6月下旬〜7月中旬の北海道~その2~ | 角目好き

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四角いライトいかがです?

7月の中旬は連日晴天に恵まれた。毎日違うオートバイで日帰りツーリングする計画を立てていた。維持管理が目的なのか、楽しもうとしているのか、わからないのだけれど、殆どのことは初めてみれば楽しさを見つけられる。

まずはスピードトリプルで積丹半島一周だ。左回りで入った。暫く走っていると急に視界がひらけて、積丹岳が視界の左側に広がり、直線の先のカフェにはのぼりが出たところだった。

 


広い駐車場に入っていくと建物からまっすぐ猫がこちらへ向かってきた。足にまとわりつきじゃれてくる。まさに本物の招き猫だった。

店内を覗くとアイスクリームの平置き冷凍庫が見えた。夏の日差しに慣れていたから良く見えなかったのだけれど、アイスクリームのショーケースから眼を上げると、こんな北のはずれには似つかわしくない若い女性が立っていた。

「黒ごまアイスクリームいかがすか。昨日の夜作ったばかりです」と言う。だから「じゃあそれで」。

さっぱりとしていながら濃厚な甘みだった。私は地元の人に聞いてみたいことがあったので聞いてみた。「積丹岳は滑れるのですか」。すると、「ゲレンデはないのですけれど、春先になると連泊して天気の日に登ってオフピステを滑る人がいるみたいです」。

春先に、石狩湾を挟んで海に浮かんで見える真っ白な積丹岳。やっぱり滑れるのか。私は女性から視線を離して、ドアから山頂を眺めていた。

カフェからは大量のパンを抱えたお兄さんが出ていった。何でもこの先で温泉やってるのだそうで、やり取りをしているときに、北海道のリズムに自分が馴染んできたことに気がついた。北海道の人たちは飾ることが無く、皆フレンドリーだ。

神威岬の駐車場は賑わっていた。リッターレプリカにフルパニアのライダーと話が弾み、これから岬の先まで行くと、着替えをしだしたライダーもいた。初夏の北海道は全国のライダーと話すのが楽しい。だけど大概私は東京の人だとわかるうようで、まだまだ外様だ。北海道弁は喋れるようになったのだけれど。

さてそろそろ自分も行くかと平らな駐車場を出て2速に上げた時だった。唐突にエンジンがストールして止まってしまった。

整備してくれた友人が言っていた症状が起きたのだった。100kmの試走で問題は出なかったので、工具とジャンプスターターを置いてきてしまっていた。

札幌ナンバーのライダーに車載工具を借りてバッテリーのマイナスを外してコンピュータリセットをかけた。だけど全く改善しなかった。

友達に電話してキャリーカーでのピックアップをお願いしていると、向こうから青年がやってきた。「何か手伝いましょうか」。

青年にはクラッチを握ってもらうことにして、私は右手でアクセルを大きくひねりながら左手でセルを押し続けた。だけどかかる気配は全く無かった。

「友達来るからあきらめるか」と弱音を吐いていると、「押しがけしましょう。手伝いますよ」。

 

スロープを利用して押しがけをしてみたら、あっけなくエンジンが掛かった。スピトリにはハンドルを握ったままでは跨がれないので、ニュートラルに入れて、青年には後ろから押してもらった。

「次に止まったら自力で頑張ります」と言って、私は駐車場を後にした。青年は高台からずーっと見送ってくれた。

友人とは小樽で落ち合った。途中3000回転以下でストールの兆候が現れることを伝えて、そのまま入庫となった。こうして1日目が終わった。長い1日だった。

 


翌日はXVでいつものハーレーおじさん達に混じって富良野に行く予定だった。ところが三笠高校のちょっと先から渋滞が始まり空冷では無理だと、日本海側にUターンしてお昼を食べて解散となった。

この日のショックはもう一つあった。ロードキング乗りの仲間がとうとうハーレーを降りてしまったのだ。25万㎞の車体にはあちこちトラブルを抱えていたようだけれど、それを乗り越える体力も気力も湧いてこなかったのだろう。


ただ、代わりに乗ってきたカワサキW650はタンクが深いグリーンで、渋くてカッコよかった。オートバイにはもっともっと乗り続けてほしい。


2日連続であきらめが続いた。思い通りに行かないほうがほとんどなのだからと納得する他無かった。だけどもう何も起きてほしくない。

 

翌日はVFRに乗ってキロロ経由で積丹半島を時計回りに走った。銀山を抜けて国道5号に出て暫くすると、泊という看板が現れた。

 

右折の先には出来たばかりの綺麗なトンネルが口を開けていた。入口に近づくとトンネルから冷たい空気が吹き出していた。



トンネルを抜けると丘を切り開いた道路が続き、その先の谷には高架道路が架かっていた。まるで全ての道は泊村に通じるかのごとく、快適な道が続いた。

 

 

海岸線を少し走り、国道から泊港に降りていった。村の重要指定文化財のニシン御殿を眺めに行ったのだ。建物はサンドカラーで塗られたばかりのようでやけに綺麗だった。私がこないだ買ってスケボーを塗ったペンキと同じ色っだった。


神威岬に到着した。天気が良く、2日前より賑わっていた。VFRはセルの押しかたにコツがいるけれど、問題なく駐車場を後にできた。なぜかわからないけれど長居無用の気がした。

帰り道はいつものごとく塩釜に抜ける農道を走り、そのまま朝里まで抜ける道を発見できた。ちょっとしたワインディングがあって得した気分だった。

VFRはワインディングでビタッと決まる。スピードトリプルの高重心からくる運動性はないものの、低重心ロングホイールベースは寝かせて作るラインにオンザレールとなり、私はこの動きを楽しいと感じるようになっていた。RC30の、後輪の上に乗って高い位置からスパッと寝かせてクッとステアしてグイーンと曲がるダイナミックさからは程遠いのだけれど。

こうしてライディングで久しぶりに運動をした1日となったのだった。

4日目はFZ400Nだった。家を出て国道沿いのスタンドで給油をしてセルを回すと、1気筒死んでいた。それまでは気持ちよく回っていて、やっぱりFZは元気で軽快でいいなーと思っていただけにショックだった。

待ち合わせがあるので急遽家に帰り手前に出ていたVFRに乗り換えた。


いつものハーレーおじさん達と合流して羊蹄山に向かった。ぐるっと一周してからニセコに入り、昼食を取り、キロロ経由での帰宅となった。このお散歩コースにはFZが最適なはずだった。VFRでハーレーの走りについていくのはコーナーで我慢を強いられた。

FZには少ししか乗れなかったけれど、やっぱり一番ホッとできた。そしてFZも友人の工場に入院の運びとなった。

 

XVはフルパニアにした

 

こうして毎日違うオートバイを走らせたものの、楽しいばかりの時間とはならなかった。次回は9月に入ってからの来道となる。2台が直っているといいのだけれど。そして涼しくなっているといいのだけれど。