7月17日(土曜日) 快晴 パトラーオリンピアーパトラーコリントスーアテネ
6時、目覚める。まだ、若者は眠っていた。すぐに一人で、朝の埠頭を観に行く。海岸沿いに、薄桃色の花ばなが咲き、白い花もあり、朝露に濡れて甘い匂いを放つ。クツキリと水平線が遠望される。今日も海は限りなく青い。胸を揺すられる青さだ。ギリシアに来て良かった、と思った。
7時、朝食。昨夜のグループと一緒。7時半、オリンピアに向かって発車。ガイドさんに薄桃色の花の名を訊ねたら、「シストでしょう」と答えた。バスは、小麦畑やブドウ栽培に適する、肥沃な平野を2時間余り走って、オリンピア遺跡の入り口にある駐車場で下車。そこから歩いて、まず近くの考古学博物館を見学。館前の入り口の脇に、朝顔の高木があり、大きな藍色の花が鮮やかに咲いていた。
オリンピアは、最高神のゼウスに捧げる大祭の地として、紀元前8世紀から紀元後4世紀までの約1200年間、古代オリンピックが開催され、数多くの建物が林立して繁栄した、ひとつの地中海世界の象徴だった。だが、キリスト教勢力の席巻によって衰退、山の地滑りや河川の氾濫、6世紀の大地震が重なり、すべてが土中深くに埋没した。やがて18世紀に至って探求者が生まれ、世紀の後半、ドイツの先駆的な美術研究家で、古代彫刻の男性像のΓ理念美」を讃えたヴィンケルマンが、トルコ政府に発掘を提言。ようやく19世紀後半に及んで、ドイツの考古学者たちが発掘に着手、姿を現した遺跡から、美術品の発見が相次いだ。
オリンピアの考古学博物館は、デルフィのそれよりは、内部が広かった。第1室から第12室まで、新石器時代からローマ時代まで、やはり時代別に遺物が分類されて収蔵、展示されている。各時代の石器・陶器・青銅器・宝飾品・日用品・盾・競技の道具なども、興味深いが、何と言っても見ものは、多くの彫刻である。ヘレニズム期の「アレクサンドロス大王の大理石の頭像」、ローマ帝政期のハドリアヌス帝、アンティノウス、マルクス・アウレリウスの夫人等々の像、いずれも見飽きない。中でも、紀元前4世紀の「赤子のディオニソスをあやすヘルメス像」は、彫像制作者プラクシテレスの傑作。パロス島の大理石が使われ、プロポーションといい、立体感といい、物語性といい、訪れた者たちを魅惑して止まない。
これらの彫刻を、初めて間近にして思ったことは、大理石というものが持つ"魔力"である! この地帯が大理石を特産し、この地域の透明な陽光が大理石に射すと、大理石は肉化して燃え立つ。少年像、若者像の幾つかは、さながら白玉が蕩(とろ)けるような姿態美で、陶酔に誘う。そして僕が、これら数室を見て廻り、密かに気付いたことは、裸体の男性像の局所がすべて「包茎」である、という厳然たる事実。考えとみると、我が国及び東洋には、かの「割礼(かつれい)」などという儀式は無い。とすれば、西洋の男性像のホウケイは神秘だ!
博物館を出て、次にオリンピア遺跡を観る。峻厳な山岳に聳えるデルフィの遺跡は、崇高な悲劇感のごとき神さびた気配に充ちていたが、平野の広大な領域に拡がるオリンピアの遺跡には、のどかな田園風景にも似た牧歌的ムードがある。デルフィの遺跡より保存状態は低いが、往時を偲ぶよすがは残っている。
巨大な神殿と伝えられるゼウス神殿を中心として、その周囲の広い領域に、ヘラ神殿、プリタニオン(迎賓館)、パレストラ(闘技場)、レオニデオン(宿泊所)、数ヶ所の浴場、ブレウテリオン(評議会場)等々の遺跡が、おびただしく散在する。ほとんどが円柱と基礎・基壇のみの残骸で、大地震によって倒壊し、豆腐を切るごとく切断された大理石の柱も、痛々しく散乱する。無情な光景という他はない。
東北の一隅に残る、石造のアーケードを潜ると、通路の向こうに、紀元前4世紀中頃に造られたという、古代競技のスタジアムが拡がっている。南側と北側の丘の斜面が観覧席で、4年に1回、2万人の観客を収容した。が、入場は女性と子供が禁制された、ギリシア人優先の純男性的世界で、競技も全裸で行われ、すべてがゼウス神に捧げられた。今、蝉時雨を耳にしつつ、夏雲の流れる無言のスタジアムを見つめると、選手たちの輝く裸身も無ければ、ドッと挙がる歓声も聴こえない。けだし、「夏草や兵共がゆめの跡」である。
遺跡から出て、近隣のオリンピアの静かな小さな町のタベルナに入って、この日も遅めの昼食。僕が座ったテーブルは、屋外のこんもりとした樹下にあり、とても涼しい。カナダ人の若い大学院生3人が同席だったが、彼らは東洋人に関心が薄いようで、ほとんど言葉を交わさない。経済学専攻らしく、その方面の話題ばかり。どうも僕は、学者なるものがニガテらしい。……「ラムチョップのグリル」が運ばれた。アルプス以北では食べ物に興味が持てなかったが、ギリシアでは料理が口に合うせいか、関心を引かれる。が、ラム肉は駄目で、デザートに出た、チーズの粒を振りかけた冷えたメロンが、オツな味だった。
午後1時半、再びパトラに向かって発車、帰途につく。ガイドが車内に、「ブズキ」というギリシアのダンス音楽を流してくれた。昨日観た、ペロポネソス半島北西部の平坦な景色のためか、いつか眠ってしまう。パトラの埠頭近くのカフェで、休憩。「バクラバ」という蜂蜜をかけたパイを食べたが、これが甘い甘い。トイレに入っていて、バスの発車に乗り遅れる。理由が分かっているので、ドッと嗤われた。大いに赤面!
アテネまで、約2時間半。途中、コリントスで休憩。また、羊のスブラキを1本食べた。過食だ。夜7時、アテネ市内へ戻り、僕だけオモニア広場で降ろして貰い、1泊2日一緒の皆さんと手を振り合って、別れた。
いつものタベルナで、「グリークサラダ」とパンのみの簡素な夕食。ホテル「アリスティデイス」に帰ると、預けた荷物が509号室に移されていた。新しい部屋には、バスルームがあった。絵葉書を書いて、就寝。
◎写真は オリンピア考古学博物館の「赤子のディオニソスをあやすヘルメス像」と「アンティノウスの像」
(どちらも亡母遺品の絵葉書)
オリンピアの遺跡(2001年6月、再訪時に撮る)