人は自己防衛のために、ついついあらゆる責任を自分以外の外に転嫁してしまいがちだ。どう考えても自分は悪くないのだから、責任は相手にあるのだと。
でも、例外なく、今経験していることの責任は全て自分にある。自分はどう考えても悪くないということを前提にしている時点で、すでに自己防衛が始まっているんだ。
自分の会社はブラック企業で、とんでもない会社に入ってしまったと嘆いている人がいる。半ば諦めてしまって、仕方なく働いているんだと犠牲者を演じている。
とんでもない会社と思っているのなら、とっとと辞めてしまえば良い。いつでも辞められる自由があるのなら、そこはブラックなどではないんだ。
そこで働いている今の状況・経験は、会社のせいではなく、環境を変えるという行動ができない自分・勇気のない自分・そこを離れるとすぐには働き口が見つからないという自分の未熟さが原因なんだ。
パートナーが浮気をして、裏切られたと怒っている人がいる。その今の状況・経験は、パートナーが悪いのだろうか。
確かにパートナーは浮気をした、それは紛れも無い事実だ。でもその状況を、裏切られた・傷つけられた経験として招き入れているのは自分自身だ。
子供が悪いことをして、何故そんなことをこの子はしてしまったのだろうと心配しない親はいない。なぜなら、子供を愛しているからだ。寂しい思いをさせてしまったからではないかと、きっと子供よりも自分を顧みるはずだ。
本当に相手のことを愛していれば、心が自分にではなく相手に向いているから、裏切られたという想いにはならないんだ。そういう経験として捉えてしまうのは、結局は自分の責任なんだ。
自分以外の何かに、責任を押し付けてしまうのは楽。犠牲者を演じることができるし、自分は何もしなくていいからだ。
そのことを周りに話して共感してもらえれば、自分が受け入れられたと一時的な承認欲求を満たすことができる。この感覚に味をしめた人は、どんどん犠牲者を演じ始める。
でも、責任を外に置いている限り物事は何も解決しない。自分のことと捉えることができて始めて、自分の次のアクションで次の展開を創り出すことができるんだ。
そういう人は、どんどん前に前に進んでいくから、ふと気付くと全く違う世界の人になっているんだ。