今日の仕事中
突然
親からLINEで連絡が
「○○の兄ちゃんが突然亡くなったらしい」⁉️
と
????
○○とは中学の時の同級生で
今は実家の近所に引っ越してきて
住んでいる腐れ縁な友達
そして
その兄貴と言えば
2歳違いの学校の先輩であり
アメリカ留学帰国後は
その友達よりもよく一緒に
夜を徘徊した年上の友だちというか
兄ちゃんだった人
飲みにも行ったし
日がな一日ウダウダと
怠惰な日々を過ごした人だった
スノーボード🏂も行ったな
ドライブがてら日帰り温泉も
合コンもしたな
なんて今更ながら色々と思い出す
白馬に引っ越してきてからは
以前の様に頻繁に会うことも年々なくなり
実家に帰っても顔を見に行くこともなくなった
そんなこんなで
10数年会ってない
家の前の車が停まっているのを見かけて
元気にしてるのかな?
相変わらずなのかな?
と思うことはあっても
会いに行くことはなかった
そしたら
親からのこんな連絡で
思い出すことになるとは
だから
今は一人家で完全に消化不良
明日のお通夜、明後日のお葬式
出来ることなら行って
最後のサヨナラくらいは直接言いたいけど
実家の親から
「今はコロナがあるから
それが落ち着いて帰省した時に
お線香をあげてあげれば良いんじゃない?」
と言われた
たかがコロナのせいで
お世話になった友達
(もう友達って言って良いよね?兄ちゃん?)
の葬儀にも出る事ができない
「志村けん」
の時には芸能人だし
何処か遠くの話だと思っていたけど
実際にはそんな事なくて
身近な人が亡くなって初めて気づく
今の状況の理不尽さ
「ごめんよ、兄ちゃん
今はどうにも帰れません
相変わらずタイミング悪すぎっ❗️
次にそっちに帰った時は必ず
会いに行くから許しておくれ。
そのうちバッタリ会って
酒くらいは飲みに行けるの思ってたのに
もう一緒に飲みに行けないじゃん
仕方がないから
白馬で献杯するよ
またねー」
自分自身も3年くらい前に
頸椎損傷と診断され
首がポンコツになった時に
色々思うこともあったけれど
死というものは何処か遠くにあったのは事実
だけど
今回2歳しか違わない親しい人が
亡くなり
自分自身にも普通にあり得る事なんだと
思わされました
また
何時でも会えると思う人ほど
時間を割いてでも
会いに行くべきなんじゃないか?
とも思いました
今現在
コロナの世界にいても
オンラインで人と人の距離は
限りなくゼロ何だと思っていたけれど
実際にはそんなことはなく
距離は距離として存在するという事を
いやというほど感じた一日
これからは
忙しくても
会いたいと思う人には
なるべく会いに行きたいな
そして
会いに行くべきだなと
兄ちゃんのお陰で
気づかされました
「ありがとう、気づかせてくれて‼️」
また
会う日まで
ゆっくり休んでくださいな
またねー