2017年生まれのコティ6歳、2021年生まれのリティ1歳、
姉妹を育てるコティマムです。
39歳、
元テレビ局芸能記者の
アラフォー
ワーママライター
ワンオペ育児のあれこれや
大好きな洋楽、歌舞伎、アニメ、
おいしいもの(外食)など、
カオスな日常と
たまの贅沢を綴ります
夫婦のお仕事ブログはこちら
【静かなる怒りシリーズ】
ここ数日の
私の気持ちの吐き出しに、
たくさんの心優しいコメントや
お気遣いくださって
ありがとうございます
本当にうれしいです
コティは私と違って
ケロッとしていて、
学校に行きたくないとか、
嫌悪感を抱いたりはしていません
私の方が
「サザエさん症候群」
じゃないですが、
「明日から学校か……」と
いやーなどよーんとした
空気になっています
皆さんのお言葉が
本当にひとつひとつ
心に染みわたっています
今、ここ1週間放置した仕事の
締め切りに
追い込まれておりまして、
また改めて、
きちんとお返事させてください!
本当にありがとうございます!
金曜日に体調を崩して
熱が出たコティ。
最近はコティの心のケアを最優先に、
仕事も放置して
向き合っています。
(そのため、仕事が
やばいことになっております)
今まで、コティが
癇癪モンスターなこともあり、
「ママママ」と言われても
「うるさいなー」「今仕事中」の一言で
シャットアウトして
しまっていました
妹リティとコティが
同時に「ママママ」と来た時も、
扱いが楽なリティの方を
無意識のうちに優先して
しまっていたところがあります
結構コティを一人で放置させて
しまっていたなと
本当に心が痛み、
遅いかもしれないけれど、
今はしっかりコティに向き合い、
コティの話を聞き、
スキンシップもハグも
たくさんしています。
アイスを買い込んで
一緒に食べながら
アニメを見たり、
パンケーキを一緒に作ったり。

お絵描きや工作の
説明をひたすら聞いたり、
温泉や動物園に行く
約束をしたり。
リティはリティで
無意識ながら、
かわいい態度やおもしろい仕草で
コティを笑わせてくれて、
夫も帰宅は遅いながらも
コティを笑わせる会話したりして、
コティはよく笑っています
とにかく家で
ゲラゲラ笑っていられるのが
大事だなと
本人は今回のことをあんまり
気にしていないけれど、
慣れない環境は
しばらく続きます。
とにかくコティが
家に帰れば安心できるように
心がホッとできるように
ちょっと嫌なことがあっても、
家にいたら
笑っていられて、
楽しい予定に気持ちがいくように
私がイライラすることなく、
笑顔でしっかり包んで
あげねばと思っています
今はリティよりも
コティを優先するように
意識的に気にかけています
そして、
熱が出る前日、
ちょうど小学校の担任が
介入してくださった日の夕方に、
コティは卒園したスクールの
アフタークラスがありました
これは卒園生しか通えないクラスで、
本当は週2なのですが、
コティは他の習い事の都合で
週1のみです。
ちょうどコティが通える曜日は、
コティが大好きな
年長クラスの先生が担当で、
コティは
「久々に◎◎に会えるから
感動して涙が出ちゃう〜」
と喜んでいました
コティは年長クラスの先生から
本当にいろいろな知識を学び、
彼に知的好奇心を
かなり大きく
刺激してもらいました
卒園して約2週間ぶりに
先生や同級生に会えたコティは、
本当に心から嬉しそうで
のびのびと
レッスンを受けていました
親の私も、
懐かしい先生方やママさん達に
会えて心がホッとした
みんな、コティに起きた出来事を
真剣に聞いてくれて、
日本人の先生は
目に涙を溜めて
「うちのコティに何してくれんの!!」
と憤ってくれました
その日本人の先生は
クラスでのコティの様子も
教えてくれて、
帰り際にはコティを
ぎゅーっとハグしてくれました
コティは夜寝る前に、
「△△がgive me hugって
言ってくれてハグしたの。
うれしかった」
と笑顔を見せていました
また、話を聞いたママたちも
すっごく気にかけてくださり、
「コティちゃん、
来週のアフタークラスの前に
うちに遊びにおいで!
