9月20日(月曜日)  晴れ  ダブリンーエディンバラ 


 早めに起床し、早めに朝食。9時半、このホテル「モランズ」近くの、バスターミナルへ行く。ダブリン空港まで約20分。午前11時40分、ダブリン出航。12時半、スコットランドのエディンバラ着。アイリッシュ海から北海へ、あッとひと飛びの感。空港のカフェで、軽く昼食。スコッチ・エッグとサラダ。食後、バスで空港の東方約13km にある、エディンバラ市内へと向かう。 


 バスの車内は、乗客が僅かだった。少し前方の席に、茶髪の若者1人が座っていた。後ろを振り向いたので、軽く手を挙げた。声を掛けると、アメリカの中西部ウィスコンシン州から来た学生ジョンで、20歳。これからエディンバラ大学に留学するためだという。彼は、明後日に大学の寮へ入るので、それまで市内に2泊して、あちこち見物する予定。僕は1泊のみで、明日の午後ロンドンへ飛ぶが、これから観光案内所へ行って、今夜のホテルを探すのだ、と言うと、ジョンは「ウィスコンシンの友だちが、エディンバラに旅行した時のホテルのカードをくれたので、そこへ行って見たい……」と答えた。


 午後2時近く、エディンバラのバスステーションに着く。市内のニュータウンにある広場の向かいにあり、イングランドとスコットランド各地への長距離バスも、ここから発着している。僕たちは、預かり所にスーツケースや荷物を託し、まず広場の南に位置する、ウェイヴァリー鉄道駅の観光案内所へ行った。ジョンは、カードを示してホテルの場所を訊ね、僕は、ロンドン・ロードにある「リッチモンド・ハウス」1晩1部屋を紹介して貰った。ジョンの探すホテルは、幸いにもバスステーションのすぐ横に見つかったが、あいにく部屋数が少なくて満室だった。そこで2人は荷物を取り出し、予約したロンドン・ロードのホテルへ行ってみることにした。そこに、彼の部屋があるかもしれない。…… 


 ロンドン・ロードは、ニュータウンの中心部の広場から、やや離れた北東方向にあり、観光案内所では「徒歩圏内」と言っていたが、スーツケースを抱えていたので、いささか骨が折れた。「リッチモンド・ハウス」は、ロードの途中から坂道を上がった静かなところにあり、家庭的なペンションだった。中年の女性のあるじに迎えられ、「案内所から申し込まれたルームには、ベッドが2台あります。2人で泊まれます。そこは明日の夜も空いていますから、1人でどうぞ」と告げられた。低料金なので、僕が初めの1泊すべてを支払い、ジョンが2日目の分を支払った。部屋は広くはなかったが、バスタブもあり、ベッドも清潔だった。


 日射しが傾く頃、市内を観ようと外へ出た。ジョンも、付いてきた。彼は素直で、おとなしい若者だった。道すがら、日本での自分や、今の旅について少しばかり、彼に話した。彼も「Big  Travel ……」と呟いた。バスステーションまで戻り、その少し先に進むと、デパートやショップが並ぶ「プリンスィズ・ストリート」へ出た。この賑やかな通りの南側に、広々とした緑地の「プリンスィズ・ストリート・ガーデンズ」があり、野外コンサートなども催されるようだ。この公園を境にして、南方に古風なオールドタウンが続く。公園からは、少し前方の、岩山に築かれた「エディンバラ城」の姿が見える。この岩山の登り降りは、ちょっとキツかった。頂上には、礼拝堂や戦没者紀念堂、女王メアリー・スチュアートゆかりの王宮などが遺されているが、すでに夕刻で、ざッと一回りした。城からの市街の眺望は、さすがに佳い。エディンバラ大学の幾つかの建物も、すぐ向こうに見下ろされた。ジョンは、入寮前日の明日、大学の事務所へ顔を出すように通知されている、と言って、大学の方角を指差した。…… 


 僕たちは城から降りて、ニュータウンの「プリンスィズ・ストリート」まで戻って来た。歩き疲れ、少しく空腹。文豪ウォルター・スコットを記念する高塔が建っている界隈の、若者の姿が多いレストランに入店。ジョンが選んだ鯖のフライを、僕も食べた。バターで揚げてあり、美味しかった。無口なジョンが口を開き、「エディンバラは古都として知られているが、ここには北海の港もある。だから、鯖を食べたんです」と皿を指差した。「ぼくの育つたウィスコンシン州には、海が無いんです」とも言った。…… 


 ペンション「リッチモンド・ハウス」に帰ったのは、夜8時。この日は、4時間近くも歩いたので、さすがに草臥れた。部屋に落ち着いてみると、1泊1ポンド40ペンスは安いな、と感じた。 ジョンに、先に入浴するように勧めた。僕が荷物の整理をしていると、彼がシャワーを使う音が聴こえた。やがてタオルを腰に巻いて、彼が出てきた。若々しい、しなやかな裸身だった。寝巻きを着ると、片手を挙げて「お休み」と言って微笑、くるりと横になるや、顔を向こうに向けて就寝。一瞬「可愛いな」と思った。続いて、僕もシャワーを浴びた。9時半頃、ジョンが寝息をたてるベッドの傍らの1台に横臥し、すぐに熟睡した。……


 ◎写真は   スコットランドのエディンバラ城(亡母遺品の絵葉書) 

        ペンション近くの路上での僕(ジョンが撮ってくれた) 

        ペンション近くの路上でのジョン(僕が撮った) 


 追記。 この年の12月に帰国すると、郷里の実家に宛てた、ジョンからの1通の手紙が届いていた。彼のペンションの1泊の代金を、あのとき僕が支払ったことへの、丁寧な礼状だった。エディンバラ大学での近況も記されていた。自分が忘れていたことへの、この数枚の謝意に接し、アメリカの若者の律儀な一面を知った。