●先だって埼玉県の浦和で(いまはさいたましうらわく)100歳の人の葬儀に出席させていただいたのだが

その葬儀がまるで黒澤明の映画「夢」の最後のストーリーのようで(年寄りの葬儀はめでたいものという扱いで劇中亡くなったのは99歳の女性という設定)あった。そうはいっても映画のような葬列があるわけではなく、兎に角その内容が和気あいあいと楽しい(失礼)ものだったからである。それで「夢」のそのシーンを再生してみた。このシーンには常田富士夫(故人)がエキストラで参列しているのがまた豪華(というか常田富士夫が出たいと言ったのかもしれぬ)だったりして、いいのだ。

大昔、横浜ピカデリー(これはワーナーブラザースが配給だったので黒澤でも松竹洋画系列での上映になったのだ)のスクリーンで観た日の事を思い出す。映画

映画で寺尾聡と笠智衆の会話の中で人間は便利なものばかり求めてきて、それが普通になってしまうと・・・云々というシーンがあってハイブリット車を便利でよいものだと思う自分が何となく恥ずかしい感じがしたなあ。

 

●ジャッキーチェンの新作映画なにやら面白そうだが、最近はジャッキー映画も宣伝が少なくていつから公開とかそういうのがわかりにくくなってきたなあ。大昔東宝東和配給のゴールデンハーベスト大作のころの「サンダーアーム龍兄虎弟」なーんてこれでもかーっていうほどのCMやっていたもんなあ。というわけで「サンダーアーム龍兄虎弟」を少しだけ好きな部分を再生。一番好きなシーンは橋の上でジャッキーチェンが乗る三菱ミラージュ改造のミラージュスパイダーを操り、2台のパジェロに挟まれて逃げられなくなったところミラージュの中から小さな車で脱出するというシーンだ。このころはまだ三菱も売れていて香港での展開も大きくやっていてジャッキー映画と組んでいくつもの車を登場させ販売に結びつけていたいい時代だったなあ。

 

●まだ日にちが公表されていないが丸の内ピカデリーでワーナーブラザースジャパンさよなら興行でクリント・イーストウッドの映画「グラン・トリノ」をやるのだ。

ロードショー時バルト9の小さいスクリーンで見たので丸の内ピカデリーの巨大スクリーンでこの名作を見てみたいのだ。

本作のセリフで

朝鮮戦争で人を殺したイーストウッド演ずる男は国の命令でそうしたわけではなく

自分の意志でそれをしてしまったことが恐いのだ。

という部分がある。これがいいんだよな。

 

 

 

 

 

 

日本語のタイトルにあるプロットとは「お話」という意味の英語である。
2023年の作品。
 
 

マイケル・キートンは「ガン・ホー」(これは日本公開があったようなのだが、なぜかビデオでしかみていない。)などは気に入っているが、バットマンやバードマンやスパイダーマンの敵役などあまり好きな映画には出ていないんだよな。本作にはアルパチーノも出ている。キートンは認知症を患う殺し屋の役。今やアルパチーノが出ている映画でも輸入はスルーされてしまうほど洋画にお客が来ない時代なのだろう。
 
キーパーソンは頭脳明晰な日系女性刑事のイカリ(イカリノとかイカリヤと言うのは聞くがイカリはあんまりいないような)
が解明していくお話。
 
 
 
監督はキートン自身。2023年の作品。キノシネマは最近2~3年前の作品を輸入して配給することがあるようだ。
 
 

 
 
横須賀の米軍基地内のベニーデッカーシアターのプログラムにはマイケルキートンの新作映画 ジャックフロストがもう上映されてがいた。
1980年公開の作品。一体誰がジャグラー(ストリートパフォーマンスを見せたりする人、道化師などのこと)なのか。不動産王のことっぽいが。いまみても良くわからぬタイトルである(英語タイトルはジャグラーの夜)
 
