昨年、「断舎離」を決行中のNさんから「naoちゃんキモノ着る?もし良かったら私の、もらってくれない?」と言われて喜んでお家へ伺った。長いお付き合いだが、ご自宅を訪ねたのは初めてで、教えていただいた場所から見上げたその家は「お屋敷」だった。夕飯時だし、玄関先でささっと見せていただいて畳紙のままお預かりしようというつもりで、ハルと二人階段を上がり、玄関のベルを鳴らした。
カラカラと引き戸が開いてNさんが「どうぞ~」。入った土間から見たそこは旅館のようである。
「入って~。」と言われてワタシより先にハルがさっさと靴を脱いで上がりこんでしまった。「こりゃ、待て」と言いながらツルツルピカピカの廊下を歩いて、案内された客間へ入る。
「これなんだけどさー、お嫁に来るときに誂えてもらったんだよね~。でもホラ私、着ないもんだからさ、仕付けも取ってないんだよ。」
まあ、美しい正絹のキモノがあるわあるわ、しかもいずれもご本人がおっしゃる通り、仕付け糸も仕立てた当時のままである。広げて見れば仕立てあがったばかりのように色も変わっておらずカビも無い。丁寧に風を通して仕舞って、をきちんと繰り返してこられたのだ。もう20年もの間。
古びた畳紙には、彼女のお母さんが書いたメモがたくさん。「この訪問着には帯はコレ、帯揚げはアレで帯締めはソレ、…」と丁寧に書いてある。ハハだなあ…。
「これ、ホントに良いのですか?」と思わず訊くと、「いいのいいの、大事に仕舞ってたんだけど、この先も絶対着ないから」。ううむ、そ、そうですか…。「naoちゃんに貰ってもらって残ったのはリメイクする人に上げちゃうことにした、って言ったらOさんに『親不孝モノ』って言われた。」
さもありなん。普通は誰しもそう思うだろう。でも、着ない物を大事に維持管理していくエネルギーって大きいのだ。半分は「義務」だからストレスになるだろうし。この際処分しようと決断したNさんの選択は間違っていないと思う。ただ、モノが良いだけに躊躇してしまい、しばらく腕組みして広げたキモノで美しく彩られた室内を眺めていた。
しかし、「もらってくれる人がいなければリメイクする人に上げちゃおうと思って…」と来た。
ワタシはキモノのリメイクがキライである。どうしてキモノのまま着んのだ、と思ってしまう(リメイクする人、それを着る人に異議申立しているワケではありません。あくまでワタシ個人の好みの問題です、ハイ)。だから、一度も袖を通していないキモノの命を全うしてやりたくて、ソレはできれば是非止めてください、という気持ちになってしまった。自分の体に合う合わないを全く考えずに「じゃ、とにかく全部貸していただいてよろしいですか?」とお返事をしたのだった。
さて、…そんなやり取りをしていてハタと気づいた。ハルは?
「あ、多分おばあちゃんたちがゴハン食べてるからあっちの部屋かも」と言った次の瞬間、子供の笑い声が聞こえた。ハルだ…いつの間にあ奴メ、人見知りしないのは良いけどしなさ過ぎじゃ!
「おかあさーん、これもらったー!」…ナヌ?客間の襖が開き、見覚えのある縫いぐるみを抱えたハルがニコニコして廊下に立っている。確かアレは2004年、皆で行った多摩動物公園でNさんがオミヤゲに買ったユキヒョウ…。「あ、それも上げるよ~」
ええっ?あれ、とっても気に入って買われたヤツですよね?それも断舎離?とNさんを振り返ると後ろから
「あのね、おはながぴんくいろだからぴんちゃん、っていうの。」…も、もう名前まで決まってる(ガクリ)。
キモノを広げてしまったためにしっかりお邪魔して、ハルまでオミヤゲを戴いて、大量の荷物を抱えてお暇したのだった。
さて、キモノの話はまたの機会に送ることにして、前置きが長いけれどもこのぴんちゃんである。
その日からぴんちゃんはハルとべったりになった。男の子だと言うのでハルの弟、ということになり、彼がハルに話しかける時は「ねぇおにいちゃん、」である。(そのセリフを実際に「言う」のは殆どワタシの役目で、ぴんちゃんに何か言わせたい時は「ねぇおかあさん、ぴんちゃんに、おにいちゃんすごいね~っていわせてよ」。…いいじゃん、もう自分で言ってんだから。つうか、自分で言ってくれよ。)
