僕の随一の、最たる、比肩するもののない親友であるところのホウクが、最近軽妙なテイストの日記を書き連ねている。
中学生のころ毎日納豆巻きを食べる彼に憧れて同じように毎日中華焼きそばを食べ、
高校生のころライブハウスでドラムを叩きまくる彼に憧れてエレドラを買い、
大学生になってからは彼に触発されてコーヒーミルを買った僕は、今回も彼をまねて日記を書いてみようと思う。
日記は人をまねて始めるのが日本人の伝統でもあるからして。
まあ、どうせ、今までと同じように、彼のように硬い意志は持ち合わせていないし、長続きもしないのだ。
また彼と違って僕には我慢というものがない。
書くとなったら書く。書いてしまう。だからなにもない日に困る。
まあでも、それもまたしかたのないことだ。
そういう性格なのだ。
さて、それでは本題。
マッチングというものが10月初旬にかけてあって、国家試験というものが2月にある。
これらふたつをうまくクリアできれば、無事僕も社会人となるわけだ。
マッチングについてはさておくとして、常に心に重くのしかかる国家試験、そして卒業試験について書こうと思う。
卒業試験はニアリーイコール卒業論文、といったところだろうか。
全科目合格しなければ卒業できない。つまり留年が決まる、じつに恐ろしい試験だ。
その実施および内容に関しては大学ごとに一切の裁量が委ねられているため、一概に語れるものではない。
僕の通う大学においては、標榜診療科+アルファの科目が、それぞれ試験を課すことになっている。
内容は国家試験の過去問+アルファ、実施期間はじつに1っヶ月以上だ。
(+ベータという表現はまったく聞いたことがないが、なぜなのだろう。デルタでもイプシロンでもよさそうなのに。)
どうせ国家試験の過去問も卒業試験に出るのだし、今回は触れないマッチングにおいても国家試験の勉強をしておくことは有益でしかないので、まずは国家試験の過去問を研究し、いよいよテストが近づいてきたら卒業試験の過去問にも目を通す、そんな具合で2月までのすべてを攻略していこうと思っている。
ちなみに卒業試験の過去問の存在をさらっと提示したが、これは連綿と続く学生の涙ぐましい努力の賜物である。
普段はシケタイプリントすら内輪でのみ共有し、情報量でマウントを取り合い、結果として足を引っ張り合うという極めて頭の悪い行動を死んでもやめない彼らであるが(僕は自分が仕入れた情報は速やかに全員に提供する。彼らと一緒にしないでほしい)、期末試験および卒業試験のときだけは全員が結束する。
自分に割り当てられた番号の問題を必死に暗記し、試験室から出た瞬間Wordに打ち込んで回すのである。
こうすることで過去問を再現し、後輩たちが爆死しないように道を遺すわけだ。
とはいえその再現精度は低く、正当選択肢を2つ選ぶ問題で正解が3つあったり、逆にひとつもなかったりが往々にしてあるので、後輩たる我々は問題のエッセンスだけ掴んでその周辺知識を勉強することになることが常である。しかも新問が出題されれば全員が爆死するので、お守り程度にしかならない。
今日はそんなこんなで、産科の勉強をした。
産科というのは、婦人科とともに、男子学生にとって理解しづらいことこのうえない難科目である。
セクハラに厳しい昨今は仲のいい女学生に聞くのも憚られるし…
聞いたことない心音を覚えろというのと同じくらい、月経や妊娠について理解しろというのは無理難題だ。
完全な理解など一生無理だと思う。
そんな減らず口をいくら叩いても問題数も一向に減らないので、ひたすら覚えるしかないのだが。
以上だ。なんとつまらない一日か。
そもそも国家試験の問題というものは、五者択一式であるが、誤答選択肢を含めた周辺知識をつぶさに研究していくと一日80~120問くらいが集中力という観点から限界なのだ。
産科は「一周目問題」といわれる問題数が129問。
解ききるのに8時間かかったが、一日で終わらせればオッケーポッキーなのだ。
そうなのだが。
どうも、こう、不安というものは耐えることがない。
こんなどうでもいい日記など書かずにさっさと勉強したらどうだと自分でも強く思うが、どうも落ち着かない。
落ち着かないが、集中はもうできない。内容が頭に入ってこない。効率が悪い。
いやでも、たとえ非効率でもやったほうが。
でも。でも。でも。
という、典型的な受験生スパイラルに陥ってしまう。
まったく困ったことだ。
思い切って気分転換、と思ってゲームなどはじめてみると、これがあっという間に時間が経つ。
集中できるじゃないかと。
しかし机に戻るとなんとも。ぐんにょり。してしまうのだ。
やる気が無いのかと思ってしまう。
今の自分に必要なことが勉強をすることだとわかっていながらできないというのは、これはもう、勉強に対する適正が低いのではないか。
そんなことでよき医師になれるはずもなかろうに。
自分を自分で追い詰めてしまいがち。
必死に勉強していた僕のうしろで中世ヨーロッパを統一する神シュミレーションゲーム「グランドエイジ・メディーバル」を20時間ほどプレイして敵国をすべて滅ぼし、みごと西ユーラシア大陸の覇者となった親友のSのメンタルが本当に羨ましい。あと僕より先にクリアしやがったのが若干くやしい。
くよくよしたってしょうがない。
なるようにしかならないのだ。
明日もとりあえず勉強するのみ。
明日は婦人科を終わらせてしまいたい。
産科・婦人科・小児科の最難関さえ抑えてしまえたら…
皮膚科と精神科も厳しいなあ…
不安は増すばかりである。
いつも笑顔のひとが、どんな気持ちで笑っているのか僕は知らない。
その笑顔がどれほどの苦労の上にあり、どれほどの苦悩を隠しているのかを僕は知らない。
まるで笑顔であることを当然のように享受し、もしかすると言外に強要している。
そうして笑顔が失われたとき、はじめて、動揺し、狼狽し、愛の上にあったことを知り、失われたときのために何もせず怠惰に怠慢に傲慢に過ごしてきたことを自責する。
そこからなにを口にしようとも、いかな行動を起こそうとも、もう遅い。
その想いは届かない。
僕とその人との間に横たわる、絶望的なまでの隔絶に飲み込まれてしまう。
知りえないとしても知っているかのように考え、行動することこそ、信頼を形作るのだ。
乖離が生じてしまうまえに、確たるものとしておかなければ、つまるところ、後悔と焦燥に苦しむのは自分なのだから。











