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専業トレーダーブログ

僕は、FX専業トレーダーという人生を選んだんだ。日々の生活から考え方・トレード検証まで。




今周りからどう見られているのか、人はその目を常に気にしながら生きている。普段は意識にはあがらないときでも、ちょっと内側に目を向けてみるとそんな自分がいるはずだ。


でも、今自分が自分のことをどう見ているのか・自分で自分をどう評価しているのかを気にしている人は少ない。

何気なく今とった行動に対して、周囲がどう感じたのかに目を向けるのではなく、自分が自分をどう感じたのかにちょっと意識を向けてみるんだ。


周囲との折り合いはうまくつけられたとしても、自分では自分を評価できていないことが多いかもしれない。

逆に、周囲からは反対されたり軋轢が生まれてしまったとしても、正しいと信じている本心で行った行動に対しては、すごく自分を褒めてやりたい気分になるはずだ。


もちろん、人と人との関係の中で生きている以上、周囲に気を配りながら良好な関係を保つことは大切なことだ。人を傷つけたり、全てを思うように自己中心的に行動することは許されない。



ただ、今とろうとしている行動が、意識の上では周囲のためだと思っていても、無意識のうちに自分を守るための行動になっていないかということなんだ。

本当はこちらの方が正しいと思っていても、周囲の目が気になり自分を守る方向に意識が向くと、本心とは全く違った行動や発言が生まれる。


それによって、その場を切り抜けることができてホッとできる一方で、これが大きなストレスになる。このような行動が続くことで、どんどん自尊心が失われて、自分で自分を評価できない自分になっていく。


守っているつもりでも、どんどん傷つけているんだ。



今正しいと感じていることに沿って、素直に行動と発言を選択してみる。周囲からは様々な反応があるかもしれないけれど、それを実際に行動に移してみることで、自分の考えが間違いであったことにも気付くことができるんだ。

自分の思いに沿ったものだから、勇気をもって行動できたことに自信が生まれるし、間違いだと気付いたときにも素直に受け入れることができる。



周囲がその時どう反応するのかは分からないけれども、自分がその時どう感じるかははっきりと分かるはずだ。




僕たちは、何か新しいものや人に出会ったとき、その出会いの一瞬で無意識の中であらゆる判断を下している。

言葉ではうまく表現できない体感的なものだけれども、何か気になる・引き込まれる・感じが悪いなど、これまでの様々な経験や知識を瞬時に統合して目の前のものを感じているんだ。


第一印象と呼ばれるものだけれど、その感覚や判断を瞬時にまず引き受けた上で、そのあとに理性で頭の中で色々な後付けの判断を下している。

この第一印象は、理屈では理解できない感覚だけれども、頭の中で考えるよりもはるかに多くの情報が一瞬で処理されたものであるから、ほぼ間違うことがないし、なかなかその判断を覆すことは難しいんだ。



すごく顔立ちがキレイで美男・美女だけれども、何か魅力を感じない人がいる。逆にそれほど美形とは言えなくとも、言葉では表せない魅力を感じる人もいる。

日々の考えていることや行動・習慣が、目には見えないその人の魅力となって表れるんだ。これは、目に見えるものだけが全てだと考える人には理解できないことかもしれない。

いくら見栄えを着飾っても・もっともらしい言葉を発していても、出会いの一瞬で分かる人には全てを見透かされている。



何かの商品を見定めるときも、僕たちは出会いのその一瞬で、それがありなのか・なしなのかを判断している。はっと目につくタイトルの書籍や、引き込まれるデザインのパッケージなどだ。

ただ今は、人のその一瞬の判断で、良い反応をしてもらうための様々なマーケティングがかけられているから、中身が全くなくても良いと誤認してしまうことが多い。

本当に中身のある良いものよりも、良く見せられるものが売れてしまっているんだ。第一印象は強烈だから、一度良いなと感じてしまったものは、余程のことがない限りずっとその色眼鏡で見てしまうことになる。



ファーストインプレッションで、仕事でも人間関係でもその後の展開が全く違うものになる。自分が描いている方向へ物事を進めるためには、まずはこの出会いの一瞬に全精力を集中するんだ。

営業にしてもプレゼンにしても、商品・サービスにしても異性との出会いにしても、相手に触れるその一瞬だけに全精力を注ぐ。その一瞬さえ掴むことできれば、自分の思う方向へ物事を進めることがずっと簡単になるんだ。




人は、思いもよらない展開に遭遇したり、ある人に出会ったり自分の思い通りに行かないときなど、あらゆる人生の局面をこれは運命なんだと捉えたがるんだ。

それは、その状況の理由が自分では理解できないからで、自分が分からないことは全て運命として片付けてしまえば、もやもやが解消されて何だか妙に納得できてしまう。



でも、この世界に生きていて本当の運命というのは、男や女に生まれてきたことやこの時代に生まれてきたことなど、ほんの僅かしか存在していない。

目の前にある現象・現状は、全てに原因があって全て自分が引き起こしたことなんだ。



病気にかかるということについてもそうだ。何か大病を患うと、神様が見放したからだとかこうなる運命だと考えてしまうけれども、それもこれまでの自分の生活態度や身体・心の使い方に全て原因がある。