この映画1980年の公開時に横須賀劇場の地方2本立てでサンゲリアと2本立てである日曜日朝9時5分から各4回=全部で8回を1日で見たと過去に
書いていたが映画日記を26歳の引っ越しの時に紛失したためそう思い込んでいるだけで、
もしかしたら、1日8回の上映は時間的に無理ではないかと思い始めた。実際は7回上映だったのではないかと。日曜は平日の3回づつの合計6回より1回多くなってメイン映画が最初に来て9時5分~サンゲリア(これ自体が珍しい事で、通常は土日は時間が変わりB面が先=この場合はジャグラーがB面が普通で平日はジャグラー~サンゲリア~ジャグラー~サンゲリアという順番で上映される。サンゲリア、これは人気映画だったのでサンゲリアの上映回を9時5分から1回分足しただけだったのではないかと推測=サンゲリアだけ見て帰る人がおそらく15%程度いるのでその分椅子が空く=1980年当時は立ち見がオーケーだったので満席という言葉はただいまお立見になりますという言葉に置き換えられており、入りたい人にはチケットはいくらでも売っていた時代である。だから座席があろうがなかろうが関係がないのではあるが。今は消防法などの理由でだめであるような気もするが新宿ミラノ座の最終日のETは立ち見がだけでも200人くらいはいただろうから禁止ではないのかもしれぬ)つまり平日上映が各3回の合計6回、土日が7回上映だったとしたらような気もするが)まーこの2本立ては横須賀のような地方都市でも満席ではなく半分くらいはいっていたようなイメージだっただろうか。
 
自分が見た最高回数の記録は変わりないが、サンゲリア4回、ジャグラー3回であったのかもしれないがもはや横須賀劇場の時刻表等神奈川新聞の縮小版でしか確認は不可能である。
 
 
 

16歳で何度も観た映画、反対に書いた61歳ではどうか。
冒頭ビスタサイズであったことを初認識、あと4Kにしては色が汚いというかフィルムの粒子が荒い感じがしたがこんなものなのかも。70mm作品だと結構4K版は奇麗になるが。最初の目玉焼きのシーンはやはりよーく覚えていた。
こんなことして勿体無いと。
 
 
まるで16歳のときに横須賀劇場で連続してみていた時にタイムスリップ(大げさだが)した気分である。
シネマート新宿1のスクリーンサイズが丁度横須賀劇場のそれと同じくらいだからかもしれない。
 
61歳で思うのが、
 
劇中ブローリンが娘の誕生日を祝う場所は「ドナルド」っていう誰もが知るレストランだというシーンがあり娘がそれってマクドナルドでしょ。「誕生日にマクドナルドはないわよ」というシーンがあるのだが
 
誕生日を祝うのにはちょっとマクドナルドが安い飲食店であるといったセリフの意味が16歳の時にはわからなかったような気が(日本では1980年にマクドナルドで誕生会する人は実際にたくさんいたからだ)するなあ。
 
まさに日米ヒエラルキーの違い。今なら日本人にも通じるこのセリフ。
 

 
 

 
 

パンフは買ってしまった。
 

これを買う人がいるのか。(オープニングシーンの目玉焼きだが人の顔にして血みどろにしてやるという意味だったのかな。)完売とあるがいったい何枚作ったのか。各10枚しかなくて、それでも売切れたら完売は嘘ではない。
 

1980年上映時の広告。地方ではこの2本が東宝東和配給で同時公開だった。

サンゲリアのほうが断然面白くショッキングであったが。サンゲリアはビルはいまジャグラーをやっている同じ場所で

「新宿文化シネマ1」=現在のKINOCINEMA-1だと思われる。ビル名は新宿文化ビルでシネマート新宿とKINOCINEMA新宿の計4館が入っているビルはいまも健在ーでもやっていたようだ。ジャグラーは「新宿ロマン」=隣のビルにあった巨大劇場のようだ。今はユニクロが入っている=でやっていたようだ。

 

 

 

1983年のぴあマップ参照。このころは新宿ではほぼ見ていないので詳しくは資料を見ないと解からない。

 

 

 

 

 

観ていない人にはわからないが誘拐される少女役

アビー・ブルーストーンさんは本作とリトルダーリング

くらいにしか出ていないっぽいのだが、インスタグラムをやっていてそこから

写真を引用しましたがいまもお元気の様子。

もう61とかそういう年齢だと思われる。

米国では9月に4K版が公開されていたようでそれで日本でも上映が可能になったっぽい。

わざわざ4Kを作るにはちょいと日本ではマイナー作品に入ってしまう映画だと思った。

 

