索引がついている本が好きだ。


読んだ後で、必要なポイントだけを読み直したいときにキーワードで頁がわかるのが便利だ。


初めての本でも、ある項目だけを参照したいときにも重宝する。


目次だけではたどり着くのに時間がかかる。


かように索引のついている本は、私にとってはポイントが高いのだが、洋書に比べて和書は索引がついている本が圧倒的に少ない。


原書では索引がついていても翻訳本は索引がない場合が多い。


なぜなのだろうか?


ワードの文書でも簡単に索引が作れるのだから、技術的に難しいということでもないだろう。


これは出版業界の怠慢なのだろうか?

最近、『教育勅語』や終戦直後の新聞や小説(旧字旧仮名)を読む機会があった。


旧字旧仮名で表記されているので、見たこともない漢字に圧倒される。

『教育勅語』は明治23年だから、120年前。戦後の新聞は65年前。昭和8年の太宰治の小説『列車』は、77年前。


たった100年くらい前の日本語が読めないなんて、ショックである。タイムマシンに乗って、明治とか、幕末の日本に行ったとしても、当時の日本人と会話できるのだろうか。。。




朝から、チームビルディング研修の打合せで六本木へ。研修をブラッシュアップするための宿題をいただく。

午後から、提案プレゼンに亀戸まで移動。「前に踏み出す力研修」「考え抜く研修」「ファシリテーション研修」の3本の研修を提案。

気がつくと、2時間半がたっている。このクライアントは、いつも話が盛り上がり、長居してしまう。

その後、押上のクライアントを訪問。5時ぎりぎりに到着したが、アポは5時半からだった。慌てて損した気分。

案件によって、進捗度合いが異なるが、それぞれに熟成してきている。

今後が楽しみだ。