浮御堂から片岡の坂を上り春日大社の一の鳥居を通り三条通りに出た。
三条通りを下り、猿沢池の南側に回って振り返ると池越しに興福寺の五重塔が見えたが、これから始まる塔の改修工事のためのとても高いクレーンが設置されていた。
猿沢池を回って餅飯殿のアーケード通りにたどり着き、左折してアーケードを南に進んだ。このアーケードはわたしが奈良にいたころは少しさびれかけていたように思えたが、今は観光客目当てか若者向けのモダンな店構えが増えていた。
どんどん南下してアーケードが終わり、さらに南下していった。目指したのは庚申堂近くの、奈良にいたころよく通った蔵武Dという店だ。いわゆる古民家を活用した店だったが、店は200年ほど前に作られた蔵の部分がバー(ピアノも置いてあり、時々ライブもやった)になっていた。
蔵の中にあるバーに至るまでの古民家の部分は、当時はFM局のスタジオやカフェになっていた。
やっとたどり着いてはみたものの営業している様子はなかった。(写真は蔵武Dの隣家、写真の右隅あたりに緑色に見えるのが文化庁の登録有形文化財のプレート)
仕方なくまた奈良町を戻り、餅飯殿商店街の南端あたりにある「蔵」という居酒屋を目指した。
この店は奈良に住んですぐに通い始めた店で、文字通り江戸時代の蔵を改造した地元民にとても愛された店でした。
ここに初めていった晩に、店から出て暗い場所で落とし物をしてしまった。そうすると店の中から主人とおかみさんが懐中電灯を持って来て一緒に探してくれた。それですっかりファンになってしまい、それからは一人でも、また職場関係の人間を集めた飲み会でもよく通ったものだった。
主人もおかみさんも私よりは大分年が若かったが、物静かな旦那と人懐っこい女将で理想の居酒屋夫婦のようだった。
ただ、その後通うようになって女将から聞かされたのは、自分はサラリーマンの嫁になったつもりでいて、夫には兄弟もいたのになぜか最後にサラリーマンをしていた夫が実家の居酒屋を継ぐことになってしまい、自分もその手伝いをしなければならなくなったいういきさつだった。
居酒屋「蔵」に来てみると、店の前には何人も外国人が列を作って待っていた。この店の良さがネットなどで外国人にも伝わったのかなと少しうれしくもなったが、列まで作って入るのは諦めてしまった。
(以下続く、今回は例外的に店の実名を出しました。)