むむむ。
クリスマスプレゼント用なのかモンブランの高級ボールペンだと思うがグレートキャラクターというシリーズらしい。
ジェームス・ディーン仕様。
約30万だが、こういうの今も買う人いるんだろうか。ジミーのファンの多くはもう80代以上だろうからもはやこんなものより100円のゼブラのものが使いやすいはず。しかしものすごく高いものなんだなあ。ジェームスディーンと書いてあるZIPPOとかは持っているが。20年以上前は随分とgoodsや商品出ていたけどな。自分は好きなのでバービー(ケンの)ジミー仕様やリアルフィギュア、本などたくさん持っている。LEEのCMにも出ていたな=理由なき反抗ではリーの201を履いている。
 

むかし(30年くらい前)会社の旅行は基本この熱海のホテルニューアカオの¥22000コースだった。(今だと¥30000コースで当時は普通の部屋だと14000~17000円で泊まれた。)
今は経営会社も変わって朝夕共にバイキングらしい。海の上にホテルの一部が建っていて海に泳ぐ魚が¥22000の部屋からは見えるのだった。行ってきたという知り合いがこのアカオタオルをお土産にくれた(国産品)ので今のミー坊は家の風呂+バスロマンででたらこのアカオタオルを使ってあたかもアカオに行ってきた雰囲気だけ演出する感じだが、十分感じられる。ありがとうございました。
 
 
 

東映チャンネルのポルノ時代劇の予告編。「徳川女刑罰史」絶対に録画せねば。
庭先で行水する橘ますみはいいねえ。なんともエロい。1968年の東映作品の中で最もヒットした作品らしい。12月7日東映チャンネルで放送。
 

丸の内ピカデリー2にて鑑賞。

 

 

 

 
 

エンドロールに松竹映画「俺の行く道」など監督の山根成之の名前があったような気がするのだが故人だと思うので
なにか松竹作品に携わった人の名前が連ねられていたのだろうか?もう一度見て確認したい。
 
 

 

 

 

山田洋次監督作品はできたら松竹の旗館のここ(1.2.どちらでもよいが2のほうがスクリーンは大きいので本作の様にシネスコ画面の場合には2のほうが1よりも大きな映像になる)で観てるがなぜか前作の「おかえり母さん」はユナイテッドシネマ豊洲で

鑑賞しているようだ。

 

劇中登場する場所は都心に住んでいる人はほぼ行ったことのある場所ばかり出るという感じである。

柴又帝釈天正門前をスタートして浅草、言問橋、上野、そこから鶴見つばさ橋を越えて横浜ベイブリッジをとおって山手で降りる。

 

行き先設定は葉山だったが実際には横須賀市佐島にある老人ホームが撮影に使われたらしいが確か「おかえり寅さん」でも橋爪功の入っていた横須賀の老人ホームが使われていたが同じ場所かもしれない。立石海岸なども標識とともに出る。

 

フランス版「パリタクシー」よりもやはり日本版のほうが日本人には突き刺さるものがある。泣ける。

 

 

ミー坊はまだ61歳で、将来も出来れば老人ホームに(なんかには)は入りたくないと思っているのだが。

マー運動さえしていれば80歳位までは動けるかと思うんだが(脳梗塞やがんなどにならなければだが)人生どうなるかわからぬが

今運動しているから61歳で全くしていない人よりはいいだろう。

 

 

 

もう一回「パリタクシー」を見てみようかなとおもうなあ。

横須賀中央の三笠通り商店街も今はあまりいい店がなくなってしまい、中央で魚を買うという事がなくなった。
佐島まで行かない時は衣笠商店街のほうがなんでも安い。
かさごが遅い時間で安くなっていたので購入。
 

横須賀から帰る前に衣笠の西友によって魚を買う。ここは駅前駐車場の駐車券が出るから買い物はしやすい。
 

 
 

 横須賀中央に、あったフランス料理店 シェ田坂は久里浜に移転したそうだ。久里浜のほうがお客は入るのだろうか。
二階がテーブル席。基本は民家の改造だったのかなあ。
 
ここのはす向かいにあったちゃずゆという喫茶店もまたおしゃれだったがそっちはだいぶ前に閉店したなア。
 

 ここ昔、何度か来たなあ。まーでも廃業じゃなくてよかったあ。
 
 

