奈良再訪 3 | 楽典詩人

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奈良に住んでいたころ知り合ったSさんだけには一週間前に奈良再訪のメールをして会う約束をしていました。

 

会うのはJR奈良駅そばの大きなホテルにあるAというバーでした。

そのバーAはわたしが奈良にいたころは別のホテルのなかにありましたが、店主Hさんがが亡くなったのと元のホテルの営業が終了したため移転したようです。

亡くなったHさんとは、高畑の新薬師寺の裏で古民家を改築して住んでいたRさんという建築家が中心になってやっていた大人のサークル活動のような集まりで知り合ったのでした。

待ち合わせをしていたSさんとは、バーAの中ではなく、入り口でばったりと出会いました。

バーに入ると、Sさんからこのバーは今はHさんの娘が経営していると教えられ、私を彼女に紹介してくれました。Hさんの娘は、すらりとした体つきの白いシャツに黒いヴェストと蝶ネクタイのバーテンダー姿がよく似合う人でした。部下のバーテンダーたちへの指示もテキパキとしていました。

わたしが彼女に、お父さんと少し付き合いがあったことと、お父さんから聞いていたバーテンダーになったいきさつを話すと、彼女はそれのさらに詳しい裏話までしてくれて、初めて来たバーとは思えない親しみを感じました。

 

奈良で知り合ったSさんはわたしと同い年ですが、もともと奈良の人でもなく職場とか知人が奈良にいるとかいうのでもなく、なんとなく奈良に住み着いた人でした。

元々は神奈川県の名門高校から名門大学に進み、卒業後は外国にある金融機関で働いていたそうだが、そこで奥さんを病気で亡くされたようで、帰国して半ば世捨て人のように奈良で一人で暮らしていました。

知り合ったときも今も彼は自分の親兄弟との付き合いを絶ってしまい、東北にいる奥さんの親族との付き合いのみを続けているようでした。

 

外国で暮らしていたことが奥さんの病気の発見や治療が上手くいかなかったことの要因の一つだと考えて、当時から悔やんでいました。

20年前に彼のマンションに行ったとき部屋に入るとすぐ、美しい奥さんの遺影が飾られていて、心が締め付けられるような気がしたものでした。

 

Sさんとは5年ぶりにお互いのよもやま話をしましたが、二人の話しの中であそこもなくなったここもなくなった、あの人も死んだ、この人も死んだという話が多くて困ったものでした。

 

知り合ったころ彼は勤めていた企業からドルで支払われる年金と、知り合いから頼まれるコンサルタント的な仕事で生活をしており、円高ドル安では年金が少なすぎると嘆いていたのですが、今はドル高になり金持ちになったような気分だと言い、この話だけは少し救われたような気分になれました。

 

延々ととりとめのない話をした後二人でバーを出て三条道リを引き上げたのですが、引っ越ししていた彼のマンションはJR奈良駅に近い三条通りから少し入ったところにありました。

 

三条通りのゆるい坂を近鉄の駅近くまで上って私のホテルまで戻り、少し暗い気分で眠りにつきました。