〜闇吐き出しシリーズ〜

2016年後半に東京から東海地方に引越し、激変したコティマムの生活。徐々にストレスを溜め、その過程で膵臓にも相当負担がかかっていきました。これは当時を振り返り、真のストレスを勝手に吐き出していくシリーズです。※現在は関東に戻ってきています。

 〜これまでの闇シリーズはこちらから〜

 

ガーベラガーベラガーベラガーベラ

 

こちらの記事の続きです↓
(2018年頃のことです)

 

 

 

 

全くの未経験ながら、

インターナショナルスクールの

講師として働く道を模索し、

就活したコティマムグー

 

 

幸い内定を頂けたものの、

突きつけられたのは

保育業界の現実でしたもやもや

 

 

 

正社員で働いても

月収13~17万円タラー

手取りはもっと減ります。

パートだと時給1000円いかない。

 

 

 

 

 

そして一番の魅力だった

・子どもと一緒に登園し、

預けながら働ける

には落とし穴があり、

現実は

別校舎に預けなければ

いけませんでしたガーン

 

従業員割引があるとはいえ、

託児にはお金がかかります札束

1日8時間働いて(現実は8時間以上)、

送迎の時間も考えると、

相当な延長保育が必要ですガーン

 

別校舎に娘を預けるとなると、

お迎えの時間を考慮したら

フル勤務は無理ですもやもや

となるとパート。

4時間からMAXで6時間働けたとしても、

給料は時給になりますタラー

 

・・・

これでは託児料金で給料が

吹っ飛ぶじゃないか。

むしろ正社員だったとしても

手元にそんなに

残らないんじゃないか?

 

 

パートで働くなら、

時給が高い仕事の方

よくないか?

 

考えるうちに、

訳がわからなくなってきましたショック

 
 

 

コティが当時通っていた園は

別校舎がない1校のみの園でした。

そこで講師として働いていた

コティの同級生のママ。

その同級生はママの仕事終わりまで

同じ校舎内で預かられていました。

その子が職員室で待っている姿も

見たことがあります。

(その子は1日中園にいるので、

当時1〜2歳ながら

群を抜いて英語力が高かったですびっくり)。

 

ただ、参観日や遠足などの行事は

パパか祖父母さんがいらしていました。

(ママさんは先生なのでクラス対応)。

何か突発があった時も

祖父母さんが対応されているようでした。

 

私の場合、

縁もゆかりもない場所で、

親族はおろか知り合いも

頼れる人もいない中、夫は激務。

今後、行事等も私の代わりに

夫が出ることは難しそうだし、

もし何かあった時に

頼れる祖父母もいないタラー

 

 

 

同じ校舎内で

預けても大変そうなのに、

別校舎に預けながら正社員で

やれるか?

というか、

働いてもほとんど

託児料金になる給料や時給で、

働く意味があるのか?

すごく迷いましたもやもや

 

そして、この時、

自分の執筆記事の単価

初めて時給換算したのですコインたち

 

 

 

この頃は、

まだ執筆依頼はほとんどなくタラー

記者時代の元同僚や知人から

たまーーに頂く仕事を手伝っていました鉛筆

 

①1記事1万円ちょっとのものと、

②1記事4000円のもの。

文字数は800〜多くて1000文字くらい。

電話でちょっとした取材をするものと、

頂いた資料をもとに

取材なしで記事化するものでした。

 

この記事、集中すれば

①は2時間程度、

②は30分〜1時間

書けていました鉛筆

入稿作業もなしで、

書いて校正して送ればOK。

 

つまり、

時給4000〜5000円

だったわけです。

本数が少なすぎるから

月収にはほど遠かったけど、

時給だけで見れば効率がいい。

これはいずれ

発展できるのではないか?

 

 

執筆依頼と

執筆本数が増えれば、

そこまで高くない原稿料でも

時給換算で考えると

効率良い働き方

できるのでは?

 

この時初めて、

そう思いましたクローバー

(例えば1記事3000円とかの低単価な原稿でも、

1時間で2本書けたら時給6000円じゃん!!と思ったのです)

 

 

知り合いも頼れる人もいないのであれば、

自宅にいながら、

ちょっと集中するだけで

仕事ができる方が

いいのではないか?

 

経験もあり得意な分野で

勝負した方が、

効率的に稼げるのではないか?

 

そう思うようになりました。

 

悩みに悩んだ結果、私は、

インターの内定を

全て断りました。

 

 

 

そして、

「なんとか、

在宅の道でライターとして

やっていく方法はないか?」

を考えていくようになるのですうずまき

 


この、奥底から湧いて出た

在宅への可能性に賭ける思いと、

緩やかな決意は、

とてもとてもとても

しんどい道の幕開けでした雷

 

 

当時の私はまだ

「在宅なら家事・子育てと

両立できるかも」と、

少しながら前向きな気持ちがありました。

これが2018年の中頃のこと。

 

この後から、

めっちゃくちゃ

心がへし折られていきますハートブレイク

どんどん病んでいきましたもやもや

 

在宅フリーランスへの挑戦

茨の道だったのです赤薔薇

 

 

(ちなみに今は時給が万超える

働き方ができています。

でも2018〜2019年頃の私は

失敗と玉砕の連続

どん底のど真ん中にいて、

フリーランスで安定的に

収入を得られるようになるなんて

思ってもみませんでした)

 

【続く】