ソウルメイト、という言葉がある。


ワタシは子供の時、占いや「妖精さん」、「天使」といった、大概の女の子が興味をもつその分野のものに全く興味がなかった。クラスの女の子たちが少女雑誌や占いの本を回し読みしている、その中に入れなかった。ローラースケートや竹馬で裏山に入り込んで基地遊びをしたりターザンごっこする事の方が大事だったのだと思う。
それが40歳を過ぎたこのトシになって、いわゆる「スピリチュアル」なものが気になるようになり、初めてソウルメイト、という人間関係があるのらしいと知ったのである。

その時に「あの人はきっと『ソウルメイト』だ。」と思った人がいる。


Kさんはそのお一人で、どこかで親子か姉妹だったんじゃないかとワタシが勝手に思い込んでいる人である。
もう10年以上も前のこと、ダンナが上高地で開かれるウェストン祭の記念山行に参加した折、一緒に登ったメンバーの中にたまたま彼女がいて、その打ち上げの宴会に(ワタシは山登りに行ってもいないのに)参加したら、彼女はワタシのお向かいの席に座っていたのだ。


「おいしいですね~」と言うと、きちんと目を合わせて「ほんとね」とにっこり。話しかける都度、相手の目をちゃんと見て微笑んで返事をする人とは初めてお行き会いしたからかもしれない。わずか2,3時間ほど一緒に過ごしただけだったのに、そのしばらく後に結婚式(自分とダンナのである)の招待客リストを作る時、全く迷いなくワタシは彼女の名前をリストに加えた。今にして思えば随分考えナシと言うか、普通しないだろ、というところだが、若くて世間知らずだったからというだけではなく、あれは啓示だったと今でも信じているのである。


ちなみに彼女が記念山行に参加したのはこの年の1回だけで、また行きたいと言いながらその後今まで参加できずにいる。ますますもって、あのタイミングでお会いできたのは「運命」だったと思ってしまうではないか。


宴会で一度同席したことがあるだけ、というニンゲンから結婚式の招待状をもらってしまった彼女はさすがにビックリされたようだけれど、喜んで、と出席のお返事をくださった。


この月曜日のお昼、穂高の有明にある「もみの木茶屋」に出かけた。「茶屋」という名前だけれどここはビストロで、オーナーのマサカズさんは以前は東京の世田谷でお店を開いていたフレンチシェフである。名前の由来は前のこのお店のオーナーがこの名前を残して欲しいと強く希望されたからなのだそう。何度も安曇野に来て欲しいと頼まれて、縁もゆかりもないこの土地に、マサカズさんは2009年に来てくださったのだった。


お料理はとっても美味しいし、ハルを連れて入っても、そしてハルが厨房に入り込んでも、ちっとも嫌な顔をなさらない。それどころかチビすけの相手までしてくださるのだ。やんちゃな子供を連れて行ける唯一のレストランである。(というか、普通無いよね、そんなとこ。「ビストロ」の方が「レストラン」よりくだけているとしても。)

マサカズさんは「ぼく体力ないんです~(だからお仕事もあんまりできないんです~、ということらしい)」と言い、ちっともガツガツしていない。とってもオープンマインドな、MTBのクラブを通じてお友達になれたステキな方である。


でもこの日はKさんと二人。
Kさんの、お仕事で大変な思いをしていること、お友達の京都のTさんがヨガにはまってセドナまで行ってきたといって何とかいうパワーのあるカードを送って寄越したこと、お世話になっているHさんのこと、次々出てきて話は尽きず、その合間にマサカズさんのMTBやスノーシューの話が入り、ちょうど良いタイミングでお茶を出していただいたり、着物の話で盛り上がったり、ハタと気付いたら午後4時を回っていた。


Kさんとの出会いはワタシの人生の中でもトップクラスの「特別」なものだったけれど、その他の全て、ハルがウチに来たことも、そこからMTBに繋がってきたことも、マサカズさんとの出会いも、みーんなちゃんと意味があってうまく回っているものなんだなぁと思う。仕組まれているというのとは違う、一つ一つ選択しながら、全体としては良い方に向かう強く大きな流れが、宇宙にはきっとあるのだ。


ワタシらは繰り返し繰り返し、違う命をもらってはその流れに乗って進む光なのだろう。何にも見えないし感じることもできないけれど、Kさんに会った時の無意識のワタシの選択は、「大きな力」が流れの方向を示してくれたからこそできたものだとしか思えない。今までの人生の中には、そういう瞬間が確かに何度かあった。他にも。


かつて精神世界のことに全く興味の無かったワタシが、今では「大きな、目に見えない力」が有るコトをこんな日常の中から実感してしまうのである。子供のときはオバケや「霊」なんてのが怖くて、見えたらどうしよう、なんて思っていたものだが、どうやら自分は全く何にも感じ取れない体質らしいと気付いたら、近頃はちょっとくらい何か感じたり、見えたりしてもいいかなーと、「見える」人が羨ましくもあるのだった。