今年もやってきたよ、このシーズン。
ベイスターズが痺れる試合見せてくれてるよ!
崖男は、崖っぷちで留まる男で
崖男って呼んでたけど、
ご贔屓球団のこの盛り上がり
見ないでいっちゃったのだけは
もったいなかったんじゃないのぉー?
崖男、ちゃんと見てるかい?

ベッドに横になったら、崖男が頭に浮かんで
眠れなくなってしまいました
ちゃんとあっちで見てるかなー
オマケの母エピ
今年もやってきたよ、このシーズン。
ベイスターズが痺れる試合見せてくれてるよ!
崖男は、崖っぷちで留まる男で
崖男って呼んでたけど、
ご贔屓球団のこの盛り上がり
見ないでいっちゃったのだけは
もったいなかったんじゃないのぉー?
崖男、ちゃんと見てるかい?

ベッドに横になったら、崖男が頭に浮かんで
眠れなくなってしまいました
ちゃんとあっちで見てるかなー
今日の午後の出来事です
ガソリンを入れる時に
アプリを使っていれてるのですが、
入れ終わり、ふとスマホを見ると
通話中になってました
相手は
崖男
通話時間は1分を超えており、
いつの間にか画面を触って
電話帳から消さないままでいたので
私からかけてしまっていたようでした
電話を耳にあてましたが、何も音が聞こえず
新しい電話番号の持ち主の方の
留守電になってしまっていたのかな?
失礼なことをしてしまいました![]()
様々な手続きをして
後回しになっていた崖男の回線を止めたのは
亡くなってから4ヶ月を過ぎた頃。
この通話記録が、なくなってしまうのが
寂しくて、電話帳登録を消さないでいます
この時の電話はこんな話をしたなーと
覚えてる2024年の通話記録。
1月の電話は、私がインフルエンザで
寝込んでいた時。元旦からライブに行って
うつってきたのを、ケチつけながらも![]()
お見舞いの電話でした。
崖男、電話がマメで、私の住んでいるところの
天候の心配やら、ニュースで出てたよーやら
よくかけてくれていたものです。
素っ気なく返事したのも数多く…
それでも懲りずに、全然懲りずに
もしもし、おねーちゃーん。と
掛かってきたなぁ。
思い出してたら、涙が出てしまいました。
崖男ー!
もうすぐ、2回目のお盆がやってくるね。
今年はお盆の1週間に帰ることが出来ないから、
早めに来て、ゆっくり帰ってね。
今まで、きちんと書き記したことがなかったので、この場所を借りて書いておくことにします。
14年前の今日も、私は仕事が休み。
仕事に嫌気がさして、転職してみたいなーと、職安を訪ねて、求人票を眺めている時でした。
14時46分。
なんだか、ガタガタと音がしていると思ったら、室内のパソコンが大きく揺れ出し、
大きい地震だなー。と思っていました。
周りの人もざわつき始めたので
建物の外へ。
防災無線のサイレンがずっと唸り続けていました。
駐車場に停めた車が、大きく揺れ
隣の車にぶつかり、擦れてしまいそうでした。
大きな地震だとはわかりましたが
まだそんなに危機感を覚えていませんでしたが、今日は閉めます。と職員の方が言うので、帰宅しようと自分の車に乗ると
何度も揺れが襲ってくるのがわかりました。
電信柱も大きく揺さぶられていました。
まだ、津波のことなんて考えてもいませんでした。
職安の帰り道に、下の子が通う学校があり、通り過ぎようとすると、迎えの車がどんどん校庭に入っていきます。
このまま、お迎え行っちゃっていいなら
連れて帰ろうと、私も校庭に車を入れました。
生徒たちは校庭に集められ、
先生が一斉メールが送れなくて!と
慌てている様子でした。
下の子を連れ、そのまま、海から近い自宅へ戻りました。
道はへしゃげ、波打っていました。
自宅へ戻り、テレビをつけると、
大津波警報が出ているのがわかりました。
そう、この時、まだ電気は通っていたのです。
夫もたまたまお休みで、マグカップにコーヒーを入れ、ミルクをくるくる回し入れてる音が、なぜか今も耳に残っています。
この時までに、津波注意報というのは経験がありましたが、なにも困ったことが起きたことはありませんでした。
しかし、画面に出ている、大津波警報。
さすがに私も、これはまずいのではないか?と思い、夫に避難した方が良くない?と
問いかけましたが、大丈夫じゃない?と。
しかし、テレビの中の大津波警報の文字に
焦りを感じ、当時、中学生だった、上の子を迎えに車を出すことにしました。
その前に、お風呂洗って、お水を張っておいて!頼んだセリフが後に生活用水として
助かることになりました。
下の子を連れて上の子の中学校へ。
この時、メールはほとんど繋がらなくなっていました。
中学校でも生徒は校庭に集まっていました。私の顔を見ると、「こわかったよー」と泣き出す上の子。
先生に挨拶をして、帰宅しようとした時に、だいぶ遅れて、メールが届きました。
「家に津波がきた!」
夫からでした。
このまま小学校に避難しよう。
そう決めて、小学校へ。
夫は車が出せず、自転車で小学校にやってきました。
ぞくぞくと人が集まってきていました。
教室も開放され、土足のまま、校内へ。
夫は着てきた、ベンチコートをどこかの誰かに貸した。と、薄着でした。
余震もありましたが、家の中の貴重品を持ってこなくては!
