碁に戯れているショットです。

この二人の境地と人柄を全て物語っていると感じました。

 

”つぼみ”という題名の彫刻です。作者は北村正信。

乳白色の大理石に刻まれた清純な乙女の姿は美の境地と思えました。

 

 

このほか魅力ある作品が目白押しの展覧会でした。

 

 

 

 

 

梅野隆のお嬢様で梅野記念絵画館の副館長の佐藤雅子様と一緒に写真と撮らせていただきました。(右から二番目の女性)

 

 

展覧会は9月23日(お彼岸)まで開催しております。

是非ご覧ください。

 

www.kasagi-garo.com

https://www.facebook.com/KasagiGallery/?qsefr=1

 

 

 

 

今週土曜日(29日)から鎌倉かさぎ画廊にて、私が40年にわたって収集したチベット曼荼羅を展示販売しますので、その一部を紹介します。

 

先ずは、5月末インド領西チベットのラダックに行って、入手した緑多羅観音菩薩の新作をご覧ください。

ダライ・ラマ14世から直々に褒賞を受けたツェリン・ドルジェ

8代目が描き上げたものです。

 

緑多羅菩薩(グリーンターラ)は日本では馴染がありませんが、人々を救おうと頑張ってもなかなか救えない観音様の涙から生まれた女神であり、人々に寄り添て助けてくれる菩薩としてチベットでは大変親しまれています。

右足が前に出ているのが特徴で、困っている人がいたら、すぐに出かけられるようにスタンバイしている様子だそうです。

 

 

この絵の作者ツェリン・ドルジェ絵師(右手)と息子9代目と私のスナップです。

 

 

次の作品は、私のコレクションの中で、一番古いものと思われるカーラチャクラ曼荼羅です。時輪マンダラとも呼ばれ、チベット密教の究極の姿のビジュアル化とも言われます。

 

 

これは、地金剛曼荼羅の一部を拡大した画像です。18世紀~19世紀のものと推測されます。チベット密教の究極の原理である

宇宙との合一をビジョンで訴える崇高な男女交合図なのです。

 

 

私が持っているもので、最も精緻に描かれたものですが、年代は不詳です。ヒマラヤの山々を背景にすべての諸仏それぞれが美しい表情で描かれている逸品です。

 

 

次は、多羅観音菩薩図です。エキゾチックな雰囲気より、西チベットのラダックのものと考えられます。

こうしたマンダラを入手するのは、今では殆んど不可能です。

 

 

次は私が大好きな憤怒伸のヤマーンタカで、

大威徳明王とも呼ばれ、仏の永遠不滅の叡智を有する

畏るべきものだそうです。

 

おどろおどろしいほど、味方にすれば頼りがいがあるのです。

 

 

この丸いマンダラは、中国四川省のチベット族の絵師に描いてもらったものです。中央はチベット密教を確立したパドマサンババ

が描かれております。砂マンダラの雰囲気があります。

製作には3か月を要しました。

 

 

これは牧象図といって、煩悩に迷う人間がどうすれば悟りの境地にたどりつけるかというレッスンを、字が読めない人にも分かるように示したマンダラです。象の身体が次第に浄化され最後は白くなっていきます。悟りを開いたものは、輪廻から解脱して天界にいくことができますが、悩みも楽しみも多い人間界に留まる選択肢もあるそうです。

 

文殊菩薩図をチベットの掛け軸にしたものです。ラダックの絵師ツェリン・ドルジェ8代目の家の壁にかかっていたものを

無理やりお願いして譲ってもらいました。

 

 

右手に数珠、左手に蓮華を持ち、残りの2本の手で合掌する観音菩薩像です。

穏やかで慈愛に満ちた表情をご覧ください。

 

 

様々なマンダラが皆様のお越しをお待ちしております。

展覧会は7月7日まで開催しており、入場は無料。

希望者には販売しますが、最初の3点は非売です。

ごめんなさい。

 

かさぎ画廊 笠木英文

 

www.gallery-kasagi.com

www.facebook.com/KasagiGallery

https://www.facebook.com/KasagiGallery

 

今週土曜日(29日)から鎌倉かさぎ画廊にて、私が40年にわたって収集したチベット曼荼羅を展示販売しますので、その一部を紹介します。

 

先ずは、5月末インド領西チベットのラダックに行って、入手した緑多羅観音菩薩の新作をご覧ください。

ダライ・ラマ14世から直々に褒賞を受けたツェリン・ドルジェ

8代目が描き上げたものです。

 

緑多羅菩薩(グリーンターラ)は日本では馴染がありませんが、人々を救おうと頑張ってもなかなか救えない観音様の涙から生まれた女神であり、人々に寄り添て助けてくれる菩薩としてチベットでは大変親しまれています。

右足が前に出ているのが特徴で、困っている人がいたら、すぐに出かけられるようにスタンバイしている様子だそうです。

 

 

この絵の作者ツェリン・ドルジェ絵師(右手)と息子9代目と私のスナップです。

 

 

次の作品は、私のコレクションの中で、一番古いものと思われるカーラチャクラ曼荼羅です。時輪マンダラとも呼ばれ、チベット密教の究極の姿のビジュアル化とも言われます。

 

 

これは、地金剛曼荼羅の一部を拡大した画像です。18世紀~19世紀のものと推測されます。チベット密教の究極の原理である

宇宙との合一をビジョンで訴える崇高な男女交合図なのです。

 

 

私が持っているもので、最も精緻に描かれたものですが、年代は不詳です。ヒマラヤの山々を背景にすべての諸仏それぞれが美しい表情で描かれている逸品です。

 

 

次は、多羅観音菩薩図です。エキゾチックな雰囲気より、西チベットのラダックのものと考えられます。

こうしたマンダラを入手するのは、今では殆んど不可能です。

 

 

次は私が大好きな憤怒伸のヤマーンタカで、

大威徳明王とも呼ばれ、仏の永遠不滅の叡智を有する

畏るべきものだそうです。

 

おどろおどろしいほど、味方にすれば頼りがいがあるのです。

 

 

この丸いマンダラは、中国四川省のチベット族の絵師に描いてもらったものです。中央はチベット密教を確立したパドマサンババ

が描かれております。砂マンダラの雰囲気があります。

製作には3か月を要しました。

 

 

これは牧象図といって、煩悩に迷う人間がどうすれば悟りの境地にたどりつけるかというレッスンを、字が読めない人にも分かるように示したマンダラです。象の身体が次第に浄化され最後は白くなっていきます。悟りを開いたものは、輪廻から解脱して天界にいくことができますが、悩みも楽しみも多い人間界に留まる選択肢もあるそうです。

 

文殊菩薩図をチベットの掛け軸にしたものです。ラダックの絵師ツェリン・ドルジェ8代目の家の壁にかかっていたものを

無理やりお願いして譲ってもらいました。

 

 

右手に数珠、左手に蓮華を持ち、残りの2本の手で合掌する観音菩薩像です。

穏やかで慈愛に満ちた表情をご覧ください。

 

 

様々なマンダラが皆様のお越しをお待ちしております。

展覧会は7月7日まで開催しており、入場は無料。

希望者には販売しますが、最初の3点は非売です。

ごめんなさい。

 

かさぎ画廊 笠木英文

 

www.gallery-kasagi.com

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