それは一般に、自分の実力と同等ないしは少し上のレベルに相当する、一番入学したい学校のことです。
ですから、大抵は高望み受験する、換言すれば記念受験のチャレンジ校は一般の塾や予備校では第一志望に含めません。
なぜ?
落ちる確率が高いからですよ。
落ちる確率が高いチャレンジ校を第一志望にカウントしてしまったら、塾や予備校の第一志望合格率が下がってしまうではありませんか。
しかし、学道舎では、間違っても合格する訳がないチャレンジ校を第一志望としてカウントしています。
なぜ?
合格してしまうからです。
偏差値が20以上足りなくても毎年毎年合格しているからです。
1年間E判定のまま合格してしまうからです。
つまり、学道舎では高望み受験のかすりもしないチャレンジ校を第一志望としてカウントした方が第一志望合格率が高くなる訳です。
塾生親子はそれを見ています。
在籍が長ければ長いほど、毎年毎年毎年その実例を目撃しています。
しかし、それは簡単なことでしょうか。
一番苦しみ抜いて努力しているのは間違いなく受験生本人ですが、それと全く変わらずに寝る時間を惜しんで努力している人間がいることも大切な要因です。
ところで、人間は次の二つに分かれます。
・どうせ受けても合格するはずがないから受けない
・どうせ受けても合格するはずなどないけれど受けてみる
後者の人間になるように、困難に立ち向かえるように、良い意味での洗脳をするのが私たちの役割です。
その際の一番の協力者がお母さんです。
一般には、受けて落ちたら受験料が無駄になるチャレンジ受験はしたくないと思ってしまう受験生が多いかも知れません。
しかし、「落ちたって構わないから挑戦してみたら?」と優しくサポートしてくれるお母さんがいるだけで受験生は戦う人間になれるのです。
いつか社会人になった時も人間は二つに分かれます。
新入社員でもこのプロジェクトは100%失敗するなと簡単に見分けられる仕事を上司から提案される場合があります。
その時の反応が↓です。
・どうせ失敗するから自分のキャリアに汚点を残さないために引き受けない
・どうせ失敗するだろうけれど勉強のために引き受ける
多くは前者で丁寧に断るかも知れません。
そんな時にダメ元でやってみる後者。
組織はデータが欲しいのです。
失敗するのが間違いないプロジェクトであることなど上司は新入社員以上に分かっています。
それでも提案するのが仕事です。
目的は二つ。
一つは前述のようにデータを集めるためです。
もう一つは社員の人間性の見極めです。
だから、ダメ元でやってくれる社員が大事なのです。
予想通りに失敗に終わっても罰など与えられませんよ。
逆に褒められることはあり得ます。
間違って成功してしまったら、ボーナスが弾みます。
私は生徒に向かって「ここを受けて落ちろ!」とよく言います。
「落ちろ!」なんて言う塾の先生は日本中探しても私だけでしょうか。
でも、その時に生徒の横で「受けてみたら?」と支えてくれるお母さんがいるのです。
受験料をはじめとして余計な出費が伴う作戦を提案する時に、生徒を支えてくれるお母さんは同時に私をも支えてくれているのです。
「受けて落ちろ!」は軽々に言ってはいけない言葉です。
それを口にする私までお母さんは支えてくれているのです。
「お母さんはね、パートの時間を増やすからお金のことなんか心配しないで。やってみたら?」
実際にこの言葉を口にしたお母さんがいるのです。
この一言で生徒だけでなく私もどれだけ救われるでしょうか。
感謝です。
そして、戦う人間になった生徒にとって安心を与えてくれるお母さんの言葉は何をもたらすと思いますか。
合格です。
だからこそ、かすりもしない学校にあり得ない合格をしてしまうのです。
学道舎は開校してから二十余年。
チャレンジ校を入れた第一志望合格率が9割を超えています。
毎年毎年あり得ない合格が起こっています。
どなたも私に感謝して下さいますが、違うのです。
あり得ない合格の原点はお母さんなのです。
お母さんあってのあり得ない合格なのは間違いありません。