こんにちは。行政書士もできる往年の映画ファンgonzalezです。
訪問ありがとうございます。
有色人種の大統領誕生は時事的ニュースとしては衝撃No1だったろう。
従来の言い方をすれば所謂マイノリティ出身ということで。
*「チェンジ!」*
しかし地域性もあるだろうが今でも黒人系は不安定な立場にあるような気がする。
実際はどうなのだろうか。
さて、米映画界は国民世論や意識に敏感に反応してきたことは目に見えて明らかだ。
その一つとして無視できないのは黒人俳優が演じる人物像だ。
彼らはどんな役を期待されていたか。どんな役を演じさせられたか。
これらの問いは米国内の黒人の立場がどんな状況かを物語っていると思われる。
で、黒人初のオスカー俳優は誰だろう。シドニー・ポワチエ?
ちがうね。『風と共に去りぬ』 ('39) でスカーレットの世話をするメイド役のハティ・マクダニエルだ。助演女優賞受賞。
次いで24年後にやっと『野のユリ』 ('63) でシドニー・ポワチエが主演男優賞に輝くことに。
よく言われることだが彼が演じる役柄は白人レベルの教養と知性を具備した人物。
ちゃんとした英語を話し紳士的できちんとスーツを着用しスマートな身のこなし。
いうなれば中身が白人で外見が黒人というような人物像だ。
確かに『復讐鬼』 ('50) では早くも黒人医師に扮していた。
リチャード・ウィドマークに逆恨みされて難儀な目に遭っていたな。
『野のユリ』 ('63) では一転して流浪の旅をする黒人青年。
しかしポワチエが発するイメージが観客に投影されるためか気のいい親切な黒人という親・白人派みたいな感じがしたのだろうか。それとも純粋にその技量が評価されたのであろうか。見事主演男優賞を獲得するに至る。
もっともゴールデン・グローブ賞やベルリン国際映画祭でも受賞しているので幅広い支持を得ていたことは確かだ。
『夜の大捜査線』 ('67) ではやはり東部のエリート刑事役。
南部の地元警察官よりも週給がいいという。ここでも差別意識に囲まれて往生する。
『招かれざる客』 ('67) でも優秀な医師に扮する。
白人の御嬢さんとの結婚を認めてもらうべく彼女の両親の元を訪問する。当然関係者はうろたえる。
このように主な作品を見通してわかるのは“白人よりも白人らしい黒人”というキャラクターを付与された、あるひは期待されたという疑いも無い事実。
それゆえ丁度60年代後半に“アメリカンニューシネマ”の出現と70年代初頭に台頭した“ブラックスプロイテーション映画”の影響でポワチエの出番は失われていった。
つまりもはやきれいごとは通用せず現実社会の問題から目を逸らさない視点。ブラックパワー全開の時代に親・白人派的黒人はアナクロチック。といったいわば“気付き”が社会的風潮となり映画界はそれに敏感に反応したんだな。
しかしだからといってポワチエの存在意義が薄れることはない。黒人ゆえ主演俳優の地位を守ること自体がもはや戦いだったから。
どんな苦労があったかは想像するしかないがかなりのプレッシャーを感じていたことは間違いない。孤立無援状態のこともあっただろう。
では時代は次にどんな黒人像を求めていたのか。そして黒人側からはどのような積極的アプローチが示されたのか。イメージ構築のイニシャティブを握ることはできたのか。こんな難しそうな問いかけに自答できるのだろうか。続く。
今日も最後までお読み下さいましてありがとうございました。
*『手錠のままの脱獄』トニー・カーティスと* *『いつか見た青い空』*
記事:ポワチエからワシントンまで~黒人オスカー歴代史で見る米国社会情勢
●ポワチエからワシントンまで~黒人オスカー歴代史で見る米国社会情勢~その1
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