匙加減 |    sunrise*

   sunrise*

        嫌でも明日はやってくる。静かな気持ちで今日もゆく。

病める人は不安である。

病むということは、それが器質的であれ精神的であれ、己の自己同一性を少なからず失うということだ。

寄る辺の喪失を実感すれば、すなわち不安となる。

安らぎがないのだ。

病による機会逸失も少なくない。

だから、例えば優先席であったり、たとえばライブ会場で最前列に通されたりといった配慮は、あってしかるべきで、健常者にこれを奪ったり非難したりする権利はない。

幸福を得る権利だけは、すくなくとも、万人に平等に与えられるものなのだから。

日頃逸している幸せを享受するのは当然である。

ところで、幸せとは、いかに定量化すべきなのだろう。

機会を逸した幸福を補おうとすれど、目安がなければ行きすぎることもある。

たとえば、老人ホーム入居者の、語弊を恐れずに言えば、我儘をどこまで聞き入れるか、というのが最も身近な例だろうか。

不自由な弱者に対する優しさは必要だ。
だが、行き過ぎた配慮は健常者に対する差別だ。

弱者の立場が逆転してしまう。

幸福という観点から万人が平等であるための重心を探るには、幸福が定量化されるべきだ。

最大多数の最大幸福、とはいえど、集合をいかにとるかに依存して最大多数は千変万化する。

ゴールデンスタンダードたる標準的幸福人生というものを、まずは国を挙げて設定したほうがいいのかもしれない。