これを言ってはいけないとか、これはあまりしない方が良いという「ボーダー」がここ近年で分かってきた気がする。特にここ1年位で急速にわかる様になってきた。シラフで人と交わる事によって分かってきたり、色んな世界を覗いてみる事によって理解してきた事もある。その世界世界によってどこまで言ったりしたりして良いかのボーダーはそれぞれ違う。例えばライブなどの生で観せるものに関しては比較的振り切れても良かったものが配信というものがセットになってくる事によってだいぶボーダーも厳しくなってくると思うし、そもそもボーダーラインギリギリの発言をしたり行動をとったりすること自体にあまり価値がなくなって来てる様な気がする。あまり個人的には好きではないけれど「なんとなくの正義感」というもので雰囲気を作っていったりする方が今の時代向けなのかもしれないけれど、あまりそういう事をしてもねえ‥笑。友達とご飯とかを食べに行っても、空気を読むって事が少なからずできるようになって来た(と思う)これまで周りの人がどれだけ発言や行動に気をつけながら生活してたのかという事も今更ながらわかる様になってきた。「あっ、今は自分があまり話に加わらない方が良いな」とか「ここはとりあえず頷いていよう」みたいな事はこれまであんまりなかったんやけど、最近そんな事ばかりです。笑。昔はボーダーを超える事がカッコいいと思い込んでいたので、自分の感情とは違うくてもわざと危ない発言をしてみたり、キカイな行動をしたりと、どんな形でも良いから人目を引こうとばかり思っていたのかもしれないな。今の僕は「人を嫌な思いにさせないボーダー」のガイドラインを守って生きている感じ。一社会人としては当然のことであるかも知れませんが、僕はそこまで人の事を考えて行動したりする事ができなかったし、そもそも相手の気持ちを考える能力に乏しかったと思う。


元々影響を受けやすいタイプだから、その時その時の自分のハマってるものに心も人格も持っていかれる事が多かった。そういうものにあまりがっつりハマらなくなった「今」が1番精神的には楽に過ごしてるし、そして本当の自分に近い形なのかなとも思う。大して何もないのに自分の考えを頭の中で誇張して無理矢理相手に伝えるという様な強引な事はしなくなった。これを「エネルギーがなくなったな‥」と感じる時もあったのですが、これはエネルギーがなくなったんではなくて、ただ大人になったんだなという成長という事がやっと少し理解できるようになりました。これからもちょっとしたことで色んなジャンルの「ボーダー」が変わっていったりするんだろうけど、おそらくそれに自然に対応していく心と体になっていってるんだな。やっと少しだけ依存症から回復していってるのかもしれない。自分を見失わずに色んな物事に接する事ができるなら幸せな事ですな。まだまだボーダーを超えてしまう事もあるでしょうけど、たまに超えるのはアリかな。笑。


なんか取り止めのない掴み所のない内容ですみません‥🙇‍♂️。徒然日記の1日です(^^)。

を持ってますか??ってたまに言われる事があるけど、僕の歌を聴いてもらったら一目瞭然で、絶対音感などとは遠く離れた存在であります。絶対音感も持ってないし、相対音感も持ってない。基本的には「音感に乏しい」人間であることくらいは自負している。ある人が言ってたのだけど「絶対音感を持っている人には最終的には敵わない」という事を言っていた。確かに音楽というもののみを抽出していく作業をしていると絶対音感を持っている人には敵わないかもしれない。僕らがどれだけ野球を練習してもプロになれるわけではないし、子供の頃からの英才教育をされている人には元来敵わないという事が大概やと思う。でもなんかわからないけど、自分はこの「絶対音感」というものが「絶対」とはどうしても昔から思えなかったりする。絶対音感を持っている人にこれまで職業がら沢山会って来てるけど案外間違えるのよね🤔笑。ピッチも合ってなかったりする人もおるし。そういう人は「絶対音感持ってる」って言いたかっただけの人なんかな!?ここを観てる方に絶対音感持ってる方はおられますか?僕はなんとなーくやけどあまり信用してません(・∀・)。


