当たり前のことだが自分は横須賀のほうが新宿よりも空気も水も合う。
ミー坊の父親は大正13年生まれで大津町出身で戦後は浦賀ドックの社員だった。
母親は大正14年生まれ吉倉町出身でミー坊自身も生粋の横須賀人である。
自分の甥っ子姪っ子たちは2分化していて、ベース(米軍基地)などに勤めている姪っ子は「わたしはもう横須賀でいい」
などというか、「横須賀なんて田舎だから嫌だ」といって東京で務めたり東京や横浜に引っ越したりしているものもいる。
本当に久しぶりに深田台にある横須賀の博物館に来た。文化会館の裏手にある。
昔はもうすこし殺風景な場所であった。

今、特別展でこういうのをやっているので行く。
横須賀市は米軍の攻撃が少なく、戦後東京の様に焼け野原になった場所に比べ、復興がずっと早かったのだ。
片付けや建設の時間が少なくて済んだからに他ならない。

ここは無料なので自分も小学生のころは良くきて遊んでいた。すいているし。優秀な学芸員の人もいるらしいが、駅から歩くのでいかんせんここには人が来ない。だから特別展をやっているのだろう。まー近所の小中学生が遊びに来るくらいだろう。
この中島という先生はシャコの研究をされている人っぽい。
自分もシャコはモンハナジャコなどを飼っていたこともあるので好きなほうなので
この紙の写真を撮る。これは学会の研究発表(3人で書いている)のときの表紙だと思われる。時間は15分のみ与えられている。(これが普通)これを発表した後15分ほど質疑応答がある。
どんな先生かサイニーで検索すると
今年3月に琉球大学(国立)で博士号(大学院博士前期のあとで博士後期に合格しそれを4~5年で終了すればもらえる学位でかなり大変で普段から勉強ばかりしていないと無理である)を取っていた先生だった。4月からここに就職したのかもしれぬ。
論文の要旨(まとめた部分)を読むとシャコは日本からは約70種が記録される(70種類がいるというのをこういった書きかたをするのが普通である)と書いてある。そんなにいるのか。この先生は本州に住んでいる2種類のシャコについて研究をしている人だった。なかなか面白そうな研究である。このように博士論文は公開が義務付けられているので誰でも閲覧が可能である。
因みに琉球大学の先生(教授)にはタコの研究で有名な池田譲という先生がいるのだ。

高台で行くのが大変というのもあって、ほぼ人はいないが横須賀中央公園と言うのがここにはあってこんな風に東京湾が見渡せる。トンビがたくさん飛んでいるので、ちょっと崎陽軒の弁当を喰うという訳にはいかない。(トンビが食べ物を狙ってくるので)この光景は子供のころからずっと見てきていて自分にとって海=港なのである。マンションはこんなに増えたが地場で働く人は少ないだろう。みな品川くらいまで京急で通う東京、横浜の会社員が圧倒的に多い街である。(横須賀には働き場所や学校も少ないからそうなる)
写真で見える島は無人島 猿島である。ここに行くにはトライアングルという会社が船の運航を横須賀市からの委託を受けて行っているが1社の独占契約であり(まー他にやってくれる会社もなかったんだろう)自分はあまり好きではない。アルバイトの人たちもぶっきらぼうで社員教育などないのだろう。横須賀の店や接客はこういうところがダメなんだよ。そういう態度が横須賀的でかっこいいと勘違いしている人たちが会社をやっている部分が多く見受けられる。葬儀屋や横須賀中央のお店、クリニックでもまだまだそういうところが多い。東京なら通らないことも全然通ってしまう。そもそもクリニックなども東京と違い商売敵が少ないのでそれでもやっていけてしまうのだと思われる。井の中の蛙(医の中の蛙)大海を知らずである。総合病院もいまだに横須賀共済病院がメインである。医師の数も少なく、こんな旧式の病院ではなあと思う事がしばしばあった。基本ここが一番だと思う人が多く、選択肢も少ないので重篤な病気の人はここに来る。築地や柏の国立がんセンターに行こうなどと思う人がそもそも少ない。
いろんな面で、「だから横須賀の田舎者」だと言われてしまうのである。(言われなくても田舎であるが)
自分も含めそういう部分が少なからずあるのが横須賀人で軽蔑に値する。

これは移設されたもので昔はもっと下にあったっぽい。台座は新しいものに変わっている。
デッカー司令官の下に新しく同じ大きさの英語表記も彫ってほしいところである。この方は米軍関係者だもんで。
(ただ敬意を込めて日本語だけにしている可能性もあるが、米国人が読めないのではね)

ベントン(ベニー)デッカーは戦後すぐに横須賀海軍ベースの司令官になった人で
この名前は横須賀ベース内にある映画館にも残っていてベニーデッカーシアターと言う名前で2スクリーンある。
(この海軍のHPで何を上映しているか見れる。ウィキッド2やズートピア2、アバター3などは米国の公開日から上映)
基地の中にはニミッツストリートのように昔の海軍軍人などの名前が付いた道や建物が数多く存在する。
横須賀市民で米軍関係施設があることに反対する人はかなり少なく(沖縄とは大きく異なる)デモをやっている団体は横須賀の人たちではなく東京からきたりしているバイトの人たちである。これは全国的に勘違いしている人も多いだろう。
横須賀市民にとって原子力空母ジョージワシントンが母港としてここにいることは誇りであり、世界最強の第7艦隊旗艦ブルーリッジがここを母港としていることが自慢なのである。巨大米軍基地(横須賀は面積では横田より狭いが人数は日本一多いのである。自分が思うに米国人居住者が最も多いのがこの地だと思う。ただここで働く人々の人数は日本人も米国人も秘密であり、実際はわからない)は日本人従業員なしではもはや運営ができない施設である。
だから反対する人などほぼいないのである。嫌っていたらネイビーバーガーなどという名前を付けたハンバーガーなど売るモノか。ちょっと冷静に考えればわかる話である。


これは恐らく自動車を積んで輸出(横須賀には輸入される車は下ろされないと思う。輸入車は大方名古屋港が中心である。)するための船が停泊中。日産は自社工場裏に港があってそこから積むので日産以外の会社かも。自分が中学生頃(1976年くらい)には横須賀港から多くの左ハンドルのスバル車が積み込まれていた。群馬には港がないからだろうが。新潟ではなくなぜ横須賀だったんだろう。トヨタ車とかと一緒につんでいたのだろうか?