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今年も年末年始を横浜の息子宅で過ごしました。
お嫁さんが胃腸炎で不調だったので、関西人である息子と私達夫婦とどっちつかずの孫息子の4人で出かけることになったわけです。
お正月準備の買物は息子の提案で、昔ながらの風情が残る大船に行こうということに。
賑やかな商店街で年の瀬の雰囲気を味わえました。駅のベランダから大船観音も見られて素敵。
ところどころで「赤い酢だこ」が売られていて、これは何だろうねと言いながら、お嫁さんは着色料を嫌がるかもねと買いませんでした。
帰って話すと「酢だこ」はお節に欠かせないものよ〜と。赤い蛸をスライスしたら白い身と紅白になるんだよ! 初めて聞く文化の違い。
少し行列の出来ている食堂で刺身定食を頂きました。なんてお刺身の新鮮なこと!
そう言えば大船は横浜に隣接する鎌倉市なんですね。
人気の鎌倉ですが、京都から来ると正直、お寺や神社もさほどでもないし、けれども京都には無いものが、そう海です。
これは何とも羨ましい限りです。
そうして元旦を迎え、お雑煮。
お嫁さんは京風でいいと言ってくれたけど、ここは神奈川だから関東風でどうぞと。
二日は持参した白味噌と丸餅の甘いお雑煮。
息子夫婦から、そろそろどちらか一人になった時どうするのか考えた方が良いのでは?と、こちらに来る気があるのかと聞かれた。
うーん、旅行だといいけど住めるかなと思いつつ京都に着いたら、何となくホッとしました。
最近、ジャズボーカルを習い始めました。
教えてもらっているのは、古い友人のジャズシンガー。
先日、ジャズ教室の生徒たちの発表会がありました。第21回「singing party」です。
singing partyというネーミングは21年前、初めての発表会をうちのギャラリーで開催した時に私が名付けました。
ジャズが好きでライブにもよく行ってましたが、コロナで(よる年波で?)すっかり夜に出かけなくなってしまったのですよね。
今回はピアノ、ベース、テナーサックスの生バンドで歌いました。
ジャズバージョンの「テネシーワルツ」とアングラの女王、浅川マキの「夜が明けたら」
結構緊張しました!
友人に撮ってもらった動画を見ると、下手くそだなぁ。
花束ももらって、スター気分。
来年は何を歌おうかな。
もちろん日本画は日々描いています。
やはり一番の楽しみは息子一家の帰省です。
お正月以来で、6年生になった孫くんと遊べることが嬉しい。
まずはお墓参り。
三年坂を降りたところがうちのお墓のあるお寺の入口(写真の黄色いところ)
墓参後は恒例の三年坂を登ってから清水坂へ入り土産店巡り。
孫くんは今どき流行らない「I ❤️ KYOTO」のTシャツを買い、かつて石原軍団の渡哲也がかけていたようなサングラスを買った。
8月16日の夜は五山の送り火。
今回、孫くんが一番楽しみにしていた行事。
うちの近くに鴨川上流の高野川があって、その川辺から「大」と妙法の「法」は大きく目の前に。そして小さく「船形」が見える。
喜んだ孫くんは早速「大」をスマホの待ち受けに。(私よりずっとスマホを使いこなしてる)
これでお墓にお迎えに行ったお精霊さんが帰って行かれました。
その他、新京極巡りに付き合わされたり、後は近所の公園でサッカーを。
孫くん対夫、私は審判。
(いったい何回戦やるんだ)
汗まみれになり帰宅。
あっという間に6日間が過ぎ、車で京都駅まで送って行く。
息子夫婦はお土産を買いに。
孫くんは私たちにピッタリくっついて離れない。
最後は涙ぐんで手を振り見えなくなった。
今日の夕方、うちのギャラリーの表で水まきしようとしていたら、見知らぬ女性が近づいて来てウィンドウを指差し「涼しそうなガラス器ですね」と話かけられた。
信楽焼の作家の話をしたので、陶芸などに詳しいのかと思っていたら、パンフレットを出してきて「まだ一般公開していない美術館が琵琶湖の辺りの草津市にあって、特別に観せてあげますよ」と言う。
そのパンフレットを見て(この白くて広大な建物と金ピカの入口、どうも宗教の匂いがする)と思い辞退すると「私が車で連れて行くからすぐに着きますよ」と。
私は「道端の話だけで特別扱いされる覚えはないから辞めておきます」と言うと「ぜひこのパンフレットを読んで下さい」と渡して去った。