嫌なこと忘れて遊ぼう」
と誘ってくださり、
本当に良いメンバーに恵まれて、
親子ともども
小学校とは別の居場所があって
よかったと心から思いました
上にお子さんがいるママさんたちは、
大なり小なり
やはりトラブルを経験していて、
ご自身の体験も教えてくれました。
アメブロを拝見していても、
またコメント欄でも、
いろいろな体験談を
目にしたので、
いろんな人が集まる環境の中で、
柔軟に強く生き抜く力を
つけねばいけないなと思いました。
私自身が保育園、小中高と
「なんで行かなきゃ
いけないんだろー」って
思いながら通ってたんですよね
(中学だけはすごく楽しかったですが、
小学校は人格破綻した教員に当たり
すごく嫌な思い出があり、
高校は記憶がほとんどありません
とにかく
いろいろなことが筒抜けな
狭い田舎社会や、
近所の主婦たちの
井戸端会議やマウント、
近所や学校で
話が通じないのが苦痛でした。
私はかなり早いうちから
『東京で好きな仕事して暮らしたい。
アーティストにインタビューするには
どうしたらいいんだろう?』と
思っていて、
でもそんな話すると
周囲はポカーン。
田舎生活、学校生活は
いろいろと息が詰まっていました
帰省しても
同窓会とかも出てません)
集団で行動したり、
どこに行くにも
グループがあるのも苦手で、
クラスの上下関係、力関係にも
かなり敏感でした。
うちの父親は、
「学校よりも大事なことがあるぞ」
という考えで、
学校を休ませて
私をスキーやライブ、映画、旅行、
大人が集まるイベントなどに
連れて行ってくれてたんですよね
休み時はそれなりに
「家庭の事情」とかに
していたんでしょうけど
私の子どもの頃の記憶の中で、
学校で過ごしたことよりも、
そういう学校以外の世界で
出会った友達や大人に
刺激を受けた部分もありました
もちろん、
学校に行ったからこそ
生きていく上での基礎的なルールや、
部活動などを通して
努力や協力・協調、競争心など
いろいろなことも
学べたと思います。
学校が悪い・嫌な場所とは
思っていなくて、
学びの場所だという認識はあります。
ただ、
これは「合う・合わない」があって、
私は絶対的に
「合わない」人間でした
大学生や社会人になって
あの集団生活から解放されて
本当に清々しかったです
私がこんな人間なので、
「絶対に学校に行かなきゃいけない」
とは思っていなくて、
今後、娘が行くのが嫌になったり
悩んだ時は、
「休んでもいいよー。
じゃあ今日は映画でも行く?」
って言うと思います。
実際、私、高校時代に
部活の顧問との関係に悩んで、
キャプテンまで務めた部活を
辞めたんですけど、
その頃、親の離婚問題も
重なっていて、
とってもしんどかったんですね
勉強だけは
毎日しっかりやってたんですが、
高校が楽しかった記憶が
ないくらい、
顧問に萎縮してました
部活に行くのが
怖かった時期がありました
その時、父が
「今日は部活休めば?
授業終わったら迎えに行くから
映画でも見に行こう」
と言ってくれて、
仕事を早く終わらせて、
授業終わりで
迎えに来てくれたんですよね
小さい頃から
父は私を頻繁にドライブに
連れ出してくれて、
満月が見える日などは
満月ドライブとかしてたんです
(だから私も今、
娘と満月散歩している)。
そういう関係だったから、
私は父に結構なんでも話していたので、
部活で悩んでいたことも
知っていました。
でもたぶん、
これ以上私が無理して部活に行ったら
ヤバイことになると、
父は思ったんだと思います。
遠い映画館までドライブして、
いっぱい語って、
映画を見て、
すごく安心感に
包まれたのを覚えています
娘の出来事をきっかけに
自分の小中高時代を
最近いろいろと
思い出しているのですが、
それぞれの時期に、
やっぱり嫌なことや
辛いことはあった
もしその時に、
「絶対に学校に行け!!
休んだらダメ!!」
と言われたら、辛かったなと
「休んでいいよ。
別に学校が全てじゃないしね」
といって、
違う世界があることを
見せてもらえたので、
こんなコミュ障でも
一応社会人になることができました
コミュ障だけど。。
「逃げ癖がつく」とか、
「最後までやり通す力がつかない」とか、
いろいろ考えはあると思うのですが、
(実際私、正社員時代も
転職繰り返してますし、
今なんてフリーランスですし)
私はとても心が弱いので、
「逃げ場や、安らぎの場がある。
いざという時は逃げていいんだ」
っていうのが、
すごく救いでした
娘は私よりよっぽど強そうですが、
何かあった時は、
「逃げ場はあるよ。
休んでもいいんだよ。
別の世界もあるよ。
ここが全てじゃないよ」
ということは伝えて、
娘がいろんなことを
話してくれる関係を
築いていきたいです