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今日は せいじ がお伝えします...
先週までの大雨が嘘のような晴れ模様です。梅雨が明けたのではと思えるほどです。
先週末の福山でのトレーニングコースでもう一つ書きたいゲシュタルト療法についてのことがあります。
ゲシュタルト療法は今ここでの気づきに焦点を当てる療法です。
この療法はそれ以上それ以下でもありません。しかし、セラピーにおいてはどうしてもクライエントの問題を解決してやろうという欲望に駆られます。
この欲望はクライエントが欲しているものではなく、セラピストが欲しているものだと気づかないのです。
クライエントのためにこの問題を解決してあげたい
私はセラピストなのだからクライエントの問題を解決する必要があるとセラピストは無意識のうちにそう思います。
そこに欠けているのは誰のために?という視点でしょう。
セラピストはクライエントのためにだと言うでしょう。しかし、よく良く考えてみるとセラピストの思いや威厳のために他ならないということです。
セラピストという他者がクライエントの問題を解決できるなどと思っていることが根本的な間違いなのです。
クライエントに褒められたい、認められたい、尊敬してもらいたいというセラピスト側の問題が浮かび上がります。
セラピストはクライエントとしてその自ら抱える問題に向き合う必要があります。
全員が全員とは言いませんが、カウンセラーやセラピストと言われる人々の中に全く自分の問題に向き合っていない人々がいます。
それはその人の言動を見ているとよくわかります。
また、カウンセラーという様々な資格がありますが、クライエントへしっかりと向き合えないにも関わらず
資格の威厳を借りてカウンセリングをしている人々もいます。
私は一概にそれを否定する気はありません。
クライエントのサポートになったのなら素晴らしいことです。
セラピストやカウンセラーがクライエントと向き合う時、必ず自らの問題が浮上してきます。
この問題を抱えきれないのなら、そのカウンセリングは上手くいかないでしょう。
それはクライエントの感覚に自らの問題を写し出してしまうからです。
例えば、セラピストが父親との関係性の中に何らかの問題を抱えていたとします。
するとクライエントが同じような問題を話し始めた途端、自らの問題をクライエントに重ねてしまいます。
するとセラピスト側にあるその問題への情動が浮かび上がり、クライエントが進むべき方向ではなく、セラピストが進むべき方向へと意図せずに進むでしょう。
この時点でこのカウンセリングはクライエントのものからセラピストのものへと変わります。
ゲシュタルト療法においてもセラピストが自らの問題にどれだけ真摯にこれまで向き合ってきたのかと言うことが重要です。
もし、気づきの療法だとわかっていたとしてもそんな問題が浮上した途端にクライエントを私が助けてあげなければならないという衝動に駆られ、気づきよりも問題解決へと焦点が当たってしまいます。
問題を解決するのはクライエントであるということを全く忘れてしまうのです。
ゲシュタルトを学び始めた頃の私もそうでした。
それから様々な体験や経験を重ね、ゲシュタルト療法とは今ここでの気づきだけなのだということにやっとたどり着きました。
そこにたどり着くのに14年かかりました。
逆に言えばそのくらいの長い現実での体験や経験が必要なのだということです。
ゲシュタルトとは今を生きることです。ただ生きるだけではなく、私の人生を生きるということです。
そこには良いも悪いものなく、ただ私の人生を生きるということです。
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