5年ぶりくらいにこの上町にある「春日野」に来た。中のレイアウトが少し変わっていた。
 

大正15年からやっているということなのでもう100年か。この辺りには戦時中は多くの海軍軍人が住んでいただろうから
ここもそういう人で繁盛しておいたのかもしれない。横須賀は軍港で米軍は終戦後に使おうと考えていたから、大きな空爆はなく
こういうお店もまだ残っている。店自体貴重である。
 
 
 

 

 

 

 

ここではいつもかつ丼を食べる。息子さんの代になっているが昔からこの味である。
横須賀もまだ捨てたもんじゃないと思う。
自分らの世代は、海軍カレーやネイビーバーガーなど客寄せの為にあとから作られたものと知っており、1970年代は本当の横須賀名産品など猿島わかめくらいなものであった。魚も安浦漁港などで捕れるのだが自分たちが小学生のころから食べていたのは横須賀の魚介ではなく、隣の三浦産を食べていたのだ。あれは勿体ない事だった。しかし横須賀の魚の流通がないのだか仕方がないが。
 
 
 

不入斗(いりやまず)にある当たり湯(銭湯)に初めて行った。ここはもろ昭和で創業200年近かった。
薪沸かし湯で地下水であろう。薪だと微妙に温度がきめられないからか、この日は熱かった。
 
 
 

なつみかんが一杯なっている木がある。このそばに横須賀アリーナという体育館があって大相撲横須賀場所の地方巡業先になると
力士はこの風呂に来るのだそう。
 

昭和6年改築記念の写真がカラー化されて飾ってあった。湯屋といわれていたそうで、随分と多くの働き手がいたようだ。
右端の少女も10歳くらいだとしたら、もう今105歳くらいだから亡くなっているだろうなあ。
 
 

更には衣笠商店街にできた「やきそばのまるしょう」なんとなく観た看板だと思ったら毎日車で通る文京区の坂上におなじ名前の店があって数店舗あるチェーン店だった。千葉の会社で文京区に続き横須賀の衣笠にできたという事だった。まえまえから食べてみたかったので入ってみた。

はじめて食べるソース焼きそば。
まーふつう。自家製麺とのこと。
 

やきとり相模屋。横須賀に住む人や米軍人で食べていない人のほうが少ないだろうか。たちぐいの焼き鳥屋。
こういうのは東京にもあまりない。
 

昔(数年前まで)はこの道(公道か私道かは知らない)で立ち食いだったが今は中になった。元々1くし70円程度であったが今は¥150になったのでちょっと立ち食いはできなくなっちゃった。実においしい焼き鳥だったが。きやすく名物が食べられないというのは、とても残念なことの一つである。2Fの呑み屋で1本150円なら高いとは思わないが1Fのここで昔から20本くらいは食べていたので今は3000円になってしまう。ちょっと高い感じがするなあ。
 

深田台にある竜馬の元妻おりょうが住んでいた家の跡。30年ほどいたらしい。この狭い植込みの部分がそうなのだろうか?
 
 

街並みがいかにも横須賀である。
 

 

TOHO日比谷3番スクリーン(ここは小さい=94席)で上映があった。映画「地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン」4K

このゴジラシリーズはどこで告知がなされているかわかりにくいので時々チェックしている。

 

この映画にはひし美ゆり子も出ていてその部分は好き。1970年代ウルトラセブン以降だとついつい東映ポルノ路線やなにかの彼女を

思い出しながら見てしまうなあ。空手アクションシーンはいいなあ。ビキニとかだったらなおいい。

 

 


 

ゴキブリ族の宇宙人の会長役の少年俳優は誰なんだろうなあ。まーいま4K映像でこの東宝作品がスクリーンで観られるのはとても良い事である。

 

 

TOHO日比谷ではまだ公開前のアバターのパンフやズートピア2のグッズを先行販売している。他でもそうなのだろうか。
ここもTOHO新宿でも松竹作品「TOKYOタクシー」は上映は無し。TOHO池袋では、やっている。
 

 
 

本作はもうタカラトミーのぬいぐるみや玩具はすでに多く玩具売り場に並んでいるがここはものすごい宣伝だなあ。
こんなことしなくてもお客は入りそうだが、今年やった「星つなぎのエリオ」は全然入らなかっただろうからなあ。