 

最初に結論を書くと開業医の先生で話をほとんどしない先生というのはやっぱりいい先生とは言えないと自分は思う。

ただ医師をやっている以上悪い人ではないとは思うのだが。

 

なんでも、はいはいと聞いてくれる年配の患者さんだけをみているとそういう傾向になるのだろうか?臨床医とは遺体の解剖を専門にする医師とは違うのであくまでも生きている人間の病気を治したり痛みを緩和することが目的の場合が多い。

 

 

4年ほど通っていた新宿区の眼科クリニック(女医先生)に行くのを最近辞めた。自分は基本こういうことはしないたちだが、

理由は先生のインフォームドコンセント(医師による説明など)の不足が酷くなってきたからだ。(ほとんど何も説明してはもらえないというか話をしない医師)昔は横須賀あたりの総合病院じゃ医師不足で本当に末期がんの抗がん剤の話ですら(もちろん私の話ではないのだが)詳しく説明せず薬の取説を渡してよく読んでおいてくださいねなーんていう医師はいたがここはまだ総合病院の勤務医の話でこの先生は説明しようがしまいが給料は変わらないわけであった。

しかし自分が通っていたのは開業医の眼科の先生のクリニックである。

 

元々台東区の会社そばの眼科(女医先生)のところになにかあると数回行っていたのだがこの先生がまたほとんど口を開かない人で嫌だったので新宿区の先生に変えたらあら、そこに比べたらまだ、ましだったのである。(あまりステレオティピカルな事は書きたくないが、内科だとここまでの開業医はすくないという印象だが眼科だといるのかなあ?)

3年ほど前にすこし白内障もあるといわれ(両目とも)まだそんな年齢でもないと思っていたが6か月に一度大きな病気がないか検査しに通っていたのだが今年の6月に急に白内障の手術を4か月以内にやった方がよいと急に言われた。それで手術を受けるのだが、そんなに進行した白内障だと思っておらず(それまで何年間か何も言われなかったからわからなかった)手術は総合病院で受けるのであるが来年で大分先になってしまった。

 

これでは定期的に眼科に通っていた意味がない。

 

白内障はだんだんと目が見にくくなってくるのだが白内障だと思っていないので眼鏡の度数をなんどかあげて(白内障の人はあげても見えるようにはならない)みたりいろいろ勝手にやっていた。

 

かかりつけの内科の先生にこの話をしたら「先生と患者との価値観が合わないので早目に辞めて別のところに行った方がよいと思うし、また同じようなことが起こってもつまらないから」と。確かになあ。通ってる意味のない眼科はやめたほうが良いなあ。医師ならもうちょっと早く白内障が進んでいると教えてくれればなあ。

 

新しい新宿の眼科クリニックの先生(女医先生)はわりとフレンドリーである。こういう人のほうが何でも聞きやすくていいよなあ。

 

 

 

●ロバートレッドフォードが亡くなってからまだ彼の映画を最近見ておらずだったので「大統領の陰謀」をすこしだけ再生。

ニクソン大統領時代の話(ニクソンは第2次大戦中は米国海軍元少佐の弁護士だったがその後ペプシコーラの販売戦略か何かを考えた人で政治家に)やっぱり1970年代のフィルムの色は自分は好きだなあ。いまのはどうも・・・。やっぱり自分は「スティング」が映画も衣装も最高だと思うなあ。

 

●12/7日曜日NHKBSで「トラ!トラ!トラ!」を放送していて

ちらっと見たがやっぱり1968年の「猿の惑星」しかり、CGのなかった時代の映画のほうがいいなあ。何となくリアリティがあって。この放送日が真珠湾攻撃の日で三橋達也が海軍軍人役で出ているがこの方は実際には元陸軍でシベリア抑留者であったそうで、1971年当時はまだこういう軍隊経験者の俳優がたくさんいたから芝居もまた未経験者とは違ったものになるのだろう。

