僕が年末年始に急性の内臓系の疾患により倒れている間、どうやら勉強部屋についてのアナウンスがあったらしい。
勉強部屋とは、5人、7人、10人のグループを作り、そのメンバーで自習室を借りられるシステム、および自習室を指す。
これが1月中旬までに各々グループを作成し、委員会まで届け出るように、とお達しがあったそうなのだ。
そんなことはつゆ知らず、ひたすら自身の回復に努めていたわけだが、本日実家より帰還し、友人と会った際、言われたのだ。
真面目なおまえが勉強部屋についてのアナウンスがあってからなにも言ってこないのはおかしい、知らないのではないか、と。
これほど嬉しく、ありがたいことがあるだろうか。
彼曰く、彼のもとにはいくつものオファーがあったが、断ったそうなのだ。
持つべきものは友である。
友とは、つまり、一般において、互いに利する行動…ときに自身への不利益も含む…を厭わない間柄、と定義できるのではないだろうか。
いつなんどき不測の事態により窮地に追い込まれるか分からない、それが人生であり。
そんな人生、窮地において、一も二もなく助けてくれる人が友人である。
たかが勉強部屋から始めた話にしては大げさかもしれない。
ちなみに、その後6人に声をかけ、5人がともに勉強しようと言ってくれた(1人は残念ながらすでに他のグループに属していた)。
僕は大学に友人が少ない。それはたびたび友人にバカにされ、言い返せないところである。
しかし、こうして助けてほしいときに手を差し伸べてくれる友人が5人もいるならば、僕はそれ以上望まない。
だって、お互いに精神が不安定となりかねない数ヶ月をともに過ごすことを、即座に受け入れてくれたのだから。なんともまあ信じられないことである。
同時に、彼らのために、彼らが困ったときには、いちばんに助けとなりたい。
そう思った。