『野いちご』は老主人公の「薔薇のつぼみ」だった | 徒然逍遥 ~電子版~

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こんにちは。行政書士もできる往年の映画ファンgonzalezです。

訪問ありがとうございます。

 

イングマール・ベルイマンと聞けば、速攻で難解、辛気臭い、重苦しい、神学論争的。といったイメージが脳裏に渦巻く人も多いのではなかろうか。確かにそれらは否定しがたい印象だと素直に思う。よって、他人には勧めにくいとも言へる。
私的ベルイマン初体験は『沈黙』(’63)だったのだが、高校生の自分にはハードルが高すぎたようだ。やはり初心者にはこのフィルムが最適ではないか。


『野いちご』 Smultronstället (‘57 スウェーデン) 91分
梗概
50年に亘る医学研究の功績を認められ、名誉学位を受けることになった78歳の老教授イサク(ヴィクトル・シェストレム
)は、己の死を暗示する悪夢を見て心持が好くない。そのせいか飛行機をやめて自家用車で14時間かけて行くと言い出す。そんな彼に、一人息子で医者となったエヴァルト(グンナール・ビョルンストランド)の妻マリアンヌ(イングリッド・チューリン)も同行する。

途上では現代っ子の少女(ビビ・アンデショーン)と二人の青年を同乗させてやり、夫婦げんかを繰り返す夫婦や彼を恩人と慕うGSの主人(マックス・フォン・シドー)と妻、98歳にもなる彼の老母らとの出会い、そして車中で見た夢を通して自分の人生を顧みる機会となる。人との煩わしい関係を避けてきた人生は実に虚ろであったが、この小旅行を契機に後悔と反省を促すこととなる。

映画の冒頭でイサクの悪夢が描かれる。
・地球最後の男になったかと錯覚する人気のない街


・街角の時計にも彼の腕時計にも針が無い


・見つけた男が振り向くとストッキングを被ったようなブキミちゃんで、やおら倒れこむと体が溶けだしてしまう。


・挙句、馬車が落として行った棺桶の中には彼本人が入っていた


フロイトを援用せずとも死への恐怖心が暗示されていることが分かる。

しかも、針の無い時計=現在過去未来が不分明となることを示唆している。


つまり、本作は<時間=人生=生と死>に関わる問題を含んでいることを宣言しているのである。こんなことも、ベルイマン映画が重く感じられ敬遠されがちになる要因でもあろう。


しかし、有神論無神論の相克を真正面から取り組んだ『冬の光』(’62)や『沈黙』(’63)などのような作品群と異なり、所謂ところのロード・ムーヴィー的スタイルに仕立て上げていて、最初に書いた通り初心者でもとっつきやすい。しかも後期高齢者と若者たちの交流などから、時には心温まる雰囲気すら漂ったりする。

 *左)ビビ・アンデショーン*
で、彼が道々見た夢ないしは回想は、彼が78歳の姿のまま青年時代の在りし日々へと遡る。当然、兄弟や従兄妹たちは若者そのもの。針の無い時計のように現在・過去が同期する。

 *右)ビビ・アンデショーン(二役)*

そこで彼は婚約者サーラをお調子者の弟に奪われる過去と向き合う。

さらには自分に無関心だとの不満から妻が不貞を働く過去も明らかになる。


いずれも彼が他者との関わりを極力避けている故、何らかのトラブルが生じても冷徹で諦観した態度が時には聖人のように、時には冷酷に見えたりすることも判明。
このように老主人公イサクの歩みが我々の前に開示される。


それらの回想シーンへと誘うきっかけは、若いヒッチハイカーたちとの交流からくることは明らかだ。司祭を目指す男子と医者を目指す男子と奔放で気の好い娘。生気に溢れた彼らの姿はさぞやまぶしかったことだろう。己の青春時代を回顧したくなる気持ちも分かる。

 *リバーシブルのコートがカッコ好い*
 

100歳近い高齢の母を訪問した際に、針が失われてしまった懐中時計を見せられる。彼女にとって時間はもはやあって無きものである。過去の遺物に囲まれて生活する姿は針の無い時計同様、現在過去未来が不分明で時が停止しているかのようだ。

 

ここでも<時間=人生=生と死>といふ論題が伏流していることがリピートされる。マリアンヌはそんな老母を凝視し彼女の現状に恐怖する。己の<人生=生と死>に重ね合せて。


最終的にこの小旅行は無事に終え、大学での名誉学位を授かる行事に出席できた。

無垢で真っ正直なヒッチハイカー三人組が心底嬉しそうに偽りの無い祝いの気持ちを表現する。イサクは心穏やかに就寝する。

もしかしたら、遅まきながらも彼の人生が有意義に感じられる道筋へと一歩踏み出す予感なのかも知れない。

*本稿末尾『ストレンジャー・ザン・パラダイス』のカットと比較*

 

ついでに言ふと、息子エヴァルトは父親を見て育ったせいで、家庭に絶望的な見方しかできなかった。子どもをもうけないのもそのためだ。だが、マリアンヌへの愛情を吐露し、関係改善に期待できそうな終わり方ともなる。

 *左)グンナール・ビョルンストランド*
 

このように、ベルイマン映画にしては珍しくハッピーエンディングっぽいのだ。しかも、40年仕えている家政婦との最後の会話に、彼の内面の変化が如実に現れておりユーモア感をにじませて粋ですらある。これも敷居の低さを物語っている。

 *右端)マックス・フォン・シドー*
 

主役にはスウェーデン映画界の巨匠監督として著名なヴィクトル・シェストレムを招聘。賞賛に値する演技を魅せた。1960年没。

同行する息子の妻マリアンヌに扮するは常連イングリッド・チューリンリヴ・ウルマンと共にベルイマンのミューズとして彼の作品世界を支えた国際スターだ。

婚約者サーラとヒッチハイカーの二役を演じたビビ・アンデショーンも常連組の一角を占める。

 

ところで、イサクの回想場面で、婚約者サーラが叔父さんの誕生祝いに野いちごを籠一杯に摘んでいる。彼の弟が傍らで口説いている。

この“野いちご”とは、その日を境に終焉を告げた彼の幸福だった幼年時代の謂いではないだろうか。

 *サーラの持つ籠には摘みたての野いちごが*

 *サーラが指さすのは・・・*

 *かつて見た避暑地の父母*
 

であるなら、イサクにとって“野いちご”こそが失われた“薔薇のつぼみ”だったのだ。


本日も最後までお読み下さりありがとうございました。

*ベルイマンを敬愛するジム・ジャームッシュ監督『ストレンジャー・ザン・パラダイス』のカット*

 

【参考データ】

第8回ベルリン国際映画祭金熊賞

第17回ゴールデングローブ賞外国語映画賞

1962年キネマ旬報外国語映画ベスト・テン第1位

 

監督・脚本:イングマール・ベルイマン

『沈黙』『叫びとささやき』『ファニーとアレクサンドル』

撮影:グンナール・フィッシェル

『夏の夜は三たび微笑む』『第七の封印』『魔術師』

音楽:エリク・ノルドグレン

『不良少女モニカ』『処女の泉』『鏡の中にある如く』

 

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