日本エレキギター史【私家版】Vol.3 ヤマハ編 | STUDIO 67

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エレキブームには懐疑的だったのか、

ヤマハがエレキギターに参入したのは遅く、

ベンチャーズが日本を席捲した65年に試作機を完成、

販売を開始したのは66年のこと。

 

・SG-2/3

そして発売されたのが2ピックアップのSG-2、3ピッククアップのSG-3。

俺達のギターヒーロー、リンク・レイの愛器でもある。

 

ブームに出遅れたヤマハは、さらなる機種で巻き返しを図る。

それは当時のトップギタリスト、寺内タケシ氏との共同制作によって、

国内のあらゆるエレキギターを駆逐する

・・・はずだった

 

楽器製造業のトップと、人気ギタリストの手によって

開発されるギターに失敗が許されるはずがない。

こだわり抜いたギターの開発は遅れに遅れ、

ヤマハの経営陣はついに痺れを切らした。

 

「もういい。売れ」

 

・SG-7

寺内氏の許可なく販売されたギターは氏の不興を買っただけでなく、

大卒の初任給が二万円の時代に92,000円という強気の価格設定。

当然ながらほとんど市場に出ることなかったようだ。

 

※後に寺内氏と和解したヤマハは改めてSG-7を再販。

当時ショーウインドーで眺めるしかなかった元ギター少年達には

好評の模様。

 

その後フォークブームが起こり、高品質なアコギで

成功を収めたヤマハは、69年にエレキギターの製造を終了。

こうしてヤマハのエレキはひっそりと歴史から姿を消す

・・・はずだった(二回目)。

 

・SG-30

70年代、突如ヤマハはエレキギターの開発を再開。

それも思いっきりギブソンスタイルに舵を切って。

72年にシングルカッタウェイのSG-40、

73年にはダブルカッタウェイのSG-30が発売される。

 

以降、ダブルカッタウェイがヤマハ製エレキギターの

トレードマークになった感がある(現行のRevstarもそうだし)。

そして74年にはご存知名器中の名器!

 

・SG

やっとヤマハがエレキに追いついた

現在もヤマハの代表機種として君臨しているのはご承知のとおり。

 

次回はその他のメーカーなど。