人は、常に自分の考えや想いを支持してくれるものを探している。そうだよな・そうだよねと、自分は正しい・間違ってはいないという裏付けが欲しくてたまらないんだ。
でもその自分が、絶対に正しいとは限らない。そこに固執してしまうと、もう真実はどうでもよくなって、ただ自分が正当化できればそれで良いという偏った考えを持ってしまうんだ。
弁護士の友人の話を色々聞いているとよく分かる。離婚問題で相談に来る人で、どのようにするのが二人にとって一番良いのか、という形で来る人はほとんどいないそうだ。
自分が正しいこと・間違ってはいないことを、ただ相手に認めさせたい。何が真実で、何が家族にとって最善かはどうでも良く、ただ自分が正しいことを正当化したいんだ。
子育てについての考え方の不一致で、自分の正しいと思っている考えを捨てるくらいなら、離婚することなど厭わない。何が子供にとっての最善か・幸せか、という観点からズレたところで話が進んでしまうんだ。
確かにその考え・想いは正しいのかもしれない、自分の中では。でも、ただそれを守もうとするがために、もっと大切なものを失うことがあるということだ。
でも、大抵の場合、そのような大切なことまで忘れてしまうような考え方・想いは間違っている。
そんな固執した考えよりも、本当に守るべきものを忘れることがなければ、次へのアクションも展開も全く違うものになる。
自分の考えに賛同してくれるYESを探して安心するよりも、自分では見えていなかった捉え方や痛い部分を突いてくれる考え方にこそ、真実が隠れている場合が多いんだ。