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回顧録ーMemoirs of the 1980sー

激動の80年代、荒れる80年代。
ヤンキーが溢れる千葉の片田舎で、少年たちは強く逞しく、されど軽薄・軽妙に生き抜いた。
パンクロックに身を委ね、小さな悪事をライフワークに、世の風潮に背を向けて異彩を放った。
これは、そんな高校時代を綴る回顧録である。

あの日、4人で歩き始めたはずの時間は、
気づけば静かに、そして確実にひび割れていた。
誰が悪いわけでもない。
ただ、少しずつ噛み合わなくなり、
少しずつ距離が生まれ、
気づいた時にはもう元には戻れない場所にいた。
あの夜の衝突をきっかけに、
4人組の形は音もなく崩れ落ちていった。
そして残った3人もまた、それぞれの事情に飲み込まれ、
会うことも、連絡を取ることも途切れがちになっていく。
長い沈黙の中で、
俺は初めて“終わり”という言葉を意識した。

 

あの夜のルート14でのエーイチの復活をきっかけに、
俺たち4人は再び、幾度となくライブハウスに足を運ぶようになった。
千葉ルック、アンガ、ワナビーズ、そしてルート14。
どこへ行っても、4人で肩を並べて騒いで、笑って、酒を飲んだ。
毎回、毎回、楽しくてしょうがなかった。
あれは間違いなく──
45歳の青春そのものだった。

 

 
ただ、あの頃の俺たちは気づいていなかった。
楽しい日々の裏で、少しずつ歯車が狂い始めていたことに。

 

 

その日、俺とエーイチとタケシの3人で、
西船橋の串カツ田中に集まっていた。


店に入った瞬間から、タケシの空気がどこかおかしかった。
座り方、返事のトーン、目線の動き──
全部が“虫の居所の悪さ”を物語っていた。


エーイチが何か話すたびに、
タケシは小さく舌打ちするような顔で突っかかる。
言葉の端を拾っては噛みつき、話の腰を折る。
俺が話題を変えても、空気はまったく変わらない。


こんな時、アッキョがいれば違った。
俺とアッキョで顔を見合わせて、
「お前ら仲良くやってな」って言って店を出る──
そんな逃げ道があった。


でもその日は、頼りのアッキョがいなかった。


そして、売り言葉に買い言葉が始まった。


「なんだこら」「なんだよ」

「やるのか」「やってやんよ」


タケシの手が出た瞬間、エーイチも返していた。
2、3発のパンチが飛び交い、
串カツ田中の空気が一気に凍りついた。


瞬時に店長が飛んできて、
俺たちは外へ追い出された。

 

店を出たタケシは、
何かを叫びながら遠ざかっていき、
最後に「クソがっ」と吐き捨てて帰っていった。


エーイチは肩で息をしながら、
俺に向かって「気晴らしにもう一軒行くか」なんて言ってきたけど、
興奮の残った奴と呑むのは危険だし、俺の気もまったく乗らない。


「今日はしらけちまったからおしまいにするべ」


そう言って、3人はそれぞれ別々の方向へ歩き出した。
夜風だけが、妙に冷たかった。

その日を境に、タケシは俺たちとの接触を避けるようになり、
再び音信不通になった。


あの再会からしばらく続いていた“4人組体制”は、
こうしてあっけなく崩れた。


「また俺とエーイチとアッキョの3人に戻るのか」
そんな予感が胸をよぎった。

 

画像は当時のものです(翌日、ポストに入っていたエーイチからのメモ)

 

でも──
どういうわけか、
その“元の形”に戻る気配もなかった。

 


残った3人も三者三葉だった。

 

 

俺は転職やら公私のごたごたで余裕のない時期。
アッキョは仕事がやたら多忙らしく、連絡もまばら。
そしてエーイチも、何か問題を抱えているのか、
どこか不穏な空気をまとっていた。


タケシを欠いた3人は、なぜかうまく噛み合わなかった。
会うことも、連絡することも、少しずつ途切れがちになっていった。


そんな状況が、気づけば一年も続いていた。


これまでも沈黙の時期は何度かあった。
でも──
これほど長いエーイチの沈黙は、一度もなかった。


胸の奥に、小さな不安がじわじわと広がっていく。


そして俺は、
珍しく自分からエーイチに電話をかけるのだった。


──最終話へ続く。