エレキブームには懐疑的だったのか、
ヤマハがエレキギターに参入したのは遅く、
ベンチャーズが日本を席捲した65年に試作機を完成、
販売を開始したのは66年のこと。
・SG-2/3
そして発売されたのが2ピックアップのSG-2、3ピッククアップのSG-3。
俺達のギターヒーロー、リンク・レイの愛器でもある。
ブームに出遅れたヤマハは、さらなる機種で巻き返しを図る。
それは当時のトップギタリスト、寺内タケシ氏との共同制作によって、
国内のあらゆるエレキギターを駆逐する
・・・はずだった。
楽器製造業のトップと、人気ギタリストの手によって
開発されるギターに失敗が許されるはずがない。
こだわり抜いたギターの開発は遅れに遅れ、
ヤマハの経営陣はついに痺れを切らした。
「もういい。売れ」
・SG-7
寺内氏の許可なく販売されたギターは氏の不興を買っただけでなく、
大卒の初任給が二万円の時代に92,000円という強気の価格設定。
当然ながらほとんど市場に出ることなかったようだ。
※後に寺内氏と和解したヤマハは改めてSG-7を再販。
当時ショーウインドーで眺めるしかなかった元ギター少年達には
好評の模様。
その後フォークブームが起こり、高品質なアコギで
成功を収めたヤマハは、69年にエレキギターの製造を終了。
こうしてヤマハのエレキはひっそりと歴史から姿を消す
・・・はずだった(二回目)。
・SG-30
70年代、突如ヤマハはエレキギターの開発を再開。
それも思いっきりギブソンスタイルに舵を切って。
72年にシングルカッタウェイのSG-40、
73年にはダブルカッタウェイのSG-30が発売される。
以降、ダブルカッタウェイがヤマハ製エレキギターの
トレードマークになった感がある(現行のRevstarもそうだし)。
そして74年にはご存知名器中の名器!
・SG
やっとヤマハがエレキに追いついた。
現在もヤマハの代表機種として君臨しているのはご承知のとおり。
次回はその他のメーカーなど。