寝るときは枕元に連れてくる。ゴハンも一緒に食べる。風呂場に連れてくる。トイレにはさすがに止めろと厳命した。保育園にも連れて行くと園の黄色いリュックに突っ込んだので車の中までと約束し、車から降りる時は「おにいちゃん、いってらっしゃい」と(ワタシが)言い、迎えに行って車に乗り込む時にはチャイルドシートから身を乗り出しているのへ「ぴんちゃん、ただいま」。その調子なので外出の時には「ぴんちゃんもつれてっていい?」否と言う理由もあまり無いので「いいよ」と答えるのだが、その扱いは実に乱暴で、尻尾や腕がもげるのではないかとハラハラする。そして外出先に平気で置き忘れる。「ハル、ぴんちゃんが置いてかないで、って泣いてるよ」と何度怒鳴ったことか。
2月の初め、ハルを連れて春日井のお友達の家に遊びに行った。ぴんちゃんも連れて。このヌイグルミ、動物園のオミヤゲだけあって、猫科哺乳類の赤ん坊の特徴がよく捉えられており、リアルで可愛い。しかしそれは全体を眺めた時なのであって、顔だけを見ると目つきが怖い。その怖い顔が、ハルの背中の水色リュックから覗いている。
名古屋行きの特急「しなの」に乗りこむ。指定席の料金をケチって自由席に乗ったけど、幸い2つ並んだ席が空いていた。早速シートに座ると靴を脱いで外を眺めるハル。隣にはぴんちゃん。持ってきたお菓子をぴんちゃんに食べさせては自分の口へ持っていく。とにかくじっとしていないハルが、シートを離れないで何とか多治見まで座っていたのは(最後の方は限界間際だったが)ぴんちゃんのおかげである。ありがとう、ぴんちゃん。


tori-naoのブログ-ハルとぴん

ぴんちゃんを連れていると良いのには、4歳児がヌイグルミを持っているとそれなりに可愛く見える→周りの人が可愛がってくださる、という事がある。多治見駅で普通列車を待っている間ウロウロせずにいられたのは、これのおかげで同じく電車待ちをしている他所様から話しかけられ、人見知りも物怖じも殆どしない本人の性質もあって楽しく過ごせたからである。チョコマカ走り回ってホームから落ちるんじゃないかと心配せずに済んだ。
お友達のTちゃんちには小学生の兄妹がいる。ハルは彼らの後ろにくっ付いてまわって遊んでもらい、ワタシは随分ゆっくり大人同士で話をすることもできた。その間、ぴんちゃんはほっぽらかされたまま。床の上にパタンと横に倒れて、そのまま夜になった。
お布団を敷いてもらって、みんなにおやすみを言うと「ぴんちゃんは?」それまで放置していたぴんちゃんを寝床に一緒に連れて入り、5分も経たない内に眠ってしまった。
ハルは起きている時だけではなく、眠っている間もあまりじっとしていない。またしてもぴんちゃんは放り出されてお布団の外へ。何だか気の毒なので、ハルの着替えを掛けておいた。
翌日、愛知万博の跡地にできたでっかい公園に出かけた。子供達は遊ばせて大人同士でおしゃべりできるかと思っていたが、「ママ来て!」とTちゃんはしょっちゅう引っ張り出され、ワタシは荷物番をすることになる。ふとベンチの横を見たら、水色リュックの中にぴんちゃんが逆さまに埋まっていた。引っ張り出して収め直し、顔だけ出してやる。
散々遊んでさよならをして、帰りの電車に乗り込んだ。「ぼくまだSくんとSちゃんと、すこししかあそんでないのに。こんどはぼくんちにあそびにきてくれるかな…。」と呟くハル。いやいや、随分たくさん遊んだと思うけど、楽しかったんだね。楽しい時間はあっという間に過ぎるもんだよ、と言っている間にくうくうと眠ってしまった。約2時間そのまま眠り続けて、そろそろ起こそうかと思った頃、むくっと起きた(ナイス!)。機嫌もよろしい。
上着を着せて帽子・サングラス、ぴんちゃんを両手に抱え、リュックを背負って出口へ向かう。ドアの一番手前に並んで、さあ降りるからね、気をつけてと声を掛けるとドアが開いた…のだが、足元にクレバスのようにパックリと開いた隙間。ホームと車両の間を覗き込んで、ハルが固まった。
これだけ開いてたら確かに怖いわな、と思って後ろから両脇をよっこらしょと抱えてホームへ降ろそうとした、その時である。いつもなら尻尾や前足をガシッと掴んで振り回しているくせに、珍しくその時はちゃんと両腕で抱っこされていたぴんちゃんがぽろっと落ちた。そしてそのまま「ぱっくり」の中へ消えてしまったのである。
