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   sunrise*

        嫌でも明日はやってくる。静かな気持ちで今日もゆく。

褒められると、嬉しいものだ。

褒められるようなことを積み重ねていきたい。


月曜日が台風で消えて、ふいに生まれた三連休のおかげで、明日は火曜日の気持ちだけど水曜日。

楽な一週間だ。
台風というのはいいものだ。

嫌な天気から始まり、強い雨と風が荒れ狂う。

耐えなければならない。

けど、過ぎてしまうと、どうだろう。

そこには澄んだ空気と青空が広がっている。

台風は人生において何度も訪れる。

何度でも耐えて、なんでもないけれど素晴らしい一日をまた迎えたい。

台風が来るたび、そう思う。

ときに辛抱強く。

明日も一日、生きていこう。
1.
後悔というものは凡そ役に立たない。人は日々成長するものだからだ。過去の自分が未熟なのは当然であり、そう感じないことのほうが問題である。

2.
中央集権国家というものは成り立たないのだろうか。民主主義とはそれほどいいものなのだろうか。判断力の乏しい民草に国の行く先を決めさせるなど、危うくないのだろうか。蓋し民主主義とは、国民が知的でなければ成り立たない。

3.
感情は生ものであり、鮮度がある。全ての感情は、発露した瞬間から褪せてゆく。一瞬を切り取ることに意味があるカメラと同じように、一瞬を書き留めることに日記やメモの意義はある。感情以外の言葉もまた、書き留めることで残さねばならない。
忙しいほど休暇を楽しめるものだという。

果たしてそれは正しいのだろうか。そもそも、楽しいという感情はいかにして生まれるのだろうか。

楽しいという感情が、物事を達成することにより喚起されるものだと仮定する。

つまり、なんらかの困難、到達を障害するものがあるか、あるいは明確に目標に到達したことが実感できることこそ、楽しいという気持ちを育むのだ。

そしてそれらのものは、直接的に関与するとは限らない。たとえば、仕事終わりに一杯のビールを楽しむことは、その量が多いとか、冷えすぎている、あるいは不味いという艱難を乗り越えたからできるのではなく、仕事という障壁を乗り越えたから可能となる。

また、楽しさが、嬉しいという感情を呼ぶ。楽しさは嬉しさの十分条件である。逆は成り立たないのではないだろうか。たとえば、嫌な上司がクビになったとき、嬉しくはあっても楽しくはない。少なくとも僕はそうだ。

ということは、ひとつの方法として、嬉しい気持ちになりたいならば、楽しい状態を作ればよい。楽しさは達成によって得られる。よって、なんらかの目標を立てることこそ、気分を向上させるための十分条件といえるのではないだろうか。


なにが言いたいかというと。
ひまなとき、なにをしてもつまらなく感じるとしても、それは起こり得る可能性が低くない帰結だということだ。
今日は暇で暇で、遊んでも全く楽しくなかった。(ゲームをクリアする喜びはあったが、楽しさとしては程度が低い。)

達成可能な目標を立てるにあたり、限界を超えること自体もまた楽しいことであるが、まずは自身の能力内で、忙しくすること、目標を立てることを実行していきたい。
こんなこと、なんでやるんだろう?

そう思うことは、今までも多かったし、これからも少なくないと思う。

そのときには意味がわからないことも、あとで活きてくる、こともある。

だから、教わる立場にあっては、反抗的な態度、意欲的でない態度ほど、自身の能力向上抑制の起因となる可能性が低くない。

日々意欲的に生きていこう。
人間、寝ることにも体力を使う。

体力を回復するために、体力を使わなければならないのだ。

転じて。

心を元気にさせるためには、心の疲れるような…つまり、精力的な行動が必要なのではないだろうか。

旅行しかり、料理しかり、運動しかり。

一日中寝たりゲームしたりして過ごした今日、思ったことである。
僕は森を歩く。

つねに、気ままに歩く。森に行くことは決まっていても、行き先は決めてないのだ。

そしてもうずいぶんと深くまできたとき、僕たちは綺麗な湖を見つける。鬱蒼とした暗い世界にそぐわない、陽の注ぐ澄んだ湖を。また見に来よう、そう思う。

しかし、僕は忘れてしまう。森のどこから入って、どの木の横を通り、どの根を乗り越えて、どの湖にたどり着いたのか。たいていの場合、僕たちは二度と、あの綺麗な湖を見つけることはできない。