すぐネットで調べると、滋賀県草津市に本部を置き広大な土地に幾つもの建物があり、その中に多くの信者が寝起きしている怪しい宗教団体だった。もっと早く気づいて即座に断れば良かった。客かと思い多少自分のことを話し過ぎたかもしれない。危ない、危ない。
Yahooブログを始めたのは10年以上前で、Yahooが無くなってアメーバブログに引越した。
幸い親しいブロ友4人もアメブロに引越した。
1人だけ他のブログに引越したので、自分から見に行かないと見逃してしまう。
コロナが始まった頃は情報や考え方が錯綜して、なんだかしんどくなった。
ブログよりずっと後からFacebookを始めたけど、Facebookは友人の他に知り合いや業界関係者が多くて、中々言いたいことが言えない。
Instagramでは友人以外にもっと軽くフォローしてくれる人が800人を超えた。仕事に関して影響力が増えれば良いと思ったけど、いいねはどうでもいいね、です。
結局、友人のコメントは嬉しいけど、しんどい時に絵文字を使ったりの軽いコメントは逆撫でされる。
ふと気づいたけど、会ったことがなくても気心がしれた10数年来のブロ友さんは安心感がある。
もう一度書いてみようという気持ちになった。
また友達を増やそうとも思わない。
喘息の咳が治まり、肺炎がほぼ良くなったので、主治医に頼み込んで一昨日退院した。
まだ体を起こすのもしんどいけれど、とにかく病院の食事はあまりに質素。
私はそんなに食が太い方ではないけど、わずかのキャベツや人参と一口くらいの鶏肉が一緒に煮たものがメイン。
大さじ三杯でなくなる感じ。他に少しの煮浸しが付く。ほとんど塩気もない。
消化器が悪い訳ではないのに、とりあえず発作が治ってからは「この低カロリーと低タンパクで衰えた体力は回復するのだろうか?」
うちに帰るとそっとメールで体調を聞いてくれる友人もいる。
とにかく弱っている時は、やいやい言われるのがしんどい。
幸い初めて夫が料理、家事を前向きにやろうとしてくれてる。
協力して生きていかなければと思う今日でした。
昨日5月22日は結婚記念日だった。
今年は珍しく前々から夫と最近話題のフレンチならここか、中華ならレトロなあそこかと案を練っていた。
ところが4月の多忙とストレスから5月に入ってずっと倦怠感が続いて、16日ついに5年ぶりくらいに喘息発作を起こし救急外来を受診。
ステロイド点滴と吸入をして様々な検査をして、診てくれたのが呼吸器専門ではなかったので「入院しましょうか」と言われたのに「明日、呼吸器外来に来ますから」と家に帰ってしまった。
連日、肋骨にヒビが入るほどの強い咳で病院に通った。
とうとう昨日の結婚記念日に入院のプレゼント。肺炎の疑いもあり個室。
コロナは陰性だったけど、5回くらい抗原検査されるも今は自費。
たまに仲良くしてるとこうなんだなあ。
二人で町外れまで歩いて泉橋という小さな橋を渡ると舗装されていない登り坂の道に進んで行った。段々と鬱蒼とした山道になり、木立の中に連れて来られた頃には恐ろしくなり「わぁっ」と声を上げて泣き始めた。
その時、若い男は思い切り私の鼻と口をふさいだ。声を上げようと力んだ瞬間、鼻血が噴き出した。すると血を見た男は驚いて逃げて行った。私は来た道を辿りようやく泉橋まで戻ってきた。血塗れの女の子を見た町の人が慌てて母のところへ連れて行ってくれた。
母は顔の血を拭いて体を撫でて、すぐに警察に電話をした。警察官は何度も同じことを聞いた。
その後、新聞記者が同じことを聞いた。次の日の朝刊に誘拐未遂事件と載った。男は未成年で名前は伏せてあった。
その後に男の母親が大きな菓子折りを持って謝りに来た。私はその菓子折りに気を取られていたが母は頑として受け取らなかった。その犯人の男は知的障害があるらしきことをその母親と母の会話から聞いたような気がする。
いつもひとり河原で遊んでいる私に母は「知らないおじさんか誰かがいい物を買ってあげると言っても絶対について行っては駄目よ」と常々言っていた。「うん、わかった」と私にしては真面目に気に止めておいた。
その日もひとりで河原の雑草を摘んでいると若い男が近づいてきて「もっときれいなお花がいっぱい咲いているよ、こっちに来て」と言った。(いいものを買ってあげるって言わないから大丈夫かな)と思いついて行くことにした。
続く