紫陽花がやっと咲き始めた。
叔父の家(陽当りが良い場所)
このくらいの色が好き。
この叔父はテキトーに薔薇を植えて
「あとはよろしく~適当でいいよ~」と言う。
垣根・・つるバラの垣根が10mに渡って出来たよ
頑張ったよワタシ。丈夫なバラってスゴイよね。
清々しい写真の後で申し訳ないっすが。
はけ口としても使ってるこのブログなので吐きます。
28歳の頃。
ひとり暮らしの古いアパートで、ワタクシ泣いておりました。
忘れもしない、人生の大転換期でございます。
詳しくは覚えて(ないんかーい)ですが。
人の言葉に傷ついて。それが数回重なって
トドメに付き合って長ーい人からも重なった。
その日。
泣きながら、ふと思った。
よし!納豆食おう!
はぁ?と思うでしょ?
当時、とりあえず「ひとりで生きてみよう」と思ってた
ひとり暮らしもそこそこ慣れて、でも誰かに頼りたいような
不安定な時期。周囲からは結婚の圧力も酷かった。
そんな時に、泣くほど疲れてもうどうにも出来ない。
そんな状況になった。
私は思ったのである。納豆食おう!
泣きながら納豆は食えん!
そんな惨めな事あるか!
だから泣き止むしかない!
強くなりたい!
誰にも振り回されないように。
強くなりたいっ!
二度とこんな惨めな思いは。
絶対にしない!
はい!こんな女の出来上がり~♪
28歳で、その後の生き方変えました。
28歳で「なりたい自分」に向き合いました。
完成(笑)するまでには10年以上かかったけど
だから。自立してない人間が嫌いなんですよ。
出来る所まで自分でやって、探して苦しんで
もがいて、それでも出来ない所はヒトに聞くなり
なんなりしたら良いと思うんですがね。
問題が起こると「だれに頼ろう」って
まっ先に考えるような人間を誰が助けるというのだ。
みんな。自分の人生で精一杯なのだ。
そして、もうひとつ。
とある方が愛犬を亡くしてから
「思い出を踏みにじられる」という言い方をしていたが。
ああ、これ。これだ!と気が付くことがあって。
ヒトの思い出に勝手に入ってくることは。
思い出を踏みにじられる。のと同じだ。
そう気が付いた。
私はそこまで過激な言葉を使う事はしないが。
向き合って立ち直ろうとしてる所に
「余計な言葉」を入れてくるんじゃねぇよ。
だから「思い出を踏みにじる」なんて言われんだヨ。
あ!いけね過激だ!
(お育ちが悪くてゴメンなさいまし。
18から一人で育ったもので)
愛犬の死なんて、みんな一人で向き合うもので
夫婦だろうが何だろうが、別のもの。
他人なら尚更だ。
思い出を、大事にしたいのは当たり前。
その思い出は「その人の物」だから。
余計な事言ってくるんじゃねぇよ。
(お育ちが~2回目・以下同文)
うん。そうか~
以前に書いたけど。
「書くことはセラピーである」と。
書くと、自分の言いたい事がハッキリわかる。
教授にも言われたなぁ~はじめの頃
書いてみたら?自分で。分かるかもよ?
こうして表に出すと、批判もくるけど。
賛否両論あるけども。
それも修業だっ!わはははは!
みんな。
自分の人生で手いっぱいなのだ。
それで、良いのだ。(バカボンぱぱ)