ある日、暇なので、過去の投稿を読んでいたのです。
コメントは殆どつかない我がブログではありますが、この記事にこんなコメントがついていたんですね。
https://ameblo.jp/gaimusansyu/entry-11227617612.html

 

知ってもいない人(私)に決めつける物言い、あまつさえ子育てが出てくるあたり、大きなお世話としか申し上げる他はないのですが。。。
私には子供が二人おり、長子は中堅大学を卒業しました。次子は在学中です。
好きな道を選ばせ、何か聞かれた時以外は手を出さないのが、普段の私の子育てポリシーです。
就活に際しては、エントリーシートの語句修正以外、私は全く関与しなかったのですが、父親より大きく、社会に立派に役に立っている会社に就職することができ、二年目以降もしっかり(?)働いているようです。

会ったこともない人に、子育てに言及する助言もどきのコメント、これは(その時点での)コメ主自身が受けた経験が反映されているのではないかと拝察します。
相応の年齢を重ねてきた私には、コメ主のお気の毒な自己紹介との感想しか持てませんでした。

あ、反面教師からいいアドバイスを得ましたね。
子供たちには、「会ったこともない知らない人に、聞かれてもいないアドバイスや人の性格を決めつかるような物言いはするなよ。決して心に響かないからな」
子育ての教訓として伝えます。(人生十分楽しんでいる私からは、実は同様のことはすでに言っております(笑))

時系列的には、コメントがついた上の記事の前に、この2本を書いております。コメントへの返信にも引用しています。
http://ameblo.jp/gaimusansyu/entry-10688560218.html

 

http://ameblo.jp/gaimusansyu/entry-11136543605.html

 

コメ主はこれらを読んだ後なのか、読んでいても無視してコメントを付けたのかどうかわからないのですが、まあ、私の書く内容とか表現が気に入らず何か言ってやりたくなったのだろうと思います。(私には、それがどーしたってなもんで何にも響かないのですが、コメ主の何か言ってやりたい機会を与えたならそれは役に立ったですかね)

さて、
http://ameblo.jp/gaimusansyu/entry-10688560218.html
この記事でもコメントがついていたんですね。
私すっかり忘れていたのですが、コメントしてくださったSky Jimさん、すごく心に染み入る応援コメントをしてくださっているんですね。
久しぶりに実際に読んで、心が温まりました。
Sky Jimさん、まだ読んでおられるかなあ。
そして、いつもいいねを押してくださる皆さんのことも決して忘れてはいません。

読んでくださっていることに、本当に感謝しています。

 

3つの引用したリンク、それにしても古い記事だなあ。
 

皆様、お久しぶりでございます。
最後に更新したのが、2023年10月。
一応、このブログの本記事は日本の企業に就職する直前の日について書いて、終わりを迎えておりました。
有難いことに、こんなブログでも固定の読者様はおられましたが、更新をしないことで読者様は拙ブログのことをすっかりお忘れになっていたとしても不思議はないほどの放置状態でございました。

今日は、書きたいことがあって、記事にすることにしました。

相変わらず、私、海外で駐在員生活を続けておりますが、数年前のある日ふと思い立ち、海外在住者でも入学できる日本の大学の通信課程に編入学し、この3月に卒業して学位を取ることができました。
だからと言って、辞めて本帰国するとか、会社を変えて他の仕事をするということではなく生活は今までと変わりません。

過去にブログでも触れていた何十年も前に通っていた夜間大学は経済。
ここ数年に編入した通信課程では経営を学び、何十年も前と異なる分野で学を修めたことは、社会人の経験を重ねた今、何の変哲もない表現ですが、本当に有意義で貴重な学びの場となりました。
頭髪は薄くなっていないですが、記憶力が日々薄まり頭の回転も鈍くなってはいるものの、今風の言葉でいうなら、「最高のリスキリングを体験できました」ということになります。

最初の職業は高卒後、公務員で社会人生活をスタートしたので、経営なぞ学ぶはずはないと思っていました。
人生は不思議なもので、公務員を辞めてそれから何十年も後、実際に当地で経営面での仕事をすることも多くなり、実際に学生の立場になって経営を学んでみると、結構面白くて向学心をかき立てられるものです。
実際に、仕事においても、視野が広まったので学んだことは大いに役立ちました。

