縛り地蔵尊(青葉区米ヶ袋) | 弦楽器工房Watanabe・店主のブログ

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《現地、立看板より》
―「米ヶ袋」縛り地蔵尊由来―
伊達騒動の最中、奸物伊達兵部宗勝を討たんとして捕えられた烈士伊東七十郎重孝は、寛文八年(一六六八年)四月二十八日米ヶ袋の刑場で斬罪に處せられたが、その土壇場まで堂々と振る舞い、
「三年以内に兵部殿を亡きものにしてみせる」と云い残して予告通り仰向けにたおれたといいます。果して、兵部一族は三年後の寛文十一年に悪行が暴かれ、悉く亡びてしまったのです。
この地蔵尊は、正義のために非業の死を遂げた七十郎の供養のために建てられたと伝えられており、
“人間のあらゆる苦しみ悩みを取り除いてくれる”
と信じられ、願かけに縄で縛る習わしから縛り地蔵尊と云われます。
この縄は毎年一回だけ縁日に解かれます。

仙台市史「伊達騒動實録」「仙台傳説集」及三原良吉氏の記述他 参照
⬆縛り地蔵尊は、上の写真のとおり愛宕山の脇を流れる広瀬川の北岸に建っています。
風光明媚な清流という印象の強い広瀬川ですが、この地蔵尊の建つ米ヶ袋と、少し上流の評定河原橋(ひょうじょうがわらばし)は仙台藩の刑場があった場所で、暗い歴史の残映をとどめるかのように、今現在も河岸に殺風景な影を落としています。昔の栄華は消え失せやすくても、こういう負の過去は土地の雰囲気に残るものらしい。米ヶ袋は住宅地であるため、刑場の具体的な場所は明示されていませんが、恐らくこの地蔵尊の周辺に位置したと思われ、当時は広瀬川の水が罪人の血で真赤に染まる事もあったと伝えられます。
地蔵尊裏手の広瀬川⬇
謀反を企む者を討たんとして、逆に処罰された七十郎の霊を供養したお地蔵さまは、いつしか人々の苦悩を取り除いてくれると信じられるようになり、特に広瀬川流域では水死者が出ないことで知られた。川に身を投げた女性が、下流の木の枝に引っ掛かって一命を取り留めるという事も幾度かあったという。
その尊い地蔵さまに願かけをするのに、どうして胴体を縄でぐるぐると縛る風習ができたのかはよく分からない。正義感の強い七十郎の血気を静める意図なのか、ともかく一風変わった供養法が現在まで受け継がれている地蔵尊です。