今時スマホでゲームをする者は多い
かつてアニメやゲームでの主流パターン
の1つだった 「 正義 」 と 「 悪魔 」 の戦いは
神の世界における
「 光 」 と 「 闇 」 の確執のなか
「 闇 」 は魔性と化し
「 光 」 = 善 ・ 正義の味方
「 闇 」 = 悪 ・ 悪魔の化身
の設定が表出されたもの
神の正体-光と闇-
今日まで表現されてきたアニメやゲームの世界 ( 光 vs 闇 ) とは
総じて初期では 「 闇 = 悪 」 は強く 「 光 = 正義 」 は弱い
しかし 「 正義 」 は
様々な経験を経て徐々に実力を蓄えたり
あるいは志をともにする仲間との出会いのなか
最期には 「 悪 」 を滅ぼすという設定
これも 「 光 」 より 「 闇 」 のほうが強く
それでいて 「 闇 」 は 「 光 」 に勝たない
神の世界での関係が表現された形
光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。 ( ヨハネによる福音書1章5 )
このように表現されてきた 「 正義 」 と 「 悪 」 の戦い
いつの時代も 「 正義 」 が 「 悪 」 を滅ぼし
やがて人間世界でも理想とする世界が
訪れることを望んできたのだろう
- 神の世界と異なるのはココから -
神の世界では
「 光 」 と 「 闇 」
ともに 三位一体 = 唯一神
「 光 」 と 「 闇 」 の確執は
人間の心 ( 性 ) のなかで
「 善 」 と 「 悪 」 の 性 が激しく
争い 葛藤している状態と同じ
命ある人間の寿命が尽きない限り 自身のなかで
「 善 」 と 「 悪 」 の 性 が無くなることはなく
まして 「 わたしはある 」 という
永遠の存在 = 全能の神
に至っては 「 光 」 と 「 闇 」
ともに永遠に滅びることはない
わたしはある。わたしはあるという者だ ( 出エジプト記3章14 )
光を造り、闇を創造し、平和をもたらし、災いを創造する者。わたしが主、これらのことをするものである。 ( イザヤ書45章7 )
よって
正義 = 善 が 悪魔 = 悪
を滅ぼしたり 善 と 悪 を完全に切り離すことは
ともに 神の一部 ( 被造物 ) であるため不可
残念ながら 「 闇 = 悪魔 」 との対決姿勢
では 真の救済 は訪れないのである ( つづく )