20世紀フォックスはディズニー傘下になったのだからこの辺り午前10時でできないものかと思う(今だ劇場で観たことがなく高校生の時、川崎国際という三番館で上映されていたのに行かなかったのはいまだに悔やまれる。家のホームシアターでブルーレイソフトをデジタル再生するのと35mmフィルム上映では全く異なる。本作品は米国でIMAX化されてもいいくらいだと思うが。

 

 

 

映画とは関係がないが、俳優の丹波哲郎が読売巨人軍の川上哲治が亡くなってからだと思うが、川上さんだけは絶対に許せない人であると著書に書いていて、何かにつけて、ひどい鉄拳制裁を受けていたという事である。この「絶対に」と言う部分が意味深であり、こういう話は好きである。


(川上哲治は戦時中、立川陸軍航空整備学校の教官を務め、部下に丹波哲郎、虫明亜呂無、芥川比呂志がいたが、丹波と虫明は後年、著書で川上からよく殴られていたと記している。)芥川だけはそれを口外しない大人だったのだろうか?(川上に迷惑がかかるし、自分もそんなことを言う人間と思われるのを嫌ったからか?しかしながら丹波も虫明も相当な人物であろうと思うのでよほど腹に据えかねる事態を何十年も引きずっているとも考えられる。)

 

山田洋次の映画「息子」でも三國連太郎を戦時中殴っていたという元上官が出てくるが

「あの時はそういう時代で仕方がなかった。申し訳ない」と気弱そうな老人になっている元上官(この人がまた上手)が出てくるが三國の芝居はそれでも本当は許せんと言う感じで彼を避けるのであった。多くの人の本心(本当はもう思い出したくもない人物)はそうなのだろう。演出がとてもいいシーンであった。そういう時代でも優しい人もいたわけで、こういう時にこそ、その人間の本性が出るわけで、何十年後にも仲良くふるまうのは難しいことかもしれない。

 

●ピーター・フォンダの出ている映画「ダーティーハンター」が1月にシネマート新宿にてリバイバル公開。ベトナム帰還兵のお話でまだ1970年代前半の作品。まだベトナム戦争まっただ中でこのような作品を作れるのはやはり米国ならではと言ったところだろうか。やっぱこのころの映画が観たいなあ。

 

●2025年ももう終わる。今年は昨年よりもやや早めに休みに入れそうである。

もう築地場外に買い物にも行かないし(商品が高すぎて騙されていることにみな気づき始めた。)年賀状も85円ではLINEで画像データを送ったほうがタダであるからもう去年のようには送らない。会社関連もそうである。(自分は年賀状はなくさないほうが良いと思っている)何もかもが高くなった年である。大阪のビジネスホテルも万博始まった時はものすごい値段だったので寝屋川市に泊まったがそれでも10300円/1泊だったなあ。あー10日間くらい普通の月に休んで毎日、下田あたりの映画館で映画を観て、昼は海鮮、夜は温泉に浸かりたいものである。(ありえない話だが)もはや特別なものはいらないのである。(ディズニーランドに行きたいとか、有名観光地に行きたいとかそういうのはない)いまもこだわりがあるモノは時計(アップルウォッチは絶対に一生使わないだろう)と車であるが、もういいのがあるから新しいものは数年はいらんだろう。

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この映画、東宝はものすごい力の入れようでTOHO日比谷はツリーも含めズートピア2一色であった。
 
新宿はそこまでではないが。一応看板もZOOHOシネマになっている。劇場スタッフもみなうさぎの耳を頭につけている。
本作はIMAX上映は基本全部日本語版の上映で、英語では見られないっぽい。
ここまで日本語版推しだと、もはや邦画のような扱いで、洋画なのにものすごく多くの人が見るという最近では珍しい
現象である。
 
しかしながらこの辺りの作品、主人公のジュディ・ホップスというなまえの意味もそのままだと分かりにくい
ジュディ・ぴょんぴょんというような名前なのでやはり字幕が読めるのであれば、英語で観るべき作品であろう。
本作品の根源にあることは1も含め米国内においての人種による差別などであろう。
 
ヘビや爬虫類は悪い奴らと思われていたが実は・・・。
兎に角ヘビのゲーリーがいい。
声をやっている元ベトナム難民のインディージョーンズのキー・ホイ・クワン(これがいい)を使ったのは、
アカデミー賞でオッペンハイマーで受賞した俳優ロバートダウニーJR
にオスカー像を渡した際に無視されたという事を意識したキャスティングだったのであろうかなあ?
 