もう本当にいい年なんですけど、「人生、何かをはじめるのに遅すぎることはない」という言葉の意味をかみしめています。

学位授与式は、駐在先の国にいるので出席は不可能ながら、この前に一時帰国していた時は、大学まで足を伸ばし校舎に足を踏み入れ学内を散策することができました。
校舎というところは、いつ行っても気が引き締まるものです。
そんな気が引き締まる体験をしたくて、本帰国したら、他の大学の、またもや通信課程に編入し、次は何を学ぼうかな。。。そんなことを考えています。
でも、修士の学位を取ることは考えていません。私の能力では及ばないことがわかっているので。
学士過程で色々な分野で学んでみたいです。これは20代、30代では持ちえなかった感覚だと思います。
 

約二か月近くの休暇帰国を経て、任地に戻ることになった。
帰省して両親に会い、友達にも会い、本省にて関連する人にすべて会った。
遊びたいだけ遊んだ。
ゆっくりできたと思う。

だけど、再び任地に戻る際、ものすごく憂鬱で仕方がなかった。

この休暇帰国での日本滞在時、遊ぶだけではなく、この役所を辞めて次に何をすべきか、ということを彼女とものすごく真剣に話し合っていた。
でも、結論は出ない。
何をしていいのか分からないままだから。

少しの貯金はあっても、何か習おうとするとあっという間に食いつぶしてしまう。
だから、一歩踏み出すのに、ものすごく躊躇するし、他に何ができるか、二か月間の滞在期間では答えが出なかった。

成田からの飛行機に乗り込み、飛行機の中でそんなことを考えても仕方がないのに、頭の中は辞めてから何をするのか、そんな考えに支配されてしまっている。
遂に頭痛がしてきた。
カバンの中に頭痛薬があって良かった。
飛行機の中ではお通夜モードで、自問自答して考えがまとまらないうちに、任地に戻ってきた。

次の日は、いつもの執務部屋で、俺の不在時に応援に来ていた事務官とお会いすることになる。
休暇帰国は職員なら誰でもある当然の権利なので、何も後ろめたい思いはする必要がないのだが、それでも留守中に応援に来てくれた事務官には感謝の思いで一杯だ。

俺が休暇帰国で離れて数日後に、任地に応援に来てくださったので、応援の事務官とは、俺が任地に戻って初めて顔を合わせる。
お礼を述べて、日本から買ってきたお土産を手渡した。

現地職員一同から、日本に帰ってリフレッシュしたから若返ったねと言われた。
心の中で、そりゃそうだろう、貴国の環境では若さを保てないからなと嘯いた。

いつこの国を離任して帰朝できるのか分からないが、離任までの覚悟を決めて、今しばらく頑張ることにしよう。
 

私、アジア諸国の駐在を続けてまして、現在アジア二か国目の赴任地に居ります。
単身赴任が長くなり、心折れるとまではなりませんが、そろそろ本帰国して親子水入らずの生活を送りたいなあ。ふと頭をよぎること、そう少なくありません。

とはいえ、子供の学費もかかり家のローンもたんまり残っており、会社員として第一の定年まであと数年あるので、踏ん張って働く気持ちは、衰えることはありません。

今働いている会社ですが、それなりに規模の大きな会社であるせいか、優秀で素晴らしい方も多く見てきました。この会社でとても良い上司に恵まれたことは、棺桶に入る前に良い人生だったと振り返ることができると早くも思っているくらいです。

その一方で、それなりに、この人は。。。というような考えを持たざるを得ないような人物にも遭遇しています。
つい最近、残念ながら不祥事が発生してしまいました。
そのようなわけで、本日は趣向を変えて、現在思うことを書きたくなりました。

第一の定年が近くなってきたので、振り返ると、公務員時代も含め雇われ人生を長きにわたり送ってきました。
その間、某省ではさんざ不正を見ましたが、今回近いところで見た今の会社の不祥事もそうですが、かねてから思ってきたことがあります。
時間をかけて忍耐をもって勉強に励み、受験戦争を勝ち抜いて立派な大学を卒業して、就職した。
そこまではいいが、感情コントロールができず墓穴を掘ったり、やる気なく情意評価で低い評価を得たり、そんなことしたら嫌われるに決まっているじゃないかと思わせる、他人の気持ちの分からず屋だったり、燃え尽き症候群になったり、自己摂生ができず自暴自棄になったり、対人ストレス耐性が低いのか、意地悪してその挙句に病気になったり、そのような人が少なからずいるもんだなあという印象を持っています。そして、これは本当に不思議に思えます。
時間をかけて忍耐をもって勉強に励んできたであろうに、なんでそんな風になっちゃうのよ、と。