印をつけておかなければ、おなじ道を通っておなじ湖にはたどり着けない。仮にたどり着いたとしても、すこし違う場所から湖を見ることになるだろう。

だから、森に入るときは道しるべを残しておく。その道しるべの巧緻さは問題ではない。

自分にさえ、わかればよいのだ。

だって、もし誰かが湖を見たがったとしても、それは叶わない。

その森は僕の心の中にあるのだから。
定食屋で夕食をとっていたら、同期の男と彼女が店に入ってきた。

目が合ったが、彼は失礼な人間なので、僕が挨拶するよりも早く目を伏せ、遠くのテーブルに座った。

無論、わざわざ挨拶に出向いて、彼女との楽しいひとときを邪魔することはしない。仲良くもないし、向こうが挨拶する気がないなら、こちらとしてもそっとしておくほかない。

しかし、後日話をしなければならなくなったとき、気まずくなるなんてことは、きっと全く考えていないのだろう。

閑話休題。

僕が気になったのは彼女の方である。
うどんをすすりながら眺める。

彼はイケメンなので、彼女が常にいる印象だ。違うのかもしれないが。
そして彼には甲斐性がないのか、彼女はコロコロと変わる。
以前見た人とは別の、しかし見たことのある女性だった。

店を出てから、なんとなく愉快な気持ちになった。

彼は結局、あんなに背が高くて格好いいのに、見えてるものは非常に矮小で、身近なところだけなのだろう。

ごく狭い人間関係のなかで、なぜか恋人を作りたがり、当然のごとく破局することを繰り返しているのだから。

確率的に考えて、長期的に性格の合う友人や恋人が、部活なんざの狭いコミュニティのなかにゴロゴロしているわけがなかろう。

結婚するわけでもないのに、デートしたり喧嘩したり、プレゼント買ったりなんだり、まあ、人の価値観はそれぞれだから、一概に否定するのは失礼だけれど、僕にとっては価値の見出せない不毛な行動を、飽きもせず彼は繰り返す。

彼女がいないといえば、世間的には劣ったステータスとして見られがちだが。

限られた女性の中から無理やり選んで恋愛をする、なんて道を選ばなかったのは、我ながら賢明であったと言えるのではないだろうか。

いずれ選ぶ日が来るにしても、それは今でなくていい。というか、今いる環境に魅力的な女性はいない。

焦る必要はない。

焦った結果、どうでもいい女に捕まるなんて、まっぴらごめんだ。

僕の価値観の中では、という話だが。
愛美さんの昨日のブログについて。

人がなにかを思うとき、そこに挟むべき言葉はない。あってはならない。

そう思う。

思い悩むことに口出しすることは、つまりわかったふうな口を聞くということであり、是即ち冒涜、軽視、侮辱である。

ゆえに、苦悩する愛美さんにかける言葉は、頑張ってください、の一言にまとめざるを得ないのではないだろうか。

これは愛美さんに限らずとも、すべての悩める人に対して、やはり同じ結論に至るべきだと、僕は思う。

それを踏まえたうえで、これはあくまで個人的な見解だが。

所詮世界の万象は、取る側と取られる側によって成立する。

自分の思うようになることが幸せであり、幸せによって笑うならば、笑うためには勝つしかない。

己の幸せを最優先に。

そのためには、周りに犠牲となってもらうしかない。

覚悟を決めて生きていきたい。
「だからさ」
一旦言葉を切ってタバコを吸い、夜空に吐いてからKは続けた。
「大いなる力はあると思うんだよ」
「別に否定はしないさ」
「けど、そうは思ってない」
「まあね」
僕も煙を吐く。このタバコは味が薄い。
「必然だとしたら、面白くないだろ。誰も会うも必然、なにが起こるも必然。必然にいちいち驚き感動してる自分なんて、自覚した段階で興ざめさ」
「じゃあすべてが偶然だとでも?」
「そりゃそうさ」
「そうかなあ」
煙が星に溶けていく。
「たとえばさ、今まさに熱いものごとがあるとする。そんなとき、そのことに関する第一人者とか、あるいは同じ考えを持つ人と出会う。これは運命、天啓じゃない?」
「素敵でいい考えだと思う。けどね、人間の脳は、興味のあることだけをピックアップするんだ。脳が認識してないだけで、そこにはいつだって莫大な量の情報がある。関心があるからこそそこに目がいく。それは必然だよ」
すべては偶然じゃなかったのかと言われる前に付け足す。
「大いなる力による巡り合わせではないということだね。もちろん、そう考えたほうが感動があるし、人生も鮮やかだろうから、いっそ羨ましいよ」
「俺が言いたいのは、ロマンチックだとか、そういうことじゃないんだがなあ」
Kは手すりに頬杖をついた。
金木犀の香りが風にのって僕たちを包む。
「人と人との出会いは必然なんだ。出会うべきときに、出会うべき相手だから出会う。逆に、ある人と出会うということは、いまの自分に必要ななにかを、その人が持っているってことだ」
「そうかなあ」
「そうなんだよ」
そう言ってKは満足げに帰っていった。
見送ったあと、残ったコーヒーを飲んでから、反論をすこし考えて頭を振り、マグカップを洗うために流しに立つ。
話はもとから交わらない。そうならないように僕たちは議論する。肯定も否定も、受容も拒絶も、好きも嫌いもない。言葉を繰ってもてあそぶ、そうすることのできる余裕を楽しんでいる。なればこそ、勝ち逃げは良くない。
またおもしろい議題を見つけておこう。
マグカップの水を切りながら、僕はそう思った。