ドルビーアトモス再生で映画を観るのは「ロズ」を観たとき以来だが最近どうも音の良さがわかりにくいなあ。
 
 
 
 

 
 

 
 

アバターは池袋IMAXで観たいものだが、なんかこけそうな気もするなあ。
この作品は東映配給で新宿では東宝系のTOHO新宿、松竹系の新宿ピカデリーそのどちらでも上映がなく
T-JOY(東映系)系のバルト9に久々に来た。バルト9は前の2館に比べ料金が高いので基本行かない(シニアも65歳以上、学生も1600円であるがT-JOYは劇場が少ないのであるがこの新宿のような場所では選ばれてしまうので不利である。よって本作のような東映配給系の作品はここに皆が来るようにするには近隣劇場で上映させなければバルト9に集まるという事かもしれない。
 
TOHOでも立川立飛では上映があるようだ。
 

新宿伊勢丹はもうクリスマス商戦真っ只中。この時期は特にみなここに買い物に来る。
伊勢丹には自分はもはや買うものが無く
7Fにある和食会席 分とく山 にしか来なくなったがこういう日はとても混んでいるのでパス。
この分とく山の隣にある店には自分が尊敬する美川憲一が時々来るようだ。
 

ここは新宿ピカデリー程ではないがけっこう混んでいる。映画館の下の階が飲食店街という事もある。
(映画を観てから食事とかね)
現在の新宿のシネコンのなかでは最も最初にできたものである。自分も新しい新宿ピカデリーができるまでは夜中も良く来ていた。
 
自分は2006年にパラオのコロールからその先のペリリュー島もツアー【4人だけだった】で行ったことがあってこの映画はみたかったのだ。
因みに白泉社の漫画は知っていたが読んだことはない。日本製アニメを見るのも久しぶりな気がする。「化け猫あんずちゃん」とか「キメツ2」以来かもしれない。
 
パラオに行ったのは1968年のリー・マービンと三船敏郎の映画「太平洋の地獄」(唯一2人以外一切人間が登場しない。動物もヤドカリとシャコ貝のみであるハリウッド映画で70mm作品でもある)を映画人生上から3番目に愛する映画であるミー坊はどうしても撮影現場に行きたくて行った場所である。
完全な米国資本(コンバットを作っていたセルマープロダクションが製作)の作品だが、日本人描写の脚本は橋本忍で日米撮影スタッフの内日本人1人が現地に残って住んでいる人がいる。
三船敏郎が撮影中に遺骨を拾って持ち帰ったとなにかに記述があった。とにかく日本人や米国人(テネシー州出身者と言う設定)
の描写がリアルなので嘘が少なく好きなのだ。パラオで撮影されたハリウッド映画はとても少なく本作だけではないかと思われ多くのパラオ人が知る映画である。
 
 
このパラオという国のホテルなどの資本は台湾系企業が多い。アントニオ猪木の名前が付いたイノキ アイランドのすぐそばまで
も船でシュノーケリングツアーで行った。ここはかなり深く1m超えの大型シャコ貝がたくさん生息。パラオ共和国は外国人が土地を購入することができないのでイノキアイランドは名前だけで猪木が持っているわけではないが、多くの本で猪木はパラオに島を持っていると書かれている。リー・マービンアイランドもあり、有名人がくると名前を貰っているらしいが名のない島も多々あるからである。
 
 
本作のゲルニカの意味が分からず調べると1937年にピカソが描いた絵のタイトルで反戦画のシンボルということらしい。
タイトルの意味の説明がないので知っていないと意味がわからぬ部分はちょっとマイナスかと。
 
ペリリュー島の滑走路(2006年には草ぼうぼうで使われていなかった)は短くて小さいもので、米軍がこれを使ったかどうかは
よくわからぬが…。パラオのコロール島付近には日本軍がつくった建物などは今も多く残っていた。墜落した三菱製のゼロ戦の残骸にも実際に触れることもできた。
 