受験戦争を勝ち抜いてきたからには頭脳の良さと忍耐力や努力する能力があるのだから、会社でも身を持ち崩すことはなくそつなく出来るのだろうという私の考えは少々違ったようです。

それはあんたの会社が盆暗社員ばかりだからじゃないかと言われればそうかもしれないけど、某省だって似たような人を見ました。

いい大学を出てきたにせよ、セカンドキャリアとは無縁の、大企業だからとあぐらをかいているのか社会人として学びを放棄したような振る舞いは、受験勉強もしてこなかった私のような人間の目には、不思議で仕方なく映るのです。

私ごときがおこがましいけど、大半のビジネスにおいては、受験競争で勝つためにしてきた訓練って、 役に立たないのかなって思わざるを得ません。

受験勉強以外に苦労を知らないからなのか、弱者かもしれない相手に配慮が持てないのだろうか?
社会人生活を初めて、物差しがいくつも持てて価値観や多様性を認めてもよさそうなのに、洞察力が低く感情的に破綻してゆく。。。

感情に流されすぐに顔や態度に出て爆発したり、言わなくてもいいことばかり口にして自らの評価を落としてゆく。人の失敗を笑い、人を下げたところで自分の格が上がるわけでもないのに。
なんでそうなのか本人に聞いてみたいところですが、聞いたところで無駄であることは間違いないでしょう。
 

言い争いをして、居心地が悪いながらも、年越しを実家で過ごす。
年が明けてお雑煮。
旧友たちと連れ立って神社へ初詣。
これは、高卒後上京する前と、同じスタイルだ。
新年会と称して、部活の仲間、中高校とクラスメイトだった友達と狂ったように飲んでいた。

そんな日々も、三が日を終えたら、それぞれの住む場所に散ってゆく。
休暇期間中で何もせずに遊んでいられる俺は、いい身分であるようだけど、それまで任地に縛り付けられていて身動きが取れなかったんだから、それくらいの恩恵はあってしかるべきだと、後ろめたい思いは微塵もない。

世間が正月休みから明ければ、言い争いをした実家にもういなくてもいい。
隙間風入る古くて汚い家にいるのはもう嫌だ。
寒いし、心身ともに居心地が悪いからだ。

帰国してすぐに転がり込んだ東京の親戚の家に、任地に帰るまで過ごすことになった。
毎日が馬鹿みたいに晴れだし気温も少しは高い。
くだらない諍いを聞かなくていいから、本当に気分が晴れやかになる。

久しぶりの霞が関界隈、省内外の人たちは実に時間に余裕がない表情でせかせかしている。
本省人事課に、休暇帰国の挨拶に行った。
そんな職員を常時見ている人事課職員はそつなく事務的な対応だ。
その後、俺が在外赴任する前に所属していた課に、顔を出した。
あれから何年も経てば、だいぶ変わっているだろうと思ったが、予想通りで知っている人は三分の一もいない。
唯一救いだったのが、庶務班の俺の後任者がまだいてくれたから、立ち話以上に話が続いたし、昼休みに一緒に外に昼食を食べに行った。
昼食後、最後に所属公館の国を担当する地域課を訪問した。
俺のような初級職の電信担当者の存在など、地域課にとってみればどうでもいいだろうが、一応は挨拶しとこうとの意志が働いたので、地域課に伺ったのだ。

電信官のことなどは気にかかる存在ではないことは分かっている。
同じ語学の専門職である誰々さんはどうか?と聞かれたので、同じ公館の目上の人であるがその人をあまり好ましく思っていない俺は、
「え~いまいちなので、他の人たちは苦慮している模様ですよ」
と、俺はついつい本音をさらしてしまった。
そんなことをいう俺も俺だが、それを聞いた同じ語学の専門職の職員たちは、
「そりゃ大事なことだ。そういうことはたくさん話してもらわないと」
嬉しそうな表情を満面にたたえ、足を引っ張りたいのか、さらに具体的な出来事を俺から聞き出そうとする。
我に返った俺は、
「まあ、思い出すほど具体的で決定的な問題というのはありませんが、何か馬が合わないようなところがあるんじゃないですかね~」
やっぱり、この役所って、俺を含め底意地の悪くてひねくれた職員が多いと確認をすることができた。