幕末は新撰組だけじゃない『合葬』 | 徒然逍遥 ~電子版~

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こんにちは。行政書士もできる往年の映画ファンgonzalezです。
訪問ありがとうございます。


“ジャケ買い”といふ言葉がある。CDなどのパッケージ・デザインを見て気に入って購入。中身は未知数である。期待と不安のせめぎ合いだ。
同様に映画も劇中の一場面を切り取ったスチルを一目見て、これ見てみたいわ。と恋に落ちるような場合がある。例へば『ラ・ラ・ランド』のあの宣伝用スチル。あのシーンは本編ではほんの一瞬である。が、彼らのポーズは一体何なのだろう?と興味が湧く。


これもそう。


『合葬』 (‘15) 87分
梗概
徳川幕府が大政奉還を成し、徳川慶喜は謹慎する。その姿をダイレクトに目に焼き付けた若き侍・極(柳弥優弥)。幼少の頃からの友・悌二郎(岡山天音)の妹・砂世(門脇麦)との婚約も白紙撤回し、やはり幼馴染の柾之助(瀬戸康史)を誘い彰義隊に本格的に参画。もはや遂行する任は無いにもかかわらず彰義隊の若き面々は明治政府との開戦を待ちわびる。死に場所を求めて。

↑このカットを一目で気に入ってしまった↑
なんかこう格好良くないですか。対照的な二人の佇まいと構図が。この吸引力って何なのだろう。自分にとって忘れ難い印象を残して。


で、見るべきは若手俳優陣。柳弥優弥は過激武闘派の最右翼。瀬戸康史はノンポリの優男。岡山天音は長崎留学経験者で学があり弁が立つ。三者が三様の役柄をしっかり演じる。

そうそう、柳弥の同士役で『ひよっこ』小島藤子のフィアンセを演じた井之脇海がちょっと目立っていた。

 *井之脇海と柳弥*
 

それにしても柳弥の存在感は圧倒的なオーラを放つ。

 *門脇麦と柳弥*
 

門脇麦も脇役とはいえ色添えにとどまらぬ芝居を見せる。


初めて観た女優・桜井美南が可愛らしい。


その他には、オダギリジョー、りりぃ。意外や大物、隆大介も。


地味な小品であるもののキャストは一流。驚きだ。


作品全体のトーンは実に落ち着いたものだ。斬り合いも一度だけだし、戦争のスペクタクルもない。彰義隊の日々の業務と若者たちの日常をたんたんと映しだす。クライマックスへと物語のうねりが昂ぶることもない。


その落ち着きぶりにはカメラワークと照明が大きく寄与している。派手さはないがスタイリッシュな映像とカットが際立つ。


印象深いのは、巻頭から瀬戸が何か生き物に係るモノを踏みつける場面が二回あること。

加えて、水たまりを気にせずに歩行する柳弥、ちょっと気にする感じの岡山、避けて歩く瀬戸のまっ白い足袋、の足元をローアングルで映し出すこと。
幕末に生きる彼らは何を踏み、何を踏まなかったのか。それらは何の謂いだったのか。興味は尽きない。


さて、ここで瀬戸のキャラに目を向けてみよう。
冒頭から登場し最後まで生き残るのは瀬戸である。彼らの中で一番思想性のない侍で、剣術も今イチ。介錯する度胸も無く泣いて逃げ出す。しかも実戦用の刀を買うために支給された金で、ちょっと惚れた娘にかんざしを買ってしまうような軟派である。


その娘が柳弥に気があると知り、彼女から託された柳弥宛ての手紙を読んだ挙句破り捨ててしまう。

次いで、彼が昼間から深川で遊んでいることや、遊女から送られた手紙を持ち出してそれを見せ、悪印象を植え付けようと画策する。何とも卑怯な所業である。


が、瀬戸がちょっとお間抜けなお坊っちゃんで、その爽やかな風貌も相まっていやらしさを薄めている。というか全然陰気で嫌なヤツと思えないのが面白い。
冒頭でも養子縁組先の養父の仇を討ちに行くふりをしてそのまま遁走するなど軟弱者呼ばわりされても無理無き人物。


なのに無意味な決死隊の如くに成り下がった彰義隊に加わり続けたのはなぜか。
隊にいても面白おかしいことはなかったろうに。ただ、あの娘に出会えたことだけだろう。片想いに終わったが。


もしかしたら、だが、運動部でも熱度の高いヤツと低いヤツがいるような感じだろうか。

熱心に取り組むヤツもいればとりあへず部員でいるみたいなヤツもいる。

やる気が高まらなくても他にやることもないから参加中。みたいな。
瀬戸も今までは特に打ち込むべき対象が見いだせなかったゆえだったのかもしれない。かといって隊の思想に傾くこともない。誘われたので何となく。ほぼ惰性。


体制は変われど人間本来の持つ特性・傾向なんて変わらぬものだ。
柳弥だって明治政府樹立70年後の太平洋戦争時代の、そして今なお続く自爆テロ活動の予型ともみなせるし。
岡山は言論を駆使して批評活動を展開する有識者のひな型だろう。

 *悌二郎、死す(右下*

 

でも、瀬戸タイプが悪いというわけじゃあない。だって自分も含めて世間の大部分の人達が大きく言ってこのタイプに分類されるだろうから。
学生運動だって過激学生よりもノンポリ学生・中立的学生の方が多数派だった。
彼=大衆が最後まで生き残ったのは故なきことではなかったのだ。


激変する時代の中で指導者に忠義を貫く者は死に至り、反対を唱える者は口を封じられる。近代日本でリピートされた場面である。将来同じようなクライシスが到来しないとは言へはしない。


しかしまあ、そんなに大上段に構えずとも幕末青春群像劇として観れば十分だろう。
写真館で三人がピストルの打ち方を無邪気に楽しそうにまねるシーンは青春ドラマとしての本作の要である。まだまだ子供だったんだね。17歳。


そしてエンドロールに流れる雅なスコアが深い余韻を残す。
これは秋の夜落ち着いてしみじみ鑑賞するに適した作品だと思う。尺も短くて○


さて、これまた原作漫画があるそうで。一度読んでみたいものである。


本日も最後までお付き合い下さりありがとうございました。