感謝の本当の意味 | 社会投資家 竹井佑介日記

社会投資家 竹井佑介日記

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今日は天気も円安も進んでいますので、自分の感謝に対する思想を書きたいと思います。

全て自分の身の回りに起こった、もしくは起こりうる、これから起こることには全てにおいて

良い悪いではなく意味がある

と感じています。

だからジャッジしてはなりません。

ジャッジとは自分の価値観で人を裁くことに他ならず、責任を自分においていないということです。

これには2つの問題があります。

まず自分の価値観を相手に押し付けているばかりで相手の価値観を理解しようとしていない傲慢さと、無責任感ということです。

無責任感は成功の3つの柱(心、経済、健康)の最も重要なものの一つである経済にも実は大きな悪影響を及ぼしてしまいます。

なぜかというと、ビジネスは

自分の責任のレベル分しか広がらない

という法則があるからです。

それではいい悪いではなく意味があると言いますがその意味とは何かということです。

僕はこの意味を「自分の成長において必要なきっかけ」ととらえています。

相手の厳しい、もしくは優しい言葉から教えてくれるメッセージ(聖書でいうところの預言)であったり、プロジェクトに失敗することのよって得られる気づきであったり、信頼していた知人からの裏切りであったり全て自分にとって必要な経験ということです。

相手に裏切られたとき、相手を攻めることはとても簡単です。
なぜなら責任を相手に押し付けているからです。

つまり責任の所在が自分には無いからです。
これはせっかく自分に対してメッセージを送ってくれているのにそれを無視しているということです。

だからビジネスも拡大しないといえるでしょう。

チャンスが目の前に転がっているのにそこには目もくれず遠くばかりを見つめて目を凝らし続けているようなものです。

凝らしてばかりいるので「疲れる」のです。

目の前に目をとめて「気づく」ことができればいいんです。

また目で見えない場合は感じれば良いのです。
目に見えないからといって「違う」と判断するのは驕りでしょう。

もっと言うと感じないからといって『存在しない、ありえない、違う』と判断するのもまた驕りと言えるでしょう。

自分の価値観のみでジャッジ(判断)しているに過ぎないからです。

自分は神でも万能でもありません。
しかし神でも万能でもないからこそ、成長の機会に溢れているということができます。

神、万能だともう成長の機会に恵まれることはありません。

だからこの時代のこのタイミングとこの場所に生まれてまだ生きていることに意味があるのです。

意味があるのでその意味を探ること自体に大きな意味があるということです。

だからこそ感受性がとても大事になってきます。(これについても「この世で一番の天才は誰?」というタイトルでいずれ書きたいことがあります)

感受性が豊かになりアンテナが立つようになると何が起こってもそこに感謝の気持ちが湧いてきます。

なぜかというと、その意味は全て自分に対する成長の機会という意味があるからです。

だから裏切られようがプロジェクトが失敗しようが、その機会に気づき意識することで、測定の度合いも変わり、より正確に測定することで、より正確に改善することができます。

なぜならば

測定されるものは改善される

という法則があるからです。

だから人は後々(改善した後に)気づくことが多いんです。

あの時は~だからああいうことが起こったのか!と。

しかしここで左脳の登場です。
毎回明確に意識しておくことで世の中の見え方、感じ方、イメージが大きく変化してきます。

右脳でキャッチし、左脳で解釈する。

答えは人それぞれです。
なぜなら問いは各人の成長に関するものだからです。

重要なのは解釈するということであって、人の話を鵜呑みにしないということです。

特にいっちゃってる系の話はそうです。
解釈せずにそのまま鵜呑みにすると人はいずれ混乱します。

なぜなら仮面をたくさんつけてその上に仮面をつけるようなものでいずれ窒息してしまい、どこからが仮面かを忘れてしまうからです。

鵜呑みにせず解釈することによってその人の哲学ができていきます。

この哲学があれば人はぶれません。
鵜呑みにして哲学がなければ人は混乱しぶれます。

このぶれ自体が自分に対する目に見えない形のメッセージということです。

経験は全てベストタイミングで起こっています。

今だからこそ必要というときに起こっています。

その意味を常にとらえるようにしていければ自然と心は平安に落ち着いていくというわけです。

全ては「教えてくれてありがとう」になりからです。

ペットボトルにありがとうと書いたり、1日何回ありがとうを言わなければならないというのはある種20世紀方ショック療法とも言うべきもので、自分にあったベストな形を解釈によって導けばよいと思います。

最後に人は元気なときはこういった考えを念頭に置いて行動をしていきますが、問題は心身に疲れやぶれが生じているときです。

むしろこういった場合にこそ、文字として意識して左脳を使い対処していく必要があるというとです。(次回は右脳と左脳のバランスとなぜ2つ存在するかについても書きますね^^)

これが感謝に対する僕の解釈です。