「写真を使って絵を描くこと」や「トレースの是非」についていろいろ書いてきた。
その根拠は以前お話しした通りだが、私の敬愛する内田樹さんが著書 “『呪いの時代』 第2章 「祝福」の言葉について” の中でこんなことを書いているので、引用させていただきたい。 (※内田樹さんは引用自由を公言されている方なので、お言葉に甘えて掲載させていただくことにする。)
内田樹「呪いの時代」新潮社刊
以下引用
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本邦における「国誉め」と同じです。 それは「我が国は美しい国である」という主張のことではありません。そうではなくて、現に目の前の山や野がどのようであり、森がどのようであり、川がどう流れており、人々はどのように日々の営みをなしているかを、とにかく価値判断抜きで列挙していくことです。「国誉め」は写生です。
…(一部割愛)… 「写生的列挙」の美点は、詳細に記述すればするほど、人間の行う記述によっては「なまもの」を汲み尽くすことはできないという不能を覚知できることです。「記述」することによって僕たちは何かを確定し、獲得し、固定するのではなく、むしろ記述すればするほど記述の対象が記述しきれないほどの奥行きと広がりをもつものであることを知る。対象はそのつど記述から逃れてゆく。千万言を尽くしても、眼前の花一輪も写実的に描写し切ることができない。写生が僕たちに教えるのは、「なまもの」の無限性、開放性と、それに対する人間の記号化能力の恐るべき貧しさです。 ***************************************以上引用、終わり
これは、絵描きにとっては当たり前の感覚だと思う。
「なまもの」を描いていると本当にそう思う。 だから、「なまもの」を描くことは大切なのだ。
内田さんの本を読んで改めて「まったく、こういうことだ!」と思った。
私は決して原理主義的 “現場主義” ではない。ただ、現場で描く感覚を体得しないまま、写真だけで、写真がなければ描けない絵描きには強い違和感を感じる。
内田樹さんの言う通り、ちゃんと“写生”をしていたら謙虚になるしかないのだと思う。
どこかの “偉そうな絵描き” には、この“リアル感覚”はわからないだろうなぁ・・・
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