1月16日(日) 曇り 4℃/-2℃
明日1月17日は阪神淡路大震災から16年です
先ほど・・8時33分、四国地方で震度3の地震発生とテレビのテロップが流れました
芦屋では体に感じる揺れはなかったですが、地震発生のテロップが流れるといつもドキッとします
平成7年1月17日(火)5時46分 淡路島(北緯34度36分、東経135度02分)
震源の深さ約16Km
規模 マグニチュード7.3
震度 震度6(一部地域で震度7)
死者 6,434名
家屋被害 全壊104,906棟 半壊144,274棟
全焼7,036棟 半焼96棟
ボランティア 震災からの5ヶ月間でのべ約122万人以上。
阪神淡路大震災の記録の中で疑問を感じるのは?
震度6(一部地域で震度7)となっている事なんです
もうすんだ事なのでいいんですが、ちょと気がかりなんです
なぜ震度7にしなかったんでしょうか?
震度計の最高数値が⑦だそうです
当時の震度計では計れなかったそうです
そんな、地震だったんです
僕、個人的にはあれは地震ではなく地球のマグマが怒ったんだと今も信じています!(何かの警告では!)
僕は当日(1月17日)5時46分芦屋の自宅で寝ていました
始めはゴ~ゴ~と地響きのような音が遠くから聞こえて来ました
すると横になっていた僕はそのまま空中に体が浮いたような気がしました
そ~すると、次は体が地面に(畳)叩きつけられました
また、大きな音がゴ~ゴ~と聞こえます、しばらくしてなんか大変なことが怒っているな~と
冷たい空気が肌を刺し、緊張が走り顔が青ざめ冷静さを失っている自分がいる事に気が付かなかった
幸い家族全員、同じ部屋で寝ていたので、子供3人と嫁と一緒に家を飛び出し、非難場所である小学校に
向かいましたが
同じように非難してきた家族たちが沢山いて道路いっぱいに溢れて立ちすくんでいます
遠~くの方から小学校の扉が閉まっていると言っているのが聞こえました
嫁がラジオを持ってきてたので(嫁は冷静!)ラジオをかけてボリュームを大きく皆に聞こえるぐらい
にするとどうやらそこで初めて地震だった事に気が付く(知らされる)
震源地ははっきりしていないらしく神戸方面が大きな被害が出ている模様だと。。。叫んでいる様子だ!
脳裏をかすめたのが両親の事だ、だんだんと不安が脳裏から離れなくなってくる
周りが明るくなってきて被害状況が分かるようになって来ました
幸い我が家は大丈夫そうなので子供達を妻に預け、家に戻るように指示をした
気になる両親のもとへ
自転車で神戸の実家(父・母)に駆け出しました!
43号線に出ると今まで見た事のない光景が目の前に飛び込んできた
僕の想像を遥かに超えた光景が!なんと阪神高速道路が倒壊している
この時点で遥かに大きな地震だった事を痛感しなくてはならなくなって来た
でもまだ信じられないなぜ地震が起こるねん~
だんだんと不安が増してくる、おとん・おかん 待っててくれ~
しかし神戸の実家に近づくにつれ町並みが一遍された様子に驚きと不安が
高速道路は倒れているし家屋を姿がないぐらい地面に叩き付けられているし
実家だけは助かってて欲しいと我が事だけ祈ってました
やっと実家にと思ったけど、ここがおとん・おかんが居る実家か~
目を疑いました何度も何度も疑いました
呆然と。。。。。。。。
何することなく。。。。。。。。立っていました
5分たち 10分たち
すると何処となく声が聞こえ(まだ呆然としてた為)
あんたの お父さんとお母さんは大丈夫やで~ と聞こえた
誰が教えてくれたのか、今だ分からないんです
小学校に避難してるよと言ってくれました
その瞬間力が抜けなかなかその場から動けなかった
全然周りの事が見えてなく、言われるまま小学校へ
そこには元気な両親が毛布に包まれて横になっていました
横になってはいるが元気そうなので一安心しました
元気な両親を見て張り詰めていた気持ちが少しほぐれて来たようです
やっと周りの状況が把握して来ました
実家の周りはほとんど倒壊して家屋の下敷きになった人が沢山いてました
一番の友達の様子が気になり行ってみると!
友達の家は燃えている最中ではないか?
でも消防車が来てるでもなし消化活動してるでもなし
お手上げ状態だと聞けば言い返される
その中、友達を探せば居ました
家が燃えているのに意外とシャキンと気がしっかりしている様子だった
うろたえているのは僕だけなのか?
友達の安否を確認したのとまた自分の家族の事が心配になってきたので
芦屋の自宅に戻りました!





神戸の実家、1月18日の様子です
実はこの写真の倒壊された家の中に生存者が見つかりました
北海道のレスキュー隊の方々が捜索して助け出してくれました
震災より3日後です!m(__)m