先日、杉並公会堂のグランサロンで開かれた「たそがれどき 鈴木たか子ピアノコンサート ゲストみほこん」に行ってきた。
知人からチケットを貰ったが、鈴木たか子は知らないピアニストだった。
紹介文によると、1948年生まれの面白い経歴のピアニストらしい。
演奏曲目もベートーベンのピアノソナタ30番、ドビュッシーの月の光以外は安達元彦という作曲家の作品が7曲だった。
バイオリンを弾きながら歌うシンガーソングライターのみほこんは、ずいぶん昔から知っていた。
私がチェロのレッスンを受けていたK先生のレッスン室で彼女に初めて会ったときは、彼女はまだ高校生になったばかりだった。
年月は過ぎたと言ってもしかし、私たちの世代に較べると羨ましいほど若い。
コンサート会場で、たまたま昔の音楽仲間に出会い、隣に座った。
ふたりで始まる前にこんな話をした。
「たそがれコンサートではなくて、たそがれどき、でよかったね。」つまり、聴衆が若い人がほとんどおらず、我々と同年代とおぼしき白髪やはげ頭ばかりのたそがれだったのだ。
もしかすると、この聴衆はこのピアニストの古くからのファンで、ピアニストとともに年を取って来たのかもしれない(とは言っても、鈴木たか子は実年齢よりもずっと若く見えた)。それでも、ぜひ若い人にも聴いてもらいたかった。
地方都市や都心を離れた住宅街などで、飲食店の店主とともに常連客が年を取ってしまい自動消滅的に閉店するということはよくあることで、アマチュアの演奏団体でも若い人の参加がなく、設立メンバーやその指導者とともに団体の平均年齢が上がってしまい、運営が難しくなるのもよくある話だ。
私がかつていた団体の演奏会を久しぶりに聴きに行ったら、昔も高齢だと思っていたバイオリンのオジサンが90歳を超えてまだ現役で頑張っていて驚いたが、私が退団してからの年数と同じくらい団員の平均年齢も上がっているように思えた。
コンサートについては細かい批評ではなく感想程度のことで済ませたい。
どんな楽器でもその曲をどのように伝えるべきかと技術やセンスが要求されるのは当然だが、ピアノというのはセンスも修練も要求される楽器だと改めて思った。
バイオリンやチェロなどの弦楽器あるいはほとんどの管楽器とちがい、左右の手でちがったニュアンスを出すことが要求される。
左手は力強く、右手は弱くを同時に、左手はぼんやりと右手は明瞭な音でを同時になど弦や管にない奏法も要求されるし、十本の指が違う音を弾き続けるという単純に驚くべきこともやっている。
そういうことの良く分かる演奏だった。
みほこんの歌は聴いたことがあったが、コンサートホールで聴くのは初めてだった。
年齢は上がったはずなのに、声の質がより繊細で澄んできたように聴こえた。
バイオリンではクラシックの曲を譜面見ながら弾いても、みほこんは楽しそうに弾くが、今回のように即興でのピアノとの掛け合いをずっと続けるときのあの楽しそうな表情や身振りは、聴いているこちらまで嬉しくなってしまった。