自分が楽譜も読めないし、カラオケでもイマイチ音が合わない位の情けないボーカルやからただわかってない可能性が高いと思うんやけど、なんか全ての音階が分かってしまう生活ってしんどいやろうなあと考えてしまいます。日々の生活の音が全てドレミで聴こえてしまうなんてちょっとゾッとしてしまう‥。日々の生活の中でも不協和音を認識してしまうなんて気持ちの良いもんではないよね。そういう人がガガガSPを聴くと不協和音の嵐なんだろうな(笑)。後、色んな基礎や構造を若い時から知ってしまったり身につけてしまったりするという事は「無茶が出来ない」という事にも少し繋がっていると思う。若い時のエネルギーってどれだけ亜流から道を逸れて、トラブルを起こしたり新しいアイデアを考え出したりする事やと思うから、どうしても基礎を知ってしまっているとそこから逸脱する事ができなかったりする事もあるんじゃないかなと思う。ましてや絶対音感を持っている人が、ドラえもんのジャイアンのコンサートの様なエネルギーを出すことは逆の意味で難しいんやないかなと思ったりする。それじゃあ僕みたいに40歳超えてもジャイアンのコンサートの様に乗り切ろうとしてる邪道がこれからもやっていけるのかというとそれは難しい事やけど、僕は前人未到を行きたいな♫なんて最近は少し思ったりもしている(^ν^)。


長年やってると、自分ではコンプレックスやった部分が「武器」と言われたり「味」と言われたりする事がたまにある。コンプレックスをコンプレックスのまま変える事をせずやり切るのもなんとなく力になる時もあるんだろうなと思えるように最近なってきました。まあそういう言葉に甘えて自分自身努力を怠る場合があったりするので、そこには注意したり傲慢になる事はない様にしながらやっていくしかない‥。もう今から絶対音感を得る事は不可能やし、そういう人と比べたら音楽自体も完全に下になってしまうんやけど、それでも「下手の横好き」で粘り腰でやっていこうという次第であります💫(^^)。


なんか自分の意思表明みたいになって話が完全に逸れたけど、本当に絶対音感ってあるのかな!?なんか怪しいなあ〜( ͡° ͜ʖ ͡°)笑😂。

昨日、ちょっと地蔵盆の話を書いたので、ちょっとそれに関連して子供の頃の事を少し書こうと思います。子供頃の夢ってなんでした??なんて皆さんも良く聞かれると思うんですけど、女の人ならケーキ屋さんとか、男の人なら野球選手なんていう答え(一昔前の回答やけどね)とかよく言われる事が多いと思われますが、僕は小学校の頃の夢は「サラリーマン」だった。それだけ言えばなんか凄く夢のない堅実なガキという感じがしないでもないですが、僕が小学生の頃はバブルの時期で、トレンディドラマというものが流行っていたんですね。そのトレンディドラマに出てくる登場人物たちは会社に勤めて、夜はみんなで騒いで、そしてそれなりに恋をしてかなり人生をエンジョイしてる様に見えたんです。昨日のブログに書いたんですが、僕は子供の頃からとても「夜」ってものが好きだったんですけど、それももしかしたらトレンディドラマの影響かもしれない。小学生ながらに

「サラリーマンになって夜は女の人とバーで夜な夜な呑むようなシャレた人生を送りたい!」と思っていました。クソがつくマセガキですね。笑。なりたい職業や夢というよりかは単純に欲望だったのかも知れません。


ほとんど仕事なんてしていない、恋愛ばっかりに時間を使っている様に見えるあの頃のトレンディドラマは実はドリフや元気が出るテレビなんかより教育上良くなかったんではないかと少し思ってしまいます。そのせいでこんな人間が育ってしまったんだから‥😂。


実際に大人になってやたらとバーに足を運んでいた頃もありました。でもあの頃夢みた様な感じではなくて、ただ呑んだくれて暴れて帰るというどうしょうもない飲み方‥。女の人と恋愛の駆け引き♫。なんて感じの小学生の頃の夢みた夜中ではなかったな💦。夢は夢のままやから良い事もあるかも知れませんね‥。

今日は今急遽大阪に来てくれという事で電車に乗って梅田に向かっている。なんかそんな事を思い出したからイヤホンから聴いているのは「古内東子」古内さんのサウンドが夜の大人の恋愛を感じさせる。銀座でカクテル飲んで🍸男女の駆け引きしたいなあ(笑)。この夢ならまだ40歳だから、現実になる夢だったりするよね!?。実際にドロドロと恋愛したいんじゃなくて、ちょっとそういう気分になりたい夜があるだけ🌉。そういうのが「オシャレ」という事がもう頭に刷り込まれているんでしょうな‥。小学生の時からやからもうこれは治らない。まあでも妄想してるくらいが良いって事もありますからね💫。実際の生活は泥をすすって生きて、頭の中だけトレンディに生きていこうと思います。


なんか今日のブログ‥イタイ奴だな‥笑。