自分は何も身体に負担をかけることはしていないと思うかもしれないけれど、身体はある原因に対して素直に病気という反応を返しているに過ぎない。


今の生活や身体・心の使い方は間違っていますよ、というサインを与えてくれているんだ。



何をやってもうまくいかないときがあるかもしれない。そのときも、自分には才能がないとか、自分は何をやってもうまくいかない星の下に生まれてきたなどと考えてしまう。


でも、それも自分の努力がまだまだ足りないか、方法や考え方がずれているに過ぎないんだ。何かに取り組んで、全く思うような結果が出ないということは絶対にない、絶対だ。

そのときに運命という言葉を持ち出して、変に自分を納得させてしまうからそこで諦めてしまう。辛いことかもしれないけれど、自分の頑張りがまだまだ足りないことを素直に認めて、また一歩進んでいくしかないんだ。



僕は、その他の災害や不運と言われることが自分に降り掛かるときも、その原因は自分が作り出していると考えている。

自分ではどうすることもできない力が働いているように思えるけれども、自分の目の前に現れるということは必ず自分に原因があるし、何らかの意味を持っているはずだ。


このタイミングでこの場所でこれが起きた意味は何なのか、何かが起きたとき僕は常にそれを意識している。その意識があることで、全ての現象を次に繋げていくことができるんだ。



運命と片付けてしまえば、何も考えずに済むし、妙に納得できて諦めもつくから楽だろう。でもそれでは、これから先もずっと何か得体の知れない力に怯えて生きていかなくてはいけなくなる。


逆に運命などなく、全ては自分に原因があって自分次第なんだと深く信じることができれば、自分に起こることは全てコントロールできることが分かるはずだ。




僕たちは、色々な理想や想い・願いをもちながら日々を生きている。あれが欲しい・こうなりたいと、目標をもって頑張っている人もたくさんいると思う。

でも、それが物質的なものであれ精神的なものであれ、本当に手にしなくてはいけないものは何だろう。それを認識できずに、人生もクライマックスになってから気付いてしまっては、全てが後悔になってしまうんだ。



今、とにかくお金が欲しいと思っている人もいるだろう。でも、お金それ自体は手に入れるべき目標にはなり得ない。

それを使って何をするかというのが目標であって、お金自体は単なるその手段に過ぎないんだ。もしかしたら、その目標や想いは、お金がなくても達成できることかもしれない。



憧れの職業に就くため・会社に入るために、色々な勉強を重ねている人もいるだろう。でも、その職業に就くことも会社に入ることも手段であって、そこで何を成し遂げたいかが本当の目標になるんだ。

それがなくてその会社に入ってしまったら、きっと入社の瞬間は嬉しくても、日々の社会人生活は閉塞感の漂うものになってしまうだろう。



最終的に、本当に"手にしなくてはいけないもの"というのは、僕はないと思っている。手にするものではなく、何を与えられる人になれるかが人生を決めるんだ。


仕事にしても、最終的に金銭という形で報酬を受け取っているけれども、それは商品なりサービスを誰かに届けることができた結果に過ぎない。受け取った誰かの役に立てたという実感があるから、自分の仕事の意義を感じられるし、そこに本当の幸福感がある。


もちろん、たくさんのお金が手元に残れば嬉しいけれども、この誰かの役に立っているという実感は、それとは別次元の幸福感を与えてくれるんだ。

接客をしている方であれば、お客さんの心のこもったありがとうの一言で、一日の疲れも吹き飛んでしまうだろう。商品を提供している会社に勤めていれば、それを使ってくれている人を街で見る度に、自分を誇らしく感じるはずだ。



何も大きなことを成し遂げられなくとも、家族をもっている方であれば、子供一人を立派に育てたというだけでも、自分の人生を誇っていい。自分がいなければ、その子はこの世界を見ることができなかったんだ。



"自分が何を手に入れることができるか"ではなく、何を与えることができるか・何を残すことができるかを常に突き詰めていく。

家族や友人など、身の周りの一人でもいい。自分がその人の役に立てたという小さな事実ひとつだけで、簡単に幸せなんて感じられてしまうんだ。




人は、何かの選択を迫られたとき、どれが自分にとって正解なのかを必死に考える。今の自分の知識や経験を総動員して、そのとき最善だと感じられるものを最終的に選択する。

以前も経験したことのある事柄であれば、過去をそのまま参照することができるけれど、選択肢を前にして考えるということは、自分にとっては未知の部分が存在しているはずだ。



でも残念ながら、目の前にある選択肢にどれが正解・不正解というのは存在しないんだ。どのような状況になったとしても、あるひとつを選んだ後、それをどう捉えるかによって自分にとっての正解・不正解になり得るんだ。

仮に正解が潜んでいたとしても、未知の部分がある限り、それを知らない現状の自分の頭でいくら考えたとしても、絶対にそれを選び出すことはできない。



道がいくつかに分かれていて、どの道を進もうか迷ったら、素直にこっちに行ってみたいなという方向に進んでみる。その先にどんな景色が広がっていたとしても、それを見る自分次第で全てが正解になるんだ。


逆に、そこで色々頭で考えに考え抜いて導き出した道は、必ず今の延長戦上での景色が広がることになる。これまでの過去を参照にして出して答えなのだから、当然なんだ。

何かを変えたいと思ったら、今までとは違う考え方で物事を選択していかなくてはいけない。今の自分の考え方・見方で世界を捉えている限り、同じような現状がループしていく。



そのとき大切なのは、選択したときに失うものではなく、選択することで得られるものに常にフォーカスすること。そうすることで、その道を進むことに躊躇することなく、突き進む行動力が生まれてくるんだ。