ペリリューには2006年にもこの島には水がなかったので今も水道はないと思う。ペットボトルの水は多めに持っていった記憶アリ。日本軍は雨水を貯めて飲んでいたと考えられるし、昼間に行ったので電気があるのかどうかもわからなかった。
住んでいる島民もほぼいなかった。
 
 
パラオと言えば舩坂 弘(=ふなさかひろし=渋谷駅前スクランブル交差点にある書店の創業者でパラオからの34人の生還者の1人)さんの本も持っていたような気もするが、パラオにいったあとで、この人の本を知りそれで、昔この書店の地下にドイツ軍関係などの軍服を売るお店があったこととつながった。
 
最期の生還者だった茨城県出身の永井敬司さんと言う方も98歳で結構前に亡くなったのでもう生きている人はいない。
 
 
 

この映画は主人公の声を板垣李光人と中村倫也で2人とも好きな俳優である。
この話はフィクションであると思うのだが、
シーンの中で本当は違うのに勇ましく死んでいったという作り話を家族に伝える部分は漫画「はだしのゲン」で
長男が海軍に入り予科練でしごきに耐え切れず自殺した友人の死がうその報告書で両親にその名誉の死が伝えられ、真実を伝えに行った中岡の長男がその友人の両親から罵倒されるシーンを思い出した。まー皆このように良くも悪くも国に騙されていたのだろう。
 
アニメは3等身の絵で遺体の変化や蝿やうじの描写があったり、米兵は英語話者による声でそれがとてもよかったと思う。
米軍が夜のリクリエーションで映画(キングコング)を観るシーンがあるのだが?電気がないのにどうやって映写機を?とも思ったが
おそらく実際に発電機を用いて映画を観ていたと思われる。
 
エンドロールの後にも重要なシーンがあったので途中で帰った人が結構いたが残念である。
エンドロールの文字移動のスピードが通常の映画より早いというか文字が揺れて見え読み取れなかったがこういうのは初めてだった。
 
 
 

 
 

ここの3番スクリーンの椅子はけっこういい。一回くらい交換したかもである。椅子はリースかもしれない。
この回は70%は埋まっていただろうか。戦争ものも「雪風」に続き、まだお客は入るのだな。
今回のはCGアニメだから実写よりも安く作れたのかもしれないが。
 
 
またパンフ¥1000も買ってしまう。A4サイズは管理しやすい。
もう感覚がマヒしてしまっているが1000円までなら買ってしまうものもある。昔300円だったころが懐かしい。
最近のパンフは正直高すぎる。買わずにもう一本映画を観た方がいいだろう。
 
パラオにいったあとでこんな本も読んだなあ。
生き残った人が書いたものだ。穴に隠れていて火炎放射器で1度に200名ほどが死ぬと書いてある。(事実か否かは不明)
この著者もそうだが、茨城県出身者がなぜか多い。
 
たしかにペリリューの日本軍が掘った穴の入り口は黒く焼けていて火炎放射器で焼けた跡であるようだった。
穴の中で自分が大量に見たものは戦時中のキリンビールの瓶が大量(何百)に転がっており、(昔のはもっと短い瓶)穴に貯まった水を汲んでいれて置いてあったのかと思われる。
 
 
 

多くの人はドルビーシネマと通常上映のズートピア2を見に来ているのだろう。
この真ん中のヘビのゲーリーがいい奴なんだ。声はキー・ホイ・クワンがやっていた。
ゲーリー ダ(ド)スネークと言う名前で日本流に書くと蛇野ゲーリーという名前であり、(ド)というのはいい家の出という事を強調したいがためについている名前であるので、これは吹き替え版では説明されていないと理解不能だろう。
 
 
この日の新宿
 
これまた悲しい。
数少ない日系人(米国人)ハリウッド俳優の1人のケーリー・ヒロユキ・タガワが脳梗塞で亡くなったと。
パットノリユキモリタとかと同じように日本語は本当は話せないのかもしれないが
かなりビッグな日系人俳優と言えるだろう。
 
