ケンプ/ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番(1961年) | 弦楽器工房Watanabe・店主のブログ

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〇ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 op.37

ウィルヘルム・ケンプ(ピアノ)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:フェルディナント・ライトナー
録音:1961年 ベルリン、UFA-トーンスタジオ(ステレオ)
発売:2015年 ユニバーサルミュージック(CD)PROC-1714/6
「ベートーヴェン・ピアノ協奏曲全集」より

今から33、4年前、生まれてはじめて聴いたピアノ音楽は、ケンプの弾くベートーヴェンの第3協奏曲でした。同じ頃に知った有名な第5番『皇帝』よりも、僅かにこちらが先だったと記憶します。私は平素、昔の記憶を追いながら芸術鑑賞するのは好まない質ですが、さすがにケンプ、ベートーヴェン、作品37には、それぞれに運命的な特別な縁を感じてしまいます。そしてこの時にテープで聴いた演奏は、生意気な言い方を許して頂ければ、小学生の耳にも音楽の意味が掴み取りやすいものでした。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲は、第4番を除くと、古典様式から大きく逸脱しない構成で書かれていますが、雄々しい活力の中に高い理想への憧れが息づいているのが特長です。その半面、中期の交響曲やヴァイオリン協奏曲の間に置いてみると、やや作家の個性が薄く聴こえるところもあります。これは曲が凡庸だからではなくて、中期に生まれた傑作群が、社会における音楽の存在意義を覆すほど型破りだったために、相対的にピアノ協奏曲の分が悪くなってしまったという面があるでしょう。第3、5番で言うと、緩徐楽章の成熟した旋律は、後期ピアノ・ソナタおよびカルテットの洗礼を受けた耳にも、なお固有の魅力を失わない。昔から、ベートーヴェンは後期作品があれば充分だと、大仰な事を言う人がありますが、それは個人の鑑賞能力に懸かってくる問題でしょう。自己変革や理想への情熱を失わない聴き手にとって、中期作品は幾らでも現世を生き抜くための希望を届けてくれる音楽だと思います。
ケンプのピアノは、曲を自己の感性の中で消化し切っている感じで、一見すると穏やかな起伏のうちに曲のスケール感をしっかりと打ち出しています。この巨匠らしく作品を一筋の物語に見立て、無理なく終盤に向けて感興を盛り上げて行く。緩徐楽章がことのほか上手い事は、ケンプを知る人ならある程度の想像がつくと思いますが、両端楽章の要所で見せる男性的なタッチも見逃せないもの。これは情緒面に話題が傾きがちな彼の芸術の二本柱として認識されるべきでしょう。
何十年と弾き込んで奥まで知り尽くしても、なおまだ愛惜が止まないといった純粋な演奏ぶりです。50年代にケンペンと共演したモノラル盤と較べてみると、外も中身もさらに洗練の度を加え、かつ生命力が増しているのが確認できます。