9月21日(火曜日)  曇り のち晴れ  エディンバラーロンドン


朝7時に目覚める。隣りのベッドでは、まだジョンが寝息を立てていた。 

8時、揃って2階の自室から1階の食堂へ降りて、朝食。このペンションが、厳しいほどに清潔さを維持していることに気付く。食器なども磨かれ、グラスが光っている。しかも、イングリッシュ・ブレックファーストなるものは品数が豊富で、栄養満点。早朝から働き者が多いのだろうか。パリの朝のような安逸さが無い! 


 9時、一緒に「リッチモンド・ハウス」を出る。曇り空が重く、空気が澄んで、ダブリンよりも寒い。
先ずバスステーションまで行き、自分のスーツケースを預けた。今日これからジョンは、留学するエディンバラ大学まで足を運び、学生寮の事務所へ顔を出す予定だが、僕も「大学を観たいな」と言うと、彼は「それなら、いっしょに行こう。心配は無いよ」と言ってくれた。……
広々とした「プリンスィズ・ストリート・ガーデンズ」の緑地を横切り、エディンバラ城の周辺から、さらに向こうのエディンバラ大学の医学部まで、徒歩すると1時間あまりを要した。ジョンが医学部に留学することを、歩きながら話してくれた。医学部の学生寮とその事務所がある小高い丘の上から、しばらく眼下の学部の景色を眺めた。学生寮の入り口の事務所には、老人の主幹が待っていた。笑顔で、ジョンに部屋の鍵を渡した。ジョンが僕を紹介すると、僕にも部屋を見るように言ってくれたが、遠慮した。ジョンは自室の内部を確かめると、主幹に礼を述べ「明日、入寮します」と言って、彼と握手した。……僕は、この学生寮の建物や設備が立派で、古風な格調と落ち着きがあり、周りの環境も素晴らしく、その教育の深い伝統に目を見張っていた! そして、日本の大学の貧しさを考えずにはいられなかった。……


 丘を降りて、オールドタウンに出るとバス停があり、そこからバスでニュータウンへ戻った。午後1時近く、昨夜の「プリンスィズ・ストリート」で中華飯店を見つけ、昼食を摂る。「学生寮を見せてくれてお礼に、僕がご馳走するよ」と言うと、ジョンが笑って「Never mind 」と手を振った。……
彼は食後、バスステーションまで来て、ロンドンへ飛ぶ僕を見送ってくれた。2時半、彼と手を振り合い、別れた。3時、バスで空港へ。3時半、空港着。4時10分、エディンバラ空港発。機内はがら空きで、ファーストクラスに座っていても、おとがめ無し。5時30分、ロンドンのヒースロー空港着。


 空港からバスで、ウェスト・ロンドン・エアターミナルへ、午後6時着。そこからタクシーに乗り、ロンドン北西部のリージェンツ・パークの周辺にある、ホテル「セントリー」へ。リージェンツ・パークは、市内最大の面積の公園。滞在する宿舎は、パリの日本航空で予約した小規模のホテルだが、夜の7時近くに到着。郊外で人通りが少なく、辺りは樹木が多かった。……



 ◎写真は   ホテル「セントリー」のある地域(1971年9月末に撮る) 

 
      ホテル「セントリー」の入り口(同上)