木曽義仲を巡る旅!遂に岐阜、滋賀、石川、富山へ! 倶利伽羅峠古戦場址 編 | ふじを日記

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生きがいは旅行。海外、国内を問わず。初めて見る景色、
初めて食べる美味しいものが大好き。

俱利伽羅峠古戦場址にやってきましたキラキラ 大河ドラマで

木曽義仲に男のロマンを感じたタイミングで、たまたま

木曽に旅行に行って義仲館を訪れて以来、あちこちの

義仲巡りをしてきましたが、遂にここまで来ました音譜

 

寿永3年(1183年)の倶利伽羅峠の戦いは源平合戦において

とても重要な戦いで、木曽義仲の軍が大勝利した場面ですキラキラ

 

 倶利伽羅峠は石川県津幡(つばた)町と富山県小矢部(おやべ)市の

境界にあります。

 

 

 

 

 

 

約800年を経て、今は静かな山々の風景ですキラキラ

展望櫓がありました。

 

 

 

 

 

 

寿永3年(1183年)5月11日の夜半、義仲の軍勢は7手に

分かれて夜襲をかけます。

 

平維盛率いる平家軍7万に対して、源氏の軍は4万ガーンあせる

 

しかし平家軍は義仲を始め義仲四天王に包囲され、しかも背後を

樋口兼光に捕られてしまったのです滝汗あせる

 

 

 

 

 

 

平家軍に対して数では及びませんが、源氏の軍勢は

鬨(とき)の声をあげ、法螺貝を吹き鳴らし、太鼓を

打ち鳴らし、挙句の果てには400~500頭の牛の角に

松明をくくりつけて夜襲をかけ、平家軍を大混乱に陥れますポーンビックリマーク 

源平合戦において名高い「火牛の計」ですキラキラ

 

牛の像がありましたよ音譜

 

 

大混乱の平家軍が、唯一敵が攻めてこない方向になだれ込んで

行きますが、そこは断崖絶壁滝汗あせる いわゆる”地獄谷”に次々と

呑まれていったのですガーン

 

 

 

 

立派な源平供養塔がありましたキラキラ

 

 

 

 

 

源平供養塔の裏手には平為盛の五輪塔がありました。

元は小谷部市城山町の旧石動小学校の敷地内にあった

為盛塚と伝承のある塚にあったそうです。その後、

塚は壊され、五輪塔はここに移されたそうです。

 

見るからに相当古そうですキラキラ 五輪の特徴や刻まれた梵字の

様子から13世紀(鎌倉時代)に造られたものと推定される

そうですキラキラ

 

 

 

 

 

写真を撮り忘れたのですが、地元の武将 蟹谷次郎(かんだのじろう)の

碑もありました。キラキラ

 

真っ暗闇の峠での戦いを制したのには、やはり土地に精通した人物の

先導があったからこそなんですねキラキラ

 

 

 

 

おまけ。 トイレの男女のマークがそれぞれ、義仲と・・・

 

 

 

 

 

巴御前になっていましたよニヤニヤ音譜