次の瞬間、悲鳴のようなハルの「うわぁぁぁぁ!」という声が響き渡り、ホームに並んでいた人の列の中から「ああっ!(つうか、ほぼ『きゃぁぁ』だった)」という声が上がった。後ろで降りようと並んでいる人の列が凍り付き、ワタシは「ついにやったか…」と妙に落ち着いて周りを見てしまった。
「びんちゃんがぁぁぁ!」
この世の終わりが来たかのような泣き方に、降りる人も乗り込む人も、そして車内の人までも窓越しに、気の毒そうにこちらを見て、遠慮がちに動いていた。
隙間を覗き込むと、線路からホームに立ち上がる壁のすぐ脇に、横倒しになったぴんちゃんが見えた。あ、あれなら大丈夫。電車がいなくなったら拾ってもらおう。「ハル、大丈夫、大丈夫だよ。電車が出たら拾えばいいから。」と言ったのだがハルは、
「もうだめだよひかれちゃうよぉぉぉ。もうおしまいだよぉぉぉ…(いつの間にそんな言い回しを憶えたんだ)。」
そのままよよよと泣き崩れている。
窓から乗客の皆様が気の毒そうな表情でこちらを見ている、特急「しなの」がホームから滑り出して行き、明るくなった線路の脇にぴんちゃんが転がっている。降りたお客さんも居なくなり、静かになったホームにへたり込んでハルがしゃくり上げている。
さて、駅員さんを探さねばと目を泳がせるとありがたいことにすぐそこに車掌さんらしきお兄さんを見つけた。
「あの、すみません。ヌイグルミをホームに落としてしまったのですが…」と声を掛けると「はい、大丈夫ですよ。ちょっとお待ちくださいね。」と言って業務用の電話機で電話をかけて、線路内に落ちた物をこれから拾いますと連絡をすると、ホームに設置されているマジックハンド(安全拾得器というらしい)を取り出して「ぼく、大丈夫だよ。」とハルに声を掛けてくれた。
「ハル、お兄さんがぴんちゃん、取ってくれるよ。見ててごらん。」と言うとようやく顔を上げて立ち上がり、お兄さんと一緒にホームから線路を覗き込んだ。
長いマジックハンドの先がぴんちゃんの胴を挟み、無事ハルの腕の中へ。箒と塵取りを持ったお掃除の女性が「えらい泣いてるで、どうしたかやぁと思ってただよね。お人形を落としちゃっただね~。よかったいね、ぼく。」と傍から声を掛けてくれた。
ワタシに促されてハルはしっかりぴんちゃんを抱いたまま、ぐしゃぐしゃの顔でお兄さんを見上げて小さな声でようやく「ありがとう」と言った。
乗り換えの電車を待つ間が長かったので、一旦改札を出て駅ビルのスターバックスで休憩した。オレンジジュースのストローをくわえながら思い出したらしく「ぴんちゃん、せんろにおっこちちゃったね。えきのおにいさんがながーいぼうでひろってくれたね。」と言い、大糸線の車内でもまたその話、お風呂で湯船に浸かりながら三度目を言い、夕飯を食べながら更に同じ事を口にし、布団に入る前にも本日五度目を呟いて眠りについたのだった。
翌々日、いつまで経っても布団から起きられずぐうすか寝坊したハル、時間が普段より20分は押した。ウチを出るのが遅れて怒ったワタシ、「もうかぁちゃんは先に出る!」と言い放って車のエンジンを掛けた。と、玄関から引きつった顔で飛び出してきたハル、手にはしっかりぴんちゃんのしっぽが握られている。それどころじゃないだろうが、と更に腹が立ったが、とにかく車に乗せて急発進した。いつもの1.5倍のスピードでカーブも坂道もふっ飛んで走り、保育園の園舎が見えたところでふとハルを見ると黙ったまましっかりぴんちゃんを抱きしめていた。…ごめんね、ハル。シゴトに遅れるとお給料もらえなくなっちゃうからさ、そうするとご飯食べられなくなっちゃうから、かあちゃんは焦って慌ててたんだよ。と謝ってみた。

tori-naoのブログ-ハルとぴん2
最近、ぴんちゃんには兄弟が増えて「こどもちゃんたち」になった。3階の物置にしまってあったワタシの子供時代のヌイグルミを見つけて、その中から2匹連れて来てしまったのである。確か小学生の時に買ってもらったリスと、ディズニーランドのオミヤゲのプレーリードッグ。名前は即座に「りーちゃん」と「しーちゃん」に決定し、枕元には毎晩3匹が並んでいる。一旦眠ってしまえば寝返りを打って下敷きにし、180度回転しながら足蹴にし、気の毒なことしきりではあるが、どうかこれからも彼を支えてやってねと、毎晩ハハは彼らを並べ直し、毛布を掛け直してやっているのである。