『乾と巽 -ザバイカル戦記ー』(安彦義和氏作)シベリア出兵とチェコスロバキア軍団 | 一松亭のブログ

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『乾と巽 -ザバイカル戦記ー』のvol6が出ています。シベリア出兵を描いたこの作品は、白軍側の複雑な内情を巧みに描いています。
また戦いはさらに過酷な局面に向かいパルチザンとの戦いに多くの犠牲が出ます。作品中にチェコ軍団というのが出てきますが、彼らがシベリア出兵のきっかけでした。

 


 

チェコ軍団(eskoslovenske legie)とは、第一次世界大戦中にロシア帝国がオーストリア・ハンガリー帝国軍のチェコ人及びスロバキア人捕虜から編成した軍団級部隊で義勇軍です。第一次大戦前後の各地でのナショナリズムの高まりの中で、オーストリア・ハンガリー帝国の支配から脱しようとしていたチェコ人とスロヴァキア人は捕虜となったあとロシアに協力しオーストリア・ハンガリー帝国と闘う道を選びました。いわば義勇軍です。しかしロシア革命後、ソヴェト政権は1918年3月にドイツとブレスト・リトヴスクで単独講和条約を結び戦線を離脱してしまいました。チェコ人たちは当初の目的を果たせずロシア国内に取り残されましたが、フランスは、チェコ軍団をシベリア鉄道で東へ送り、ウラジオストクから日本・アメリカを経由して西部戦線に移送することを計画します。 ここでは一定量の武器の携帯が許されていました。
しかし途中の駅で軍団の一部隊がすれちがったドイツ・オーストリア軍の俘虜部隊(彼らからすればチェコ軍団は反逆者でした) との間で小競り合いが起こり、チェコ軍団が反革命勢力と結託することを警戒していたソヴェト政権は軍団の武装解除を要求しましたが、軍団はそれを拒絶し、ソヴェト政権に対して武力蜂起しました。 革命の軍師トロツキーはチェコ軍団を反乱軍と宣言して攻撃を指示しました。ここに連合国列強はシベリアに取り残されたチェコ軍団を救出、西部戦線に再投入し、ドイツ軍・オーストリア=ハンガリー軍と戦わせるためのほか、シベリアの共産主義化阻止、ソビエト政権打倒の為に出兵しました。アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、イタリア、臨時全ロシア政府の白軍、日本の兵が出兵することになりますが、日本は最後まで残り深入りしてしまうことになります。
このあたりは以前紹介したコルチャーク将軍を主人公とした『提督の戦艦』にも出てきます。なおチェコ軍団の装備はロシア式でした。まずは大国の狭間で翻弄されたのがよくわかります。

 


 

大国の狭間でといえば、独立後もチェコスロバキアの進む道は平たんなものではありませんでした。ナチスドイツの登場です。チェコ人はスデーテンはおろかチェコスロバキア全土の併合という苦渋をなめることになります。このあたりとその後のチェコスロバキア亡命政府側の空軍の戦いを描いた映画が『ダーク・ブルー』(ヤン・スヴェラーク監督 2001年)です。大戦間のヨーロッパの小国はナチスドイツとスターリンのソ連の狭間で多くの苦渋をなめることとなります。『ダーク・ブルー』については他の方も多くブログに書いていますのでそちらも読んでみてください。DVDも出ています。RAFに加わってスピットファイアを駆ってドイツ軍のメッサーシュミットと戦の空戦のシーンが見どころです。宮崎駿氏も大変評価されていたそうです。是非おすすめします。ただし彼らはナチスドイツの次はスターリン体制の下で苦難と向き合わねばなりませんでした。

 


 

堅い話ばかりになりましたが、チェコの雑貨は美しく可愛いものが多く、もし毎年秋に催されるチェコフェスティバルの告知を目にされたら是非覗いてみることをお勧めします。チェコはミュシャ(チェコ名ムハ)の国、またアニメのグッズが可愛いです。ガラス製品、絵本はとても美しいです。チェコで有名なユーモア小説にヤロスラフ・ハシェクの『兵士シュヴェイクの冒険』があります。本国ではドラマ化されたり、フェルト人形にもなったりしています。チェコ軍団のロシア式の褐色の服と違い、旧オーストリア・ハンガリー帝国のブルーグレーの服を着ています。
浅草にはチェコ雑貨を扱う店「CEDOKzakkastore チェドックザッカストア」もありますので、浅草までいらしたら、こちらも覗いていてみてください。