2017年生まれのコティ6歳、2021年生まれのリティ2歳、
姉妹を育てるコティマムです。
39歳、
元テレビ局芸能記者の
アラフォー
ワーママライター
◎BFC公式アンバサダー1期生
(23年3月卒業)
◎wicot公式アンバサダー
(23年8月卒業)
ワンオペ育児のあれこれや
大好きな洋楽、歌舞伎、アニメ、
おいしいもの(外食)など、
カオスな日常と
たまの贅沢を綴ります
夫婦のお仕事
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いつも、優しいコメントや
お言葉、メッセージを
本当にありがとうございます
少しずつですが、
新しい記事からお返事しております
まだ時間がかかりますが
引き続きお返事していきますので
お待ちいただけるとうれしいです
夫婦ブログにも書いたのですが、
大ヒットドラマ
TBSの日曜劇場「VIVANT」に
”ワニズ”役で出演した
俳優の河内大和さんの
インタビューを、
編集長が書きました
◎詳しくはこちら↓
編集長の原稿、
ぜひ読んでいただきたいです◎
河内さんの出身は
長州藩。
私と同じです
私は先日、
白金台の八芳園で
とある方のインタビューが
あったのですが、
その2日前の夜に
編集長から突然連絡がありました
「ワニズ役の俳優さん、
コティマムさんと同じ
◎◎高校出身だよ」
と。
コティマムの地元は
田舎ですので、
首都圏のように
たくさん私立があるわけでもなく、
公立高校に進学するのが
一般的です。
(今もそうなのかはわかりませんが)
しかもその公立高校も
都会のようにたくさん
学校があるわけでもなく、
選択肢がとても少ない
コティマムの地元で、
普通科の公立高校は
県トップレベルの超進学校か、
お世辞にも頭が良いとは
思われない学校しかなく、
あとは滑り止めの私立と
商業、工業、高専しか
ありません
中学校で「頭が良い」と
されている人は
この超進学校か
県外の私立へ行きます。
コティマムにとって
大学受験よりしんどかったのは
高校受験でした
狭い田舎町ですので、
この進学校に行くことは
東大に行くことよりも
栄誉あるものと
されている雰囲気があり、
しかも伝統校なので
60代70代のOB・OGも多い。
「わしは◎◎高出身じゃ」
「私は○○高校なのよ」
と鼻高々なご年配の方も
いましたし、
近所のお母さんたちの
井戸端会議では、
毎年受験シーズンになると
「誰が◎◎高校を受験するか」
そして誰が合格して
誰が不合格だったかが
それはそれはウワサされていました
だから◎◎高校を受ける
中3生にとって、
これはすさまじいプレッシャーです
親がプライド高くて自信家で、
「うちの子は
◎◎高校を受けるのよ」
と自慢しまくって
落ちた子なんかは悲惨で、
その落ちた子は親が
表玄関から通学させないとか、
そんなアホみたいな
神話もありました
地元を出て
他県で大学生活を過ごし、
私立の幅広い選択肢がある
関東に住んでいる今、
(しかも幼児期から
めちゃくちゃ勉強しまくってる
子たちを見ている今)、
その狭い世界での出来事を
「アホらしいな〜」と
思い返すのですが、
高校受験時の私も、
そのプレッシャーを
ヒシヒシと感じていました
で、私はその◎◎高校に
一応進学したのですが、
高校時代は勉強こそ
すごくたくさんしましたが、
高校生活は
全然楽しくなかった(笑)
キャプテンまで務めた部活を
高2で辞めましたし、
親の離婚もあったりで、
個人的には
高校時代は全く面白くなく、
卒業してから一度も
同窓会とかも行ってません(笑)
ただ感謝しているのは
勉強だけは
すごくする学校だったので、
(入学式の日に
『大学受験までもう1000日ないので、
うちに入学できたからといって
気を抜かないように』と言われました)
当時から、
勉強だけは
