第一号取り調べ室の隣の部屋からマジックミラー越しに、静かに膝に手を重ねて置き、パイプイスに座っている白峰を署長は、確認した。供述を作成していた馬路刑事は、堅い表情で、隅の椅子から、彼女の背中を眺めていた。金子は、その取調室に戻った。
「・・・・・・・残念ながら、やはり彼女だ」と、古川署長は、悔しそうに、呟いた。
「署長、記憶は確かですか」
「病院で2度ほど合っているし、息子の命も助け、娘さんは、暴走族からも足を洗わしてくれた恩人を一生忘れてはならないのだよ。それに、警察官の習性というのか、歳を取っても人の記憶は、良い方だからな」
「どうされますか?」
「会わせてもらうよ。こんな形で、白峰さんと逢おうとは・・・・」
白峰は、伏せ目かちに、座っていた。犯罪者が、このように姿勢を正し、冷静に取調室で、待機しているのも珍しい。これから、拘留され、冷酷な殺人鬼として、マスコミに晒され罵倒を浴びるのに、本人は他人事のように落ち着き、まるで聖女のごときだ。
警察官の制服の男が、目の前に座ったので、白峰は、面をたおやかに持ち上げた。
「覚えて見えますか、私を?」
白髪頭に浅黒い顔の老域に入った男である。白峰は、記憶を辿るように署長を見つめた。右の太い眉毛の横に米粒大のイボがある。しばらくして、白峰の表情に笑みが現れた。
「札幌の佐川救急病院で、確か息子さんの手術を、私が執刀しましたね。古川さんでしたか?」
彼女の記憶は、聡明であった。
「そうです、憶えてくれていましたか。あの退院後、息子もリハビリに専念して、半年後には、完治しました。先生に家内と報告にあがったら、退職されていて、礼も言えなかった。改めて、お礼を申し上げる。貴女方のお陰で、いま息子はまともな職に就き、結婚し、望まれて、その家の養子に入った。あとは孫が生まれるのを楽しみにしています。あの時洋子さんがいたから、いまの息子がある、と命日には、家族で墓参りをさせていただいています」
「ありがとう、御座います。洋子も憲一さんとは、仲良くさせていただき、幸せでした・・・」
古川署長は、頭を机に付くぐらい深くさげた。彼女は、いえと短く、それを受けたが、表情は、彫刻像のように硬かった。何故、金のためだけに、このような人格ある人が、幼い子を誘拐し、殺人まで犯さなければならなかったのか、これは事件の背景に複雑なものが入り組んでいるに違いない。署長は、彼女を単に金目的の殺人鬼とは、疑いたくなかった。
「真意は、分かりませんが、罪を犯したら、あとは償うことが、肝心です。死体を放置したままでは、亡くなった者は、決して浮かばれない。早く両親の元に返してやって下さい。折角自首を思いつかれたなら、彼方が素直に罪を認め、包み隠さずに供述してくだされは、罪は少しでも軽くなる、私もそれを強く望みます」
「もう少し、お待ちください。まだ、私の中には、この誘拐事件は、終わっていません。唯ちゃんの死も無駄にしたくありません」と、白峰は、始めて、この署で涙を見せた。その女の涙が、きっとすべてをかたっているに違いない、と犬節は、そう読んだ。唯ちゃんの死を無駄にしたくない、と言うことに、彼女の犯罪の真意が、隠されているに違いない。
白峰は、それ以降、意を決したのか、ほとんど答えなく黙秘権を行使した。金子が、威喝するように、机を叩き、吐かそうとしたが、犬節が、それを嗜めた。古川は、犬節とともに、取り調べ室を出た。
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