三宅は、古くは屯倉(みやけ)と書き、大和朝廷の直轄農地のことを言うらしい。
もとは、朝廷の農地から収穫された稲などを貯蔵しておく倉のことだったが、そのうち周辺の田畑も含めて屯倉というようになったという。
宮家や御家とも書くそうだ。
自分の苗字にそんな起源があるとは知らなかった。
面白い。
これまでは、PCで「みやけ」と入力すると、変換候補として「屯倉」が出てくるのが、何のことかわからなかったのに。
これからは、自己紹介のときに一言名前の由来を付け加えてみようかな。
三宅は、古くは屯倉(みやけ)と書き、大和朝廷の直轄農地のことを言うらしい。
もとは、朝廷の農地から収穫された稲などを貯蔵しておく倉のことだったが、そのうち周辺の田畑も含めて屯倉というようになったという。
宮家や御家とも書くそうだ。
自分の苗字にそんな起源があるとは知らなかった。
面白い。
これまでは、PCで「みやけ」と入力すると、変換候補として「屯倉」が出てくるのが、何のことかわからなかったのに。
これからは、自己紹介のときに一言名前の由来を付け加えてみようかな。
個人が学習し、変化し、成長すること。さらに、組織が学習し、変化し、成長すること。
それをどうすれば促すことができるかというのが、私のテーマである。
これまでもそれなりに成果を出してきたが、今、新たな方向性が見えつつあるようなそんな感覚がある。
しかし、自分の開発するソリューションやメソッドが、不完全な帰納法によるものでは、あってはならないと思う。
すなわち、「私はこうすればうまくいった」という事例を多少集めても、それはたまたまその時期に、そのリソースで、その方法でやったら、運よく成功したというレベルから脱し得ない。
ケーススタディも参考になるかもしれないが、本質的には、メソッド足りえない。なぜなら、普遍性や再現性が保証されていないからである。
実験をしたわけでもなく、たまたま一回だけ出た成果を結論としているからである。環境要因やリソースといった条件が変わっても同じ成果が出るのだろうか。
また、結論に不都合な事実を無視したり、扱わなかったりということでは、帰納的虚偽というごまかしになり、論理としてははなはだ脆弱になってしまう。
そうならないために、考える。真実を探し求めて、読む。教室内で、実験をする。
ここ一番の重要な研修やファシリテーションをするときは、食事をしないことがある。
食べ物を消化するというプロセスは大きなエネルギーを使うという。だから、自分の全エネルギーを研修や受講生に注ぎ込みたいときは、食事をせずに水だけを飲んでいる。
気合が入りすぎて、食欲がわかないということもあるが・・・。
多いときは、1日の研修で5リットルぐらい飲んでいることもある。水を用意してくれるクライアントの担当者も驚くほどである。
水を用意してくださったKさん、ありがとうございました。