と、衝動に駆られ、私が取りに行くことに。
確かに、水が玄関先に迫っていましたが、
幸い、家の中に浸水していませんでした。
通帳などを持ち、家を出ようとすると、隣の老夫婦の家は浸水してしまったと、我が家にやってきました。
一緒に小学校に行きましょう。
というと、車もないので、ここにいる。と
私はどうすることも出来ず、また自転車に乗って、小学校に戻ったのでした。
どうも、近隣まで津波が襲ってきたらしい。と、皆が話していましたが、夕方になり、陽が落ちてきたので、私たち家族は
家に戻ることにしました。
とにかく、無知とは恐ろしい。
津波は何度も襲ってくること。
そんなこと、何も知りませんでした。
我が家はたまたま浸水を逃れたけれど
ほんの数メールの違いで床上まで水が
きてしまった家ばかりでした。
とうとう電気が点かない、水も出ない夜を迎えました。
プロパンガスが使えたので、貯めておいた湯船の水を使ってお湯を沸かし、
湯たんぽにして、みんなでこたつに入って過ごしました。
今のようにインターネットはそれほど身近ではなく。
テレビも点かない。メールも不達。
情報難民でした。
車のラジオで情報を得ようという発想も
思いつかず…寝るしかなかったです。
夜の間も何度も、緊急地震速報が鳴り渡り、大きく揺れます。
横になれる時は横になって体力を温存しよう。そう思って、子ども達と手を繋ぎ、
布団に入りました、
早く朝がきますように。
そう思って寝たのを今でも鮮明に覚えています。
私の行動の大きな間違え
◯津波があったというのに、
家に戻ってしまった
◯大きな地震の後だったのに
ガスでお湯を沸かしてしまった
◯津波の怖さを
まったく
知らなかった
今はスマホで簡単に情報を得られる時代に
なりました。
3.11になると、ネットやテレビやラジオで
溢れるほどの情報を伝えられてます。
ただ、怖がるだけでなく、知ることこそが
命を守ることになることもある、
そう思っています。
唐突にやってきた「胃がん ステージⅣ」
から、末期がんへ。
昭和18年生まれの父の
闘病1年3ヶ月。
そして逝去、遺された家族の想いの記録です
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崖男が亡くなって、一年になります。
先日、無事に一周忌法要を済ませました
法要後は崖男のきょうだいを含め
11名で会食を。
「こんなに賑やかな一周忌ってあまりないわよね」と母が言うように、類稀なるポジティブ男。
おっちょこちょいな、崖男の生前の話
で笑い合いました。
今後の法要は、母と娘2人で
慎ましく執り行うことを宣言して
散会となりました。
振り返れば、きょうだいの毎日のお見舞いが
煩わしく感じたこともありましたが
自分ごととして考えれば、
崖男世代のきょうだい達が、日参してくるのは
それなりに体力、気力を使ってくれていたんだろうな。そして、崖男は当たり前のように受け入れていたところもあり、崖男が逆の立場でも
同じようにしていたのかもしれないなぁと
思ったりするようになりました。
最初の半年程度は
諸々の手続きの書類を揃えたり
提出したりを、ムスメKが母と必死に
こなしてくれました。
そして、四十九日、お彼岸や
新盆、納骨。次から次へとやってくる
法事ごとを、なんとかこなし。
一周忌まで漕ぎ着けました。
こんなに忙しいのは、故人を想いながらも
日々に忙殺されることで、寂しさや
辛さを紛らわせてくれる、
先人の優しいの知恵なのでしょうか。。

私たちムスメも
ぽっかり穴が空いてしまったように感じる
一年でしたが、母のそれはきっとその何倍にも
なるのでしょう。
あれだけ賑やか、あっちにもこっちにも
会話に参加して、「少し黙っててくれない!」
と、言った先からニヤニヤと会話に入ってくる
崖男。
毎日の、生活の中では離れて暮らす
ムスメ2人には、見えなかった絆というか
お互いを頼りにしているところが
沢山あったのだろうと思います。
どんなにか寂しい夜を過ごしているのかな
と考えると胸が詰まる思いでした。
でも、穴は埋まらずとも、
少しずつ、少しすつ、この生活にそれぞれが
慣れてきたようにも感じます。
母もこの一年、加齢によるトラブルがなかったわけではありませんが
相変わらず、LINEグループでは
座布団1枚‼️的な、キレを見せてくれます。
春ぐらいから、新しく始まることが
ありそうです。
ムスメ2人は昨年とは違う壁を目の前にしています。
粛々と目の前のことに取り組んでいます
母の遠隔見守りは続いていきますが、
この胃がんステージⅣ闘病ブログは
一旦、ペンを置きます。
長らくお読み頂き
心を寄せて頂き
本当に
ありがとうございました。
書くことは嫌いではないので
崖男のことで、残しておきたいなーとか、
今度はテーマを変えてとか?
