残像②節操のない話し | 回顧録ーMemoirs of the 1980sー

回顧録ーMemoirs of the 1980sー

激動の80年代、荒れる80年代。
ヤンキーが溢れる千葉の片田舎で、少年たちは強く逞しく、されど軽薄・軽妙に生き抜いた。
パンクロックに身を委ね、小さな悪事をライフワークに、世の風潮に背を向けて異彩を放った。
これは、そんな高校時代を綴る回顧録である。

エーイチはまあ節操もない男だ。
高校1年のあの日、

「俺は筋金入りのパンクスになりたい」

なんて言ってたのは遠い昔のこと。

高校を出たころには、

フラッシュダンスが流行ればアホ面こいて踊りの練習をして、

プリンスがヒットすれば車の中はプリンス一色。

細かい話を挙げればきりがない。
そんなエーイチの“節操のなさ”の中でも、特に印象深い記憶が二つある。

 

◆ 吉祥寺・曼荼羅の三上寛の話し


ある日のこと、吉祥寺の曼荼羅に連れて行かれた。
今度は何かと思ったら三上寛のライブだった。
元パンクスが三上寛?
フォークソング?
意味が分からなかった。
でもエーイチはかなりのお気に入りで、何度も連れて行かれた。
あいつはいつも三上寛の口調を真似て、


「わたくし三上寛でございます」


なんて言ってたっけな。
ところが俺は、何度も観たはずの三上寛のステージの姿も歌声も、
どういうわけか記憶が抜け落ちてるんだよ。


でも、帰りに食べた博多豚骨ラーメンだけは鮮明に覚えている。
替え玉を初めて知って、調子に乗って3玉も食べて、
散々呑んだ後だったから気分悪くなって嘔吐した。
そのとき頭の中でリフレインしてたのが、忌野清志郎の声。


「吉祥寺あたりでゲロはいた」
 

あれは今でも笑える。

 

 

◆ 浅草公会堂・売れない演歌歌手“カズミちゃん”の話し


三上寛の記憶が抜け落ちているくせに、ゲロだけは覚えている。
そんな俺の“偏った記憶”を思い出していたら、
もうひとつ強烈な夜が浮かんできた。


浅草公会堂に連れて行かれた日のことだ。
ステージに立っていたのは、売れない演歌歌手。
名前はたしか “なんとかカズミ” だった気がする。


最初は「なんで俺たちが演歌?」と思っていたのに、
酔っぱらった勢いもあって、気づけば俺もノリノリになっていた。
2階席から缶ビール片手に、


「よっ、カズミちゃん、日本一」


なんて合いの手を入れて声援を送っていた。
演歌だって、やってみれば楽しんじゃうんだよな。
あの頃の俺たちは、ジャンルなんてどうでもよかった。
面白ければ何でもよかった。

 

画像はイメージです

 

◆ まとめてみると、やっぱりエーイチは節操がない


三上寛に連れて行かれ、
売れない演歌歌手に声援を送り、
気づけばどんなジャンルでも楽しんでしまう。
エーイチの節操のなさに振り回されながら、
俺も一緒になって笑っていた。
あの頃の俺たちは、
本当にどうかしていたけど、
どうかしていたからこそ、あんなに眩しかったんだと思う。