両親に会い、ああ久しぶりという感覚で、何か感動するかと言えば、そうでもない。
それなりに二人とも老けたかなあと思ったが、それよりも大きく変わっていたのが家庭環境だ。

サラリーマン的な国鉄を解雇同然になって去り、職を転々とした父、退職金をつぎ込んで、借金をして、自営の飲食店を経営していた。


国鉄時代もなにかしらと家族に対するあたりが強かった父。
自営になってから、借金があるからか、店をつぶせないという気負いなのか、そんな環境では母だってイラつきがちになっていた。

自営環境では、サラリーマン時代のルーティン的なしきたりも崩れ、昔に比べて輪をかけて、だらしのない、くっだらない小競り合いが頻発する。

 

冬の田舎町、ボロ屋で気分は滅入って最高に不愉快なのに、精神的にも追い打ちをかけるような家庭環境である。
俺はこんなの見たくて日本に帰ってきたんじゃない。
高校生の頃、父母が衝突するたびに味わった、嫌で嫌でたまらなかったあの感情が、さらに強くなって俺を襲ってくる。

高校の時、何の授業だったか忘れたが、貧窮問答歌の現代語訳に、本当に昔はこんな世の中ってあったのかと強い衝撃を受けた。
主人公は「極貧の中、これほどまでに世の中はどうしようもないものなのか」みたいなことを言っていたかと思う。
俺の場合、幸いながら極貧ではないけど、何時まで経ってもこれほどまでにどうしようもない理不尽な家庭ってあるのかと、やるせなさに胸が張り裂けんばかりだ。

不遜にも叫んでいた。
「俺が遠く日本から離れた地で3年以上も帰らないで頑張っていた間に、まだこんなことやってんのか。成長しているのは俺だけじゃねえか」