また、気まぐれに書いていきます
多分、私は本当に書きます![]()
実家に行くと、
作業場から帰ってきて、玄関を開けひょこっと
「あ、おねーちゃんきてたのー」という
崖男の声が今も脳裏に浮かびます。
いってきまーすと言って出て行き
忘れ物したーと、そーっと戻ってくる気配を
思い出します。
メガネどこだっけかなー。
ゴソゴソ…
天国ではメガネなくしてないかしら?
お財布なくしてないですかー?
お父さんの人生最後の頑張りを
ここに記してきました。
野花を摘んで母に持って帰って来る
乙女ちっくなところもあった崖男へ。
梅の季節にこのブログを送ります
左から2番目とは…
あっという間に新年が明けて
1週間。崖男と賑やかに過ごしたお正月から
一年が過ぎてしまいました。
あの日頂いた、お煮しめ、美味しかったなぁ
でも、この間、ムスメKが作った煮物が
崖男の味によく似ていて、また食べることが出来た!と、嬉しくなりました。
だいぶ前に書きかけていた夢のお話です
今朝、起きた時に、崖男が夢に出てきたなぁと
思い出しました。
実家に帰り、片付けをしていると
なんだか、オナラ臭い🤭
崖男が、上半身裸で歩いています。
お腹には、点滴を入れるポートがついていました
そのお腹はパンパンに膨らんでいて。。
「やっと退院できたよぉ、でもね、ガスが
出なくて、ツライんだよぉ」
と、お腹をさする崖男。
そういや、オナラの匂いがするけど
お父さんの身体から少しずつ漏れてるのかしら?
と、私が言うと、「そうかもしれない」と
また、お腹をさする崖男。、
という夢でした。
私の見る夢には、大概、色も音もついていますが
今回は匂いつき!!
珍しいので、書き残しておきます。
唐突にやってきた「胃がん ステージⅣ」
から、末期がんへ。
昭和18年生まれの父の
闘病1年3ヶ月。
そして逝去、遺された家族の想いの記録です
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夢ついでに、ずっと書き残しておこうと
思いつつ、心が追いつかなくてかけていなかった
夢の話。
崖男亡くなって20日後、夢をみました。
葬儀場の安置所のように
明るいところだけど、
まだ病院で、でもお花がいっぱい周りにあって。
亡くなったと聞いて、兄弟が集まって。
亡くなったというのに、崖男が
少しずつ動いてて、
看護師さんに言うと、
あー〇〇ですね。と、
よくあることのように
答えた。
そんなもんなんだーって思ったら、
今度は寝返りしたから
これ、やっぱり生きてる?!って思ったら、
ぱちっと目を開けてね。
全然苦しくないよー
痛みもちっともないよ!!
なーんともない。大丈夫👌って
崖男が言う。
声も聞こえた。
その時は、私と、母とムスメKしか
部屋にいない
良かった良かったって雰囲気の中
シューーって、滑り台滑るみたいに、崖男がいなくなっちゃうってところで、目が覚めて。
私、大号泣でした。
嗚咽をあげながら
時計をみると、2時30分ピッタリでした。
その後、ちゃっかりまた眠り、
朝から瞼が腫れまくりで
起きたのでした。
この夢を見た頃、四十九日を前に
仏壇だの、お位牌だの母娘で話し合いを
重ねていたので、チェックしにきたのかなー🤭
なんて思ったりしました。
ずっと。下書きに入れたままの記事。
ようやく、日の目をみました。