ちゃんとするクセがついたと思います
親から「勉強しろ」とか
言われなくても
黙々と机に向かって勉強してましたし、
塾ナシである程度の
(当時の)センター試験レベルには
到達できて、
自分で
「これは自力では
偏差値70無理かもしれない」
と危機意識を覚えた時だけ
自ら親に頼んで塾の夏期講習だけ
受講させてもらい、
足りてない部分を補いました。
自分で計画立てて
勉強するクセがついたのは
良かったと思います。
(ただ、学科のテストができることと
地頭の良さや
仕事ができることは比例しないですが)
まぁでも、高校生活が
そんなに楽しくなかった私は、
この息苦しい田舎から出て、
なんとかして、
好きなアーティストを
インタビューできるように
なりたいなぁ……
という
反骨精神みたいなものから
勉強を続けていました
もう10年以上前、
(20代後半の頃に)、
地元の友人の結婚式で
帰省した際、
二次会の場で、
◎◎高校出身という
学年的には先輩にあたる方と
一緒になりました。
その時、
「〇〇って奴が2学年下にいたよね」
とか、
「▼▼って奴があ~だこ〜だ」
みたな
その高校のトークを始め、
今もまだ高校時代が続いているかの
ような鮮明な◎◎高校トークが
繰り広げられたのです
で、それを
◎◎高校出身ではない人たちが
興味深そうに聞く
私はもうそんな細かなこと
一切記憶にもなく
(もう東京で忙しく働いてましたし)、
全く興味もなかったのですが、
「あ、やっぱり地元にいると
◎◎高校卒なのことは
みんなの憧れの的で、
年をとっても
その話をすれば
鼻高々でいられるんだな」
と、その時再確認したのです
でも私は、
そういう限られた世界の話が
とっても息苦しくて、
その話も全く面白くなかった。。。
(なので、地元のことは
もちろん良い場所で好きなのですが、
私は昔から
『早く出たい』と思っていて
今も暮らしたいとは
思わないのです。
これはもう場所が
合う、合わないの
問題なんだと思います)
こんな
ひねくれている私なので、
自分の出身高校について
普段は全く話すことはありません。
ただ、編集長が市は違えど
同じく長州人で、
初めてご挨拶して
履歴書を渡した時に、
「コティマムさんって
◎◎高校出身なんだね。
名門じゃないですか!」
と話題に出してくれたんですね
編集長の高校も
地元では有名。
しかも編集長は
そこから早稲田です
私はそこから
地方の国立(笑)
編集長とは比べ物になりません
そしてこの時の会話を
覚えていた編集長は、
河内さんのインタビューが
決定した際、
河内さんが
私と同じ高校出身であることを知り、
連絡をくださったのです
「せっかくの同郷の先輩だし、
インタビュー、同行する?」
と。
私は自分のインタビューがあったので、
白金台に行く前に
会場となった中目黒に寄りました。
↑そして河内さんは
中目黒に颯爽と
自転車で登場した(笑)
私はすぐ白金台に
移動しなきゃいけなかったので、
編集長の取材ぶりを
見ることはできなかったのですが、
頭だけ顔を出して、
河内さんにご挨拶だけしました
でもお互い、
◎◎高校卒業後に
地元を離れていますし、
学年も重なっていないので、
高校の話では
さほど盛り上がらなかったのですが(笑)、
その時に
高校だけでなく、
実は中学校まで同じだったことが
わかりました
私の実家があるあたりにも
河内さんの知り合いがいるとかで、
地名的にはとても懐かしい話が
できました
(編集長のご厚意で
ツーショット写真も
撮っていただきました)。
今回、
たぶん出身高校が
同じじゃなかったら
インタビューに呼ばれてないと
思うので、
卒業してから初めて
出身高校が役に立ったと
思いました(笑)
今後も、”先輩”の活躍を
密かに応援したいと思います
編集長のインタビュー、
ぜひ読んでいただきたいです