 

 

 

当たり前のことだが自分は横須賀のほうが新宿よりも空気も水も合う。
ミー坊の父親は大正13年生まれで大津町出身で戦後は浦賀ドックの社員だった。
母親は大正14年生まれ吉倉町出身でミー坊自身も生粋の横須賀人である。
 
自分の甥っ子姪っ子たちは2分化していて、ベース(米軍基地)などに勤めている姪っ子は「わたしはもう横須賀でいい」
などというか、「横須賀なんて田舎だから嫌だ」といって東京で務めたり東京や横浜に引っ越したりしているものもいる。
 
 
 
本当に久しぶりに深田台にある横須賀の博物館に来た。文化会館の裏手にある。
昔はもうすこし殺風景な場所であった。
 

今、特別展でこういうのをやっているので行く。
横須賀市は米軍の攻撃が少なく、戦後東京の様に焼け野原になった場所に比べ、復興がずっと早かったのだ。
片付けや建設の時間が少なくて済んだからに他ならない。
 
 

ここは無料なので自分も小学生のころは良くきて遊んでいた。すいているし。優秀な学芸員の人もいるらしいが、駅から歩くのでいかんせんここには人が来ない。だから特別展をやっているのだろう。まー近所の小中学生が遊びに来るくらいだろう。
 
この中島という先生はシャコの研究をされている人っぽい。
 
 
自分もシャコはモンハナジャコなどを飼っていたこともあるので好きなほうなので
この紙の写真を撮る。これは学会の研究発表(3人で書いている)のときの表紙だと思われる。時間は15分のみ与えられている。(これが普通)これを発表した後15分ほど質疑応答がある。
 
どんな先生かサイニーで検索すると
 
 
今年3月に琉球大学(国立)で博士号(大学院博士前期のあとで博士後期に合格しそれを4~5年で終了すればもらえる学位でかなり大変で普段から勉強ばかりしていないと無理である)を取っていた先生だった。4月からここに就職したのかもしれぬ。
論文の要旨(まとめた部分)を読むとシャコは日本からは約70種が記録される(70種類がいるというのをこういった書きかたをするのが普通である)と書いてある。そんなにいるのか。この先生は本州に住んでいる2種類のシャコについて研究をしている人だった。なかなか面白そうな研究である。このように博士論文は公開が義務付けられているので誰でも閲覧が可能である。
 
因みに琉球大学の先生(教授)にはタコの研究で有名な池田譲という先生がいるのだ。
 
 
 
 

高台で行くのが大変というのもあって、ほぼ人はいないが横須賀中央公園と言うのがここにはあってこんな風に東京湾が見渡せる。トンビがたくさん飛んでいるので、ちょっと崎陽軒の弁当を喰うという訳にはいかない。(トンビが食べ物を狙ってくるので)この光景は子供のころからずっと見てきていて自分にとって海=港なのである。マンションはこんなに増えたが地場で働く人は少ないだろう。みな品川くらいまで京急で通う東京、横浜の会社員が圧倒的に多い街である。(横須賀には働き場所や学校も少ないからそうなる)
 
 
写真で見える島は無人島 猿島である。ここに行くにはトライアングルという会社が船の運航を横須賀市からの委託を受けて行っているが1社の独占契約であり(まー他にやってくれる会社もなかったんだろう)自分はあまり好きではない。アルバイトの人たちもぶっきらぼうで社員教育などないのだろう。横須賀の店や接客はこういうところがダメなんだよ。そういう態度が横須賀的でかっこいいと勘違いしている人たちが会社をやっている部分が多く見受けられる。葬儀屋や横須賀中央のお店、クリニックでもまだまだそういうところが多い。東京なら通らないことも全然通ってしまう。そもそもクリニックなども東京と違い商売敵が少ないのでそれでもやっていけてしまうのだと思われる。井の中の蛙(医の中の蛙)大海を知らずである。総合病院もいまだに横須賀共済病院がメインである。医師の数も少なく、こんな旧式の病院ではなあと思う事がしばしばあった。基本ここが一番だと思う人が多く、選択肢も少ないので重篤な病気の人はここに来る。築地や柏の国立がんセンターに行こうなどと思う人がそもそも少ない。
 