米国人なので早川雪舟やマコ岩松のような日本人ネイティブから米国映画に出ていく人とは一味違う。
 
ケーリー(男性の名)というのは母親がケーリー・グラントのファンだったからそこからつけたそうである。
まだ75歳と。
 
特にうれしかったのはティム・バートン版「猿の惑星」で猿人役で東洋人初のメインキャストだったことだ(顔は見えない)DVDにはいっていたメイキングでは朝早くからタガワがメイクしに行くドキュメンタリーが田川の解説付きで入っていた。田川のライフマスクも渋谷の猿の惑星展に展示されていた。
エキストラとかには東洋人もいたのかもしれないが、メインキャストに東洋人を使ったのはやはり声とかなんだろうか。
科学を呪術だという良いゴリラ役だった。
 
 
ほかには「ライジングサン」の日本人やくざ役(これは結構いいイントネーションの日本語ではなす)ショーンコネリーが日本語を話す設定の役(8年日本に住んでいる設定なのに靴のママ家の中で過ごしていたり、まったく日本語は話さず、大分変な日本通)で、タガワが
「もうちょっとまっててほしいんだ」みたいなセリフのフレーズがあったなあ。、「リトルトーキョー殺人課」も同じような役で出ていて
けっこう好きだったなあ。「モータルコンバット」は最初のニューラインシネマのだけ劇場で見ているがあれは今一つであった。
 
この方が亡くなってしまったら、もうこのクラスの日系3世等のハリウッド俳優がジョージ・タケイ以外もはや、いないように思うのだ。クライド・クサツとかは存命だが、最近出ていないし、タガワほど映画に出ていない。
 
 
TVシリーズでドン・ジョンソンが主役の刑事ものナッシュブリッジスに時々出る準レギュラーの日系刑事シマムラ役で出ていたがこれがまたネックレスをつけててかっこいいんだなあ。
 
 
 
 
 

 
今朝の日刊スポーツを見てびっくり仰天。
ものすごいショック。
 

記事にもあったが、今年の7/6に新文芸座のトラック野郎大会(自分も島田陽子のでていた望郷一番星のみいった)
の1作目のブルーレイ上映の後、宇崎竜童(主題歌を夫婦で作詞作曲)と一緒にトークショーがあったのが最後の仕事だったと。写真が出ていたが随分と痩せてしまっているように見えたもののそもそも痩せているから、随分と老けてしまったなあと思ったが大腸がん治療中だったとはなア・・・・。
やはり大腸がんは2年に1回は内視鏡検査をしていないと早期発見はできない。やっぱり女性も男性もがん
死因の上の方にある。早期ならほぼ切除可能なのになあ。
 
あー73なんかでもったいない。
 
兎に角この方は、東映アクション映画(千葉真一ほか)にはどのくらい出ているだろうか。
宍戸錠の弟のごうえいじとの共演も随分と多いなあ。ミニスカートが似合う方だったんさあ。
松田優作の「蘇る金狼」のラストシーンで1シーンのみスッチー役で出てたりもしたなあ。
 
映画映えする容姿だったよなあ。本名もゆたか。
 
 
立川市は東京と言っても23区外で八王子市などとも近く最近はめったに来なくなった。
いろんなものがあるのだが、なかなかこっちの方にはよほどの用がなければ来ないなあ。
 

3年前に同じ場所でやっていた木下大サーカス。自分はこれは金額に見合っていると思っている。今回は6500円の席。
2/23日までここでやっている。
演目の内容は前回とは結構違う。けっこうおもしろい。
 
前回ここに来て以来立川に来ていなかったが、伊勢丹でも何でもある場所である。
 
 
 
 
 

 
 

テントの支柱を支える金属部品は地面に打ち込まれている。
 
 

 
 

売店では動物のぬいぐるみが随分売れる。
最近買わなくなったがパンフは¥1000
アスファルトの上に全部緑のシートを敷き詰めている。大変な労力だろうなあ。
 
 

ここの前にはららぽーともあってそのそばに単独の建物で(これはなかなかない)TOHOシネマズ立川立飛(たちかわたちひ)
ができていてIMAXもあるがまだ映画をみていない。立川駅周辺には映画の街と言われるシネマシティ1.2.(爆音上映などが有名)劇場がいくつかあるが自分は劇場のライブ会場的構造があまり好きではないのでめったにいかない。
 

 
 

 
 

立川駅になんととんかつサンドのまい泉がやっている飲食店があって、食べてみた。これは旨い。