慢性膵炎一歩手前の在宅ライター、
コティマムです。
だいぶ時間が空いてしまったのですが、
膵臓を患った真のストレスについて、
少しずつ
闇を吐き出していこうと思っています
【過去記事はこちら】
※2016年後半に東京から東海地方に引越し、コティマムの生活は激変。
徐々にストレスを溜めていくようになりました。
その過程で膵臓にも相当負担がかかっていたと思われます。
これは当時を振り返り、真のストレスを勝手に吐き出していくシリーズです。
(現在は関東に戻ってきています)
2016年中旬に芸能記者の仕事を辞め、
大きなお腹を抱えて
東海地方へ引っ越したコティマム。
毎日都内で華やかな現場を取材し、
飲み歩いていた生活から一転
知り合いも親族も友達もいない生活で、
家と産婦人科、スーパー、薬局を
行き来するだけの
静かな生活が始まりました。
夫が出社したら誰とも会話しない毎日。
ただ、運良く在宅ライターのアルバイトを
始めることができたので、
毎日8時間、家で仕事をしていました。
陣痛が来る数時間前まで仕事してました(笑)
そして2017年1月。
コティを出産。
私はもともとDINKS希望で、
出産願望も全くない人間でした。
なので妊娠中も
あまり母性みたいなのがなく…。
むしろ、自分みたいな
「子どもを欲しいと思ったことがない人間」
(母性?が欠落した人間)に
「子育てなんてできるのか?」という
不安が常につきまとっていました
妊娠・出産したら
マタニティハイや産後ハイになるかも?
親バカに一変するかも?
「むしろそうなった方が気持ち的に楽だ」
と思っていたのですが、
産後も特に変化なし
「産んだ責任・義務を果たさねば」みたいな、
どこかとても冷静で、
ちょっと恐怖すら感じた状態で
子育てが始まりました
(自分でもちょっと特殊な人間だと思います)
昼夜問わずの授乳、オムツ替え
ガチガチに固まるおっぱいの痛み
緊急帝王切開だったので術後の傷の痛み
頻繁にある予防接種
そして0歳の頃から
かなり目立つ娘の癇癪
初めてのことだらけで戸惑うことばかり。
妊娠中も体調は最悪でしたが、
産後もずっと痛いこと続きで、
ボロボロの中始まった寝不足の日々
仕事柄、徹夜は慣れていましたが、
自分のタイミングで仕事できる徹夜と、
赤ちゃんのタイミングに合わせる徹夜は
疲労感が違う
生命力が吸い取られていく…
当時は生まれたての赤ちゃんに対して、
「かわいい」「愛しい」とか
そういう気持ちに浸ることもなく…
とにかく、
あまりに小さすぎる命の存在を目の前にして、
「自分が放置したら死んでしまう…」という
恐怖もあり、
試行錯誤しながら、
ただただ日々をこなしていくだけでした
友達もいないし、頼れる場所もないので、
必然的にワンオペ育児。
家事が壊滅的にできない私にとって、
そしてそもそも
「子育てしたい」と
思ったこともなかった私にとって、
家事と子育てに追われる毎日は
地味にストレスでした
そして私は当時、
『サポートもなく精神的にヤバイママ』として
保健所や区役所に
目をつけられていました
よく保健師さんから電話かかってきてました(笑)
(※そして実は今も住んでいる自治体の
保健師や助産師さんから「要注意妊婦」として
心配されております)
ただ、今振り返れば
娘が0歳の時の2017年は、
まだまだ平穏でした
当時は慣れない毎日で
がむしゃらだったのですが、
今写真を振り返ると、
娘を連れてベビーカーでひたすら散歩したり、
児童館や赤ちゃん向けのイベントに
よく参加していました
そこで少しずつ、
お話ができる友達もできるようになりました。
自宅で娘のアルバムや
手形なんかもよく作っていました
そして写真を見返してみても、
この頃の私はまだ笑顔が多く、
疲れてはいるけど
穏やかな優しい表情です
不器用なりに、
娘と向き合っていたのがわかります
娘との2ショット自撮り写真も笑顔ばかりで、
まだ写真越しに
私の生命力や余裕を感じます。
当時は「しんどい」「東京に帰りたい」
と思ってはいたのですが、
今思うと、
まだ娘も動き回るわけでもなく、
今のような
モンスター破壊神でもなく
(兆候はありましたが)、
子育て自体は
今より断然楽でした。
そして
東京時代より世帯収入が下がっていたとはいえ、
夫の給料でなんとか生活できていたし、
在宅ライターのアルバイトのおかげで
私の育休手当もありました
なので、仕事をしていなくても
娘と2人で
いろいろな所に行く余裕もあったのです。
しかし、
2018年末頃から状況が変わります
この頃の写真を見返すと、
私はどんどん表情を失い、
能面のようになり、
さらにはストレスで激太りしています。
(↑この激太りで膵臓がやられたと思われる)。
2018年末頃から私にとって、
そして夫婦にとって、
試練が始まるのでした。
【続き】