いろんな面で、「だから横須賀の田舎者」だと言われてしまうのである。(言われなくても田舎であるが)
自分も含めそういう部分が少なからずあるのが横須賀人で軽蔑に値する。
 
 

これは移設されたもので昔はもっと下にあったっぽい。台座は新しいものに変わっている。
デッカー司令官の下に新しく同じ大きさの英語表記も彫ってほしいところである。この方は米軍関係者だもんで。
(ただ敬意を込めて日本語だけにしている可能性もあるが、米国人が読めないのではね)
 
 

ベントン(ベニー)デッカーは戦後すぐに横須賀海軍ベースの司令官になった人で
この名前は横須賀ベース内にある映画館にも残っていてベニーデッカーシアターと言う名前で2スクリーンある。
 
(この海軍のHPで何を上映しているか見れる。ウィキッド2やズートピア2、アバター3などは米国の公開日から上映)
 
基地の中にはニミッツストリートのように昔の海軍軍人などの名前が付いた道や建物が数多く存在する。
 
横須賀市民で米軍関係施設があることに反対する人はかなり少なく(沖縄とは大きく異なる)デモをやっている団体は横須賀の人たちではなく東京からきたりしているバイトの人たちである。これは全国的に勘違いしている人も多いだろう。
 
横須賀市民にとって原子力空母ジョージワシントンが母港としてここにいることは誇りであり、世界最強の第7艦隊旗艦ブルーリッジがここを母港としていることが自慢なのである。巨大米軍基地(横須賀は面積では横田より狭いが人数は日本一多いのである。自分が思うに米国人居住者が最も多いのがこの地だと思う。ただここで働く人々の人数は日本人も米国人も秘密であり、実際はわからない)は日本人従業員なしではもはや運営ができない施設である。
だから反対する人などほぼいないのである。嫌っていたらネイビーバーガーなどという名前を付けたハンバーガーなど売るモノか。ちょっと冷静に考えればわかる話である。
 
 

 
 

これは恐らく自動車を積んで輸出(横須賀には輸入される車は下ろされないと思う。輸入車は大方名古屋港が中心である。)するための船が停泊中。日産は自社工場裏に港があってそこから積むので日産以外の会社かも。自分が中学生頃(1976年くらい)には横須賀港から多くの左ハンドルのスバル車が積み込まれていた。群馬には港がないからだろうが。新潟ではなくなぜ横須賀だったんだろう。トヨタ車とかと一緒につんでいたのだろうか?
 
 
 
●wowowで「ツイスターズ」をやっていたので録画して最後のクライマックスのみみる。
映画館のシーンが見たかったのだがそれがエンディングだった。映画を観に来ている人は
映画館が身近ですきだろうからこういうシーン選択はドンピシャだと思うが上映作品が白黒のスタンダード画面と言うのが
ちょっとなあ。何の映画かわからず。
この手の作品はCGだし、もはやクライマックスシーンだけみたらそれで満足してしまうなあ。
お話はどうでもいいような。
 
 
 
 

干し柿がうまい事、新宿のベランダでもできた。
 

新潟県燕市の産直でかった渋柿である。
 

これ。10個で500円を2袋買った。さわし柿とは何のことだろう。
 
 

この辺り(三条市、燕市)には渋柿が多数なる木はいくらでもあって、もう面倒なので干す人は大分減ったとのこと。誰もとらず鳥が食べるくらい
だと。柿は甘柿であろうとも1つの木から大量に取れて、1家族ではそんなには食べられず、どこの家にも1本くらいあるというのでだんだん取らなくなっているという事である。
 

こういうものもうっていてこれに浸けておくと甘くなるんだとか。
20代までずいぶんと映画を観ていた地元横須賀にあった映画館横須賀劇場(を含む5館=5F~6F=横須賀劇場、4Fに4館=有楽座、プラ座、名画座、スカラ座)の入っていたヨコビルも含め再開発でその全てが2025年に解体された姿を観に行きたくてようやく訪れた。)パチンコアビバの看板の前辺りがヨコビルで他の近隣のビルも全て壊している。地下はなかった。
 

61歳のミー坊が生まれて初めて見る光景である。
 

 
 

 
 

どれほどの時間をこの場所で費やしてきたかわからぬが、2本だて映画を一体何十回みていたのか。
最大の横須賀劇場(5Fが入り口で6Fまで使ったスロープダウン式劇場)でみた最もエキサイトした映画は間違いなく1977年公開のギラーミン版「キングコング」(「がんばれベアーズ」と2本立て)、他にはブルースリーの「死亡遊戯」(「カタストロフ世界の大惨事」と2本立て)だろうか。どちらもお立見超満員でこれ以外に皆行くところはないくらいいっぱいだった。それくらい横須賀に人がいた時代だった。
 
70代のいとこ曰くここでもっともお客が入っていたのは「レマゲン鉄橋」だったと。
 
 
このころでももっと年上の本当の映画ファンは「キングコング」をここの小さめのスクリーンで観ることには満足できず電車で1時間半ばかりかけ日比谷の有楽座やテアトル東京のスクリーンで観に行っていたに違いない。
自分も高校生になったらそういう考えでそうしていた。こんな田舎の劇場で観ていたら映画ファンの名に恥じるとそうおもっていたのも今では懐かしい。特に「影武者」の時そう思った。わざわざ日比谷映画まで見に行った。
 
なのでもう少し後の超大作映画はほぼい横須賀では見ていないので横須賀劇場でみた名作というとこんなところになってしまう。
 
他にも随分と見たが都内
のロードショー1本立てで観た後更にここで2本立てロードショーをまた見るという事もまーあって
おぼえているのは「トワイライトゾーン」(松竹セントラルでみてから)ここで「ストローカーエース」(バートレイノルズ主演)と2本立てで観ている。
 
トワイライト~で命を落としたビック・モローもストローカーのバートレイノルズも日本での吹き替えは田中信夫で実際にもそうなっていた。
 
「ワイルドギース」と「スウォーム」、「ナイル殺人事件」と「ルパン三世」、「マッドマックス」と「メインイベント」、「レイズザタイタニック」と「がんばれタブチ君」の何か、「エンドレスラブ」と「キャノンボール」、「ディスイズエルビス」と「デビルスピーク」、なんかも相当人が入っていた。
 
「マイボディガード」と「フラッシュゴードン」や「ミッドナイトエクスプレス」と「アイズ」、「処刑教室」と「少林寺への道」(この2本は自分にはよかったなあこの時代が最も楽しかったなあ)、
 
 
特になにを見たのか覚えていないが
この5Fで初めてみた映画は「マイウエイ2」と「愛のメモリー」の2本立てだったような気がする。キングコングが先だったかもしれぬ。
 
ジャッキーチェン作品と「がんばれタブチ君」のアニメシリーズはほぼ全部ここで観ただろう。自分は野球に関心がないが、2本立てのほうがとくとおもい観に来ていた。
 
後はたいして混んではいなかったが「ウインターローズ」、「オータムストーリー」、「ヘブンリーボディーズ」、「タップス」、「コクーン」とJ.チェンの「国際警察ナントカ」、「ファイヤーフォックス」「エアポート80」「アウトサイダー」「カランバ」
 
「鷲は舞い降りた」と「史上最大の作戦」
「スペースサタン」と「ミュージック・ミュージック」、
「未知との遭遇特別編」と「今のままでいて」、
「アリゲーター」と「マルホランドラン」、
「象物語」と「火の鳥1997」、
「アメリカンバイオレンス」と「バーニング」、
「エクスカリバー」と「タイムアフタータイム」、
「ブッシュマン」と「MR.BOOアヒルの警備保障」、
「メガフォース」と「コブラ」(アニメ)、
「ランボー」と「地中海殺人事件」、
「ワンフロムザハート」と「マジックボーイ」
「ヘルナイト」と「チャタレー夫人の恋人」、
「バトルトラック」と「悪漢探偵」
「ネバーセイネバーアゲイン」と「グレートハンティング84」
こういった2本立てで観たのだがもっともっと見てるなあ。
 
 
 
 
 
 

 

 
 

 
 

空き地になった右側にあったビルはミー坊が子供のころは「センターヨコスカ」というデパートのようなビルで屋上に観覧車があった。
 

その後、ビルはそのままで緑屋というデパートビルになった。
 

 
 

大の里対青にしき
大の里の足が先についている。青にしきは空中。
ビデオ判定もなけりゃ、物言いもなし。
一体どうなっているんだ。
 
 

めったにないが、これで横綱の勝ちとは。恥